名阪カラーワーク研究会の
  ミニ染色講座(4)
もうひとつの藍


藍色素を含有する植物は世界中に沢山の種類がありますが、染色に実用される品種は指で数える程です。
 

日本の藍植物
日本で使われてきた藍は蓼(タデ)科の植物のタデ藍です。
「蓼食う虫も好きずき」と、ことわざに使われてきたように、昔からタデは私たちに馴染みの深い草本植物です。
郊外の道ばたや空き地、川の土手などで普通に見られるのはイヌタデという種類で、藍の色素は含まれていません。
秋には小さな赤い花を穂状につけて野趣を添えます(白花種もあります)。
幼い女の子達が、つぶつぶの小さな花をままごと遊びのお椀に盛りつけて、「赤のおまんま(ごはん)」と言って遊んだのは、もう昔話になったのでしょうか。
写真の藍タデは滋賀県無形文化財の藍染色家、森 卯一氏(故人)よりいただいた種から20代目の子孫です。
 
野草のイヌタデ(白花種も見える)
Polygonum longisetum
藍色素を含まない(Not contain Indigo)
    開花中の藍タデ
Polygonum tinctrium

そのほか、サクラタデとか、大型観賞用のオオケタデという種類もありますが、これらにも藍の色素はありません。
藍タデは栽培されて受け継がれ、姿はイヌタデによく似ていますが、葉に藍の色素成分を多く含んでいます。
在来種ではありません。織りや染めの技術とともに、飛鳥時代に大陸から渡来したといわれており、分布は日本、中国、朝鮮半島です。
 

中国南部、沖縄などの藍植物
沖縄で使われるのは、現地で山原(やんばる)藍、あるいは山藍と言っている琉球藍です。
キツネノマゴ科の半灌木植物で、タデ藍に比べて葉が少し丸みを帯びており、写真などで見ると、藍タデの一品種であるマルバアイに、やや似ています。
 
琉球藍  (Strobilanthes Cusia)
なお、山藍と呼ばれる植物には、万葉集にも登場するヤマアイ(山藍)がありますが、これは沖縄や台湾で山藍とよばれているのとは全く別の種類で、トウダイグサ科の草本植物です。名前に藍が使われていても、藍の色素成分であるインジゴチンは含まれていません。

琉球藍は、中国では馬藍という名称で雲南や貴州の少数民族(ミャオ族)によって今も盛んに藍染めに利用され、これらの地域の主要産業に役だっています。
その貴州の奥地に藍染めを訪れられた文芸家の大田倭(まさ)子女史は、民兵に守られている藍染めに吃驚されました。
たとえ一枚の葉であっても、持ち帰ることはできません。あきらめていたら夜中に戸を叩く者があり、恐る恐る細めに開けると、藍の葉を一枚持った腕だけが、にゅーと差し込まれたそうです。相手は顔を見せません。民兵に知られたら逮捕されるからです。

大田女史は京都の九条藍が営まれていた村で育ち、藍に興味を持たれて藍を題材にした小説などを出版されています。
中国の貴州から、当時としては命がけで持ち帰られた一枚の葉。その押し葉を持参されて、どういう種類の藍でしょうかと聞かれました。調べてみるとそれは琉球藍だったのです。
亜熱帯性の植物ですから、沖縄以外の日本各地では栽培が困難ですが、メキシコから南米北部あたりまでの亜熱帯地域には、同種の藍植物が分布しているといわれます。
 

アジア南部の藍植物
言わずと知れたインド藍です。
マメ科の灌木で、葉に藍の色素成分を多く含み、これからとった藍は純度が高いために世界の藍市場を動かしてきました。
藍色素の化学名であるインジゴは、インドの地名に由来しています。

インジゴの前身となるインドキシルは、植物の体内では糖分と結合した形のインジカンで存在しています。
そのインジカンは無色ですが、糖成分が酵素の働きで離れますとインドキシルに、さらに空気の働きでインジゴへと変わります。
栽培地のインドでは気温が高いことを利用してインド藍の葉を大量に集め、水に浸けて発酵させ、沈殿したインジゴを煉瓦状に干し固めてヨーロッパに運びました。
ヨーロッパへ船で運ぶためのスエズ運河が、まだできていない時代のことです。

値が安くて純度の高いインド藍がヨーロッパに入ってきたために、それまでヨーロッパ各地で栽培されていた藍植物のウオード(大青)が売れなくなりました。
ウオードで儲けていた地主や豪族達は、インド藍の輸入を阻止しようとして法律まで作りますが、とうとう負けてしまいます。
ヨーロッパ貴族が資金的に没落する原因の一つにもなりました。

しかし、世界の染料市場を仕切っていたこのインド藍も、石炭文明のために廃棄されるコールタールの利用開発研究で、より純度の高いインジゴが廉価に合成される時代が到来するにおよび、一挙に衰退してしまいます。
写真のインド藍は、石垣島の染織家、深石隆司氏よりいただいた種を育成したものです。
インド藍は中米のエルサルバドルでも現在盛んに栽培されていて、天然藍に製品化されています。
 

インド藍(なんばんこまつなぎ)
Indigofera tinctoria
花盛りのウオード(ヨーロッパ大青) 
          Isatis tinctoria
ヨーロッパの藍植物
インド藍が使われるようになる以前は、ウオード(woad)が、ヨーロッパにおける藍染めの原料でした。
アブラナ科の草本でヨーロッパ大青ともいわれます。越年生(2年生)ということになっていますが、栽培した経験では多年生で、条件がよければ何年でも根株が生きます。
そしてその古根は板藍根(ばんらんこん)といい、風邪薬の漢方薬になります。
面白いことに、日本の北海道に、昔はエゾ大青というウオードの近縁種が自生していました。今はほとんど絶滅していますが、先住民族のアイヌ族はそれを使って藍染めをしていたようです。

菜の花の仲間ですから栽培当時のヨーロッパの大地は、花期になると見渡す限り黄色一色が広がっていたそうです。
その葉が地主達の莫大な収入源となっていました。
さて、先に書きましたように、インド藍がヨーロッパに輸入されるようになると、インド藍に比べて藍色素の含有量が低くて生産価格も高くつくウオードは次々と畑から姿を消し、代わりにスペイン人が南米征服の際に持ち帰ったジャガイモが植えられて、それは小麦と並んでヨーロッパの人々の主要食料資源になったのです。
写真のウオードは、藍染色家、村上道太郎氏(故人)の奥様からいただいた種を育成したものです。
 

もうひとつの藍
元、国立民族博物館教授の加藤九祚先生は、定子夫人とともに民族衣装など、中央アジアの民族文化の研究のために、旧ソ連時代の現地をたびたび訪れておられますが、定子夫人はウズベクの女性達による独特の化粧に興味をもたれました。
それは、中国との国境に近いタジク、ウイグルなどに残っている化粧方法で、ウスマという植物の汁を使い、左右の眉を続けて描きます。
写真はそのウスマの葉を売っている人達を、加藤夫妻がバザールで写されたもので、ご夫妻の承諾を得て掲載しました。眉と眉の間を一文字にウスマの汁で描きます。
(加藤九祚・定子編著:「民族生活文化誌」ソ連邦アジア編 衣生活研究社1987年刊より)
 
 
ウスマの葉で眉の化粧をしたサマルカンドの人達 ウスマ(ycma)
  ysatis tinctoria

ウスマの色素が何であるか、興味を持たれた加藤夫人は、少数の種子を筆者に託されましたので、播種育成をしてみますと、へら形をしたやや厚みを帯びた葉を出しました。
翌年の春には菜の花に似た黄色の花が房状に咲きました。
そして、いろいろ検討した結果、ヨーロッパ大青の近縁種であることがわかりました。
葉の形はヨーロッパ種より細くてスラリとしていますのでホソバタイセイの原種であると思われます。
叩き染めをして比べて見ると、ヨーロッパ種より濃く染まることもわかりました。

(藍の叩き染め…布の上に藍の葉を置いて槌で叩き、潰した汁を布に吸収させます。その後、2時間以上おいて藍色素を発色させ、水洗します。さらに石鹸で洗いますと、葉の形をした藍色の模様染めができ上がります)
「古代中央アジアにおける服飾史の研究」で博士の学位を取得された加藤夫人の話では、中央アジア一帯で原住民がウスマを染色に使ったという記録は無いとのことです。
気候風土が藍染めには適していなかったのでしょう。
そして、このようにウスマを化粧に用いる風習は、加藤夫人のその後の調査では、イランやアフガニスタンにもあったということです。
また、同夫人によるその後の情報では、近頃ユダヤ人の移民がこの植物を使って染色をしているとのことでした。

草木染め研究家で、執筆家の村上道太郎氏(故人)を伊豆に訪ねたとき、この話をしました。
そして、この植物の同類が西はヨーロッパのWoad(ウオード)、東へ向かって中央アジアのウシマ、中国の松藍(しょうらん、正しくは松の字に草冠が付く)を経て、太古の昔に陸続きだったサハリンから北海道にまで行き着き、エゾ大青(ハマタイセイ)という一連の属種を形成したではないかという説を提案しますと、村上氏は大変興味を持たれて、狩猟民族がマンモスを追って東に移動した道筋に、ほぼ一致するようだと言われました。

したがって、もしかするとウスマがこれらアブラナ科藍植物の原種であったかも知れません。いずれにせよ、北海道のアイヌ族は、エゾ大青を使って藍染めをしていたばかりでなく、刺青(いれずみ)に似た化粧を施していたと聞いていますので、中央アジアに住む民族に共通した風習が、アジアの東端にまで及んでいたように思われます。
藍を使うボディペインティングは、こうして世界各地で、おそらく藍染めに先駆けて行われていたのだろうと思います。
 
 

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