|
スペイン旅行
パブロ・カザルスゆかりの地を訪ねる旅
私の友人の岩城宏介さんが企画したツアーに参加。初めてのスペイン旅行である。
旅行社のスペイン旅行のパンフレットを見るとバルセロナかマドリッドから南西へ向かうのが一般的だが、私たちの旅はバルセロナから始まって東北へ、カタルーニャ地方とピレネー山脈を越えフランス側まで「カザルスゆかりの地を訪ねる」という10日間の企画である。カザルスは、世界的セロリストであり反戦をつらぬいたことでも知られている。
ツアーは、男3人、女13人の中・高齢者ばかりで2004年5月27日に関空を出発した。
初日は、ロンドン・ヒースローを経てバルセロナに到着。ここでの3泊は、古い三つ星ホテル「RIALT」だ。
2日目(5/28)の朝、みんなでホテル周辺の散策へ。早々にコロンブス広場で女性1人がひったくりに遭遇。幸い警官が犯人を追いかけて捕らえ、バックも返還された。この事件が盗難予防へのみんなの気持ちを引きしめた。
ツアーの9日間は、岩城さん顔見知りのスペイン在住の工藤ミカさんが休暇を取ってお世話役してくれる。全行程は大型観光バスで16人だけのゆったりの旅、運転手のラウールさんも岩城さんの顔見知りだ。
バルセロナでの2日間は、現地ガイドのロサナさんが同行。彼女は日本語がダメなので工藤さんが通訳、スペインでは資格を持つガイドのいない団体ツアーは禁止されているのだ。仕事熱心なロサナさんは説明が詳しく、工藤さんの通訳も大変なようだった。
バルセロナでは、オリンピック会場、天才建築家ガウディがデザインしたグラシア通りの建物、グエル公園、完成までにあと20年間(40年説もある)かかると言われるサクラダ・ファミリアなど、定番の観光コースを回った。よく知られたところであり説明の必要はないだろう。
ピカソ美術館へも行き、ピカソの9歳から青年時代までの作品が多く展示され、彼の生涯を知るうえで大いに参考になった。
夕方、ホテルに以前に高槻市に住んでいた和泉夫妻が訪ねてきた。ご主人が高槻市内の高校教師を定年退職し、ご夫妻で本場オペラの鑑賞を目的にバルセロナに1年前から滞在してる。メールのやりとりで28年ぶりに再会、その日の晩餐にはご夫妻も参加した。
3日目(5/29)は、バルセロナ西方のヴェンドレルへ。カザルスの生家、9歳で専属パイプオルガン奏者になった教会などを訪ねた。教会のパイプオルガン奏者であった父に4歳からピアノを習ったカザルスの天才ぶりを教会ボランティアが解説し、パイプオルガンも演奏してくれた。
サン・サルバドルにあるカザルスの別荘は、ミュージアムとして国連で「鳥の歌」を演奏したときのビデオなど、カザルスの功績を展示。別荘の前の地中海ビーチもすばらしい眺めであった。
タラゴナのローマ時代の水道橋も見学したが、有名なセゴビアの水道橋と同じような施設でる。
その夜は、和泉夫妻のはからいでオペラ鑑賞、台詞の多いオペレッタという感じでスペイン語がダメなのと時差ぼけで私は居眠り。
4日目(5/30)は、バルセロナを離れ、切り立った岩山モンセラートの中腹にある修道院へ。ウイーン少年合唱団の次に声が美しいと評判の修道院少年聖歌隊の演奏が楽しみであった。でも、その日は修道院のフェスティバルで大規模なミサが行われていた。ミサが終わると信者たちが互いに握手、私も何人かに求められて握手した。ミサの最後に聖歌隊の演奏があったが、混雑の中で美しい歌声とはいえなかった。
正面祭壇の上に有名な黒い聖母像があるが、混雑で近寄れず遠目に眺めただけだ。野外では民族衣装でのダンス競技などもあり、普段にはない体験ができた。この修道院はスペイン内戦の時に民衆側に立ち、庭にはカザルス像もあった。
その夜は、地中海沿いの美しい海岸コスタ・ブラバにあるホテル「Parador Aiguablava」に宿泊(パラドールとは、各地にある国営宿泊施設)。岩壁の景観が美しく、すぐそばまでウミネコがやってきた。
5日目(5/30)、名のわからぬ陶器の街に立ち寄り買物、そしてヘロナへ。この街は、川沿いの石造りの古い建物が川面に映え、絵になる風景である。
午後は、岩城さんが「ぜひ、訪ねてみたい」と、地中海の海岸沿いにフランス国境に近いポルトボウへ。曲がりくねった険しい狭い道をラウールさんの見事な運転で無事に到着。岩壁の多い海岸線、国境の鉄道駅、小さな入江の港、そしてシーフード、国境の街を楽しんだ。
そこからの国境越えは道が狭くて大型バスでは無理と、ヘロナまで引返してフランスへ。国境はフリーパス、「EUは、往来が自由なんだ」と実体験で理解した。
その夜はフランスのペルピニャンのホテル「Mercure Perpignan」に宿泊。街は祭日でひっそり、企業はもちろん個人商店も休み、レストランも閉まっている。最近は、正月でも働かされる日本との違いにうらやましく思った。
夕食は、ホテルの一室で日本から持参のインスタント食品を分けあって楽しんだ。
6日目(6/1)、古い城下町ペルピニャンを歩いて見学。ここでも資格を持つフランス人女性ガイドが同行した。通訳の工藤さんはフランス語が苦手のようだ。
「ホテル」と書かれた建物が市役所。結婚届の署名の儀式をする部屋があり、壁や天井にもきれいに装飾されている。ちなみに離婚届の署名もこの部屋でするそうだ。
古城のマヨルカ王宮も見学。ホテル前の公園内に女性裸像碑があり、何故かカザルスの顔と平和メッセージが刻んであった。
午後、音楽家カザルスにもっともゆかりの深いプラドへ。カザルスは、独裁者フランコの支配からのがれ、このフランスの小さな村に移り住んだ。しかし、ここでもナチスの監視下で自宅監禁がつづいていた。
戦後の1950年、カザルスは、多くの音楽家に要請されて第1回プラド音楽会を開催。その会場になったサン・ピエール教会を見学した。ここでガザルスは、チェロ独奏のバッハの無伴奏組曲を演奏したのである。
カザルスの住居跡は、ミュージアムと言うよりは、カルチャー・センターという感じ。その一隅にプラド音楽祭のポスター、カザルスの演奏写真など貴重な資料が展示されていた。
バスは、近くの古いサン・ミッシェル修道院へ立ち寄った。日本流にいえば廃寺である。土壁で作られた修道院には、13世紀のマリア像、15世紀(?)のキリスト像など貴重そうなものが残っており、広い庭園のアイリスも見頃であった。
その夜は、山の中の古城をホテルに改装した「Chateau de Piell」に宿泊。山頂に雪を残したピレネー山を望むホテルからの眺めは素晴らしい。
7日目(6/2)朝、この近くにカザルスが企画した「鳥の歌」を奏でるカリヨン(複数の鐘でメロディーを奏でる)があるはず、と幾人かが探しに出かけた。下のホテルで見つけ、到着すると同時にカリヨンが鳴りだして大感激したそうだ。私も後からその感激を味わいに行った。
スペインへ戻るためピレネー山脈を眺めながら走る。美しい景色にしばしバスを止めて写真撮影。広大な牧草と雪をいただいた山々、近くには一面に黄色い花、「これも絵になる」と感激。
途中、フランスとスペイン国境にあるアンドラ王国へ。人口5万人余りの小さな国だが、この国には間接税がなく、街には電気製品、カメラ、自動車などを売る大型ショップが軒を並べ、免税(?)目当ての観光客でにぎわっていた。
夕方、スペインのセウ・デ・ウルヘルの「Parador La Seu d' Urgell」(パラドール=国営施設)に宿泊。夕食は、ホテルで持参日本食でのパーティ組と外出しBarでの飲食組に分かれた。私は、もちろんBar組に参加した。
8日目(6/3)は、サラゴサへ直行し、ホテル「Rey Alfoneso W」に到着。
サラゴサの歴史は古いが、2度にわたるナポレオン軍の破壊で古い建物は少ない。17世紀半に建築されたピラルの聖母大聖堂にはゴヤの手による丸天井のフレスコがあるが、、いまは修理中で観ることはできなかった。
聖母大聖堂の前の広場にはゴヤ像があり、その前にはナポレオン軍に銃殺される青年を描いたゴヤの絵から、その青年の姿を抜き出した像が建っている。反戦・平和を求めたゴヤを象徴するものである。
夕方、私や岩城さんの知人で9年前にスペインに永住した高槻の画家、氏家さんが、日本で生まれ育った韓国の馬術競技の元オリンピック選手と一緒にホテルに訪ねてきた。
ディナーには2人も参加、氏家さんがホタ(スペイン民謡の一つ)の歌手としてテレビ出演するなど自慢話を聞き、ホタも披露してもらった。
9日目(6/4)、最終地マドリッドへ向う。途中の景色はドンキ・ホーテの舞台になった岩(石?)の荒野である。ところどころに風力発電の風車が目につき、風の強い地域のようだ。
そんな荒野の中のフェン・デ・トドスの街にゴヤが生家があった。ゴヤの父は、この街の教会の金飾り職人であったそうだ。生家の近くにゴヤ博物館がありゴヤの版画、それも一番刷りのものが多数展示されていた。反戦をつらき社会風刺の版画がたくさんあった。
夕方、マドリッドに到着。ここでの2泊は五つ星ホテル「Castellana Inter Continental」である。設備もよく、日本人観光客も多いようだ。
工藤さんとラウールさんは、この日でお別れ、「どうもお世話になりました。グラシアス」。
マドリッドでの期待は、やはり美術館。先ずピカソの「ゲルニカ」が展示されている国立ソフィア王妃芸術センターへ。ピカソの絵が20点ほどあっただろうか。
その日の夕食は、女性達の提案で五つ星ホテルの1室で持参の日本食を平らげようということになった。飲んべいの男3人は「Barで食べる」と、ホテルを出た。しかし、周辺はオフィス街で適当な店が見あたらず、ファースト・フード店でビールを1杯飲んで引き上げてきた。いまさらインスタント食品を食べるともいえず、私は部屋へ戻り冷蔵庫のワインとポテトチップでガマンした。
10日目(6/5)、朝からでプラド美術館へ。ゴヤ、ベラスケス、エル・グレコなどがそろっている。展示作品の多さに圧倒され、いつも美術書でみる絵の本物がここにあると感動。プラド美術館は、フラッシュしなければ写真もOK。たくさん写したけど考えてみると画集の方がきれいにとれているのだ。
この日が最後とみんなで三越へ。小さな店で日本人しか来ないと思えた。買い物に縁(円)のない私は、近所のBarでスペイン名物の生ハムをつまみに生ビールを2杯飲んだ。代金1.2ユーロー(約170円)の支払いに50ユーロー札を出し、女性店員は困惑顔、札を透かして本物だと確認してから外で両替してきてくれた。
スペインでの最後の晩餐は、予約してあったレストランでステーキ。肉もワインもうまかったね。
11日目(6/6)の帰路は、マドリッドからロンドンを経て関空へ。
この旅は、カザルスゆかりの地を訪ねることが主題であるが、ピカソ、ゴヤなどカタルーニア地方が生んだ偉大な芸術家たちの足跡をたどることもできた。これらの芸術家が、単に優れた画家、演奏家だけではなく、その生きた時代の社会背景の中で反戦を強く意識し、芸術のうえでも、社会生活でも強く主張・行動してきたことがその偉大さをさらに大きくしているようである。
その偉大さにふれ、少しは私の人生の糧にできるのではと感じている。いい思い出もたくさんできた。岩城さんはじめ、お世話いただいた皆さんに感謝、グラシアス。
(2004.7.7記)
ご意見は、こちらから
|