『旅をする裸の眼』

「群像」2004年2月号。 カトリーヌ・ドヌーブ(Catherine Deneuve)の映画がネタになっているので、レンタルビデオを借りてみています。

■講演会など

中央公論11月号に多和田さんの谷崎潤一郎賞受賞の一文があります。 「夜行列車」は伊藤整賞とのダブル受賞。
タイトルは 「文学的近況 コッキョウとコキョウ」
日本とドイツ。
「比べるのは、どちらが良いからではなく、比べることによって見えてくるものがあるからである。」
よいなあ。 審査員は特に二人称形式を巧みに扱った技を絶賛。 筒井康隆さんが多少の注文を付けられていたが、これはですね、、、
何しろ書かれているものが「夢」なのである以上、「夢本舗」本家の小生としては多少なりとも小うるさい注文をつけなければなるまい。
というのですが、でも、「夜行列車」全部「夢」というわけではないでしょ と、私はこの批評には納得できないのだ。

谷崎潤一郎賞受賞の受賞記念特別講演会(芦屋市谷崎潤一郎記念館)が11月21日。
高瀬アキさんとのセッション(声とピアノのパフォーマンス)もあります。 シアターχでは、2003年11月24日(月)に 「ブレ・BRECHT」 があるけど、ちょど出張と重なってしまいました。残念。

ついでに多和田さんの書かれた書評などの情報。
「新潮」2003年9月号p.248
タイトル「始まりも現在もない神話」
笙野頼子「水晶内制度」の書評。

「新潮」2003年10月(折口信夫没後五十年)号p.221
タイトル「私の折口信夫 むっと温氣が…」
大活躍中です。

■『エクソフォニー』

ドイツ語と日本語で作品を産みだしている多和田さんの言葉と文学を巡るエッセイ。 第一部「母語の外へ出る旅」は書き下ろし、 第二部「ドイツ語の冒険」は、NHKテレビのドイツ語講座テキストで連載されていた内容です。

■『容疑者の夜行列車』が伊藤整文学賞受賞

■『容疑者の夜行列車』が谷崎潤一郎賞受賞

出す作品が軒並み受賞、すごいなあ。作品のクオリティが素晴らしい。
新聞で多和田さんの新作「エクソフォニー」(岩波)の広告を発見。 さっそく手配しなくては。

■『球形時間』がドュマゴ文学賞受賞

■『容疑者の夜行列車』

「ユリイカ」2001年1-12月号に掲載されていた作品です(第11輪は書き下ろし)。 これもタイトルは「夜汽車」のシャレなんだろうな〜。

■『球形時間』

「新潮」2002年3月号に掲載された作品です。 タイトルは「休憩時間」のシャレなんだろうな〜。

■ 変身した22人の女たち

新作『変身のためのオピウム』の各章に登場する22人の女性の 名前の由来などを調べてみました。

■ 「ピアノのかもめ こえのかもめ」

2001年9月に高瀬アキさんのピアノ伴奏で多和田葉子さんの朗読会が 開かれました。 多和田さんの声は、とてもはっきりしていますが、はっきりいって普通の声です。 朗読によくある変な声色はなかったのでほっとしました。 ピアノの高瀬さんがドラえもんのようなファニーヴォイスでしゃべっていたけど、 あれは地声なんでしょうか? 忘れないうちにメモを書いておきます。 朗読に使ったテキストは「すばる」に発表されるそうですので楽しみです。
テキストの一部が「すばる」2002年1月号に掲載されています。

これだけの強烈なイメージ、自分のペースでゆっくり読まないとしんどい。 朗読のハイペースで詰め込まれたのでちょっとクラクラしています。

それでも多和田さんのWEBSITEで公開されている詩の意味をネットでネタにするのは 良いというお言葉を頂きました。
「あれは翻訳できるものじゃないですけど、どういう意味なのかくらいの感じで」
お読みください。 意味についてはテキスト以外の情報を作者からはもらっていません。 寓意の解釈など思い当たりましたら、メールでも掲示板にでも書き込んで教えていただけると 嬉しいです。

■ 多和田葉子さんの公式WEBSITE

とっても芸術的なサイトです。多和田さんの美的感覚って凄いや。 でもちょっとブラウザを選ぶかも。読み方にコツがあるし、コピーや印刷も悩ましい。 なんのことはない、多和田さんの書くテキストと同じですね。 ミステリアスなドイツ語の詩があって、頭を捻っております。 日本語のページもあって、最新情報が載っています。 もちろん作品リストも完璧。 ドイツ語の著作の書影もここから 見ることができます。
Till - Orpheus oder Izanagi”「オルフェウスかいざなぎか」というのは面白そう。
Verwandlungen”って、「変身、転身、変化」の意味なんですが、 なぜか表紙にはひらがなで「ごうもん」と書いてある。ジョークなんだろうか。 Leseprobeってテクストのサンプルが読めるのですね!!今度、訳してみよう。 NHKテレビドイツ語講座「ドイツ語の冒険」を読んだら、 “Ein Gast”を読みたくなってしまった。

最新作はフランス語に翻訳されているようです。 英語の“The Bridegroom was a Dog”って、「犬婿入り」の英訳ですね。 群像に連載された『変身のためのオピウム』は、秋には単行本として出版されるそうです。 「ユリイカ」に連載中の『容疑者の夜行列車』は「枕木」の流れを汲む物語です。

これまでに書いた作品の感想文などを下に置いておきます。 ようやく一番好きな『飛魂』、一番苦手な『聖女伝説』を再読して 感想がまとまりました。 (ちなみに二番目に好きなのは『無精卵』で、これが舞台になったのは、観たかったなあ。 上のドイツ語サイトの解説を読むと、これは多分“Wie der Wind im Ei”だと思います。ちょっと「夜ヒカル鶴の仮面」の雰囲気も感じられます。下にドイツ語の解説を訳しておきます。)

戯曲「卵の中の風のように」
原稿が完成したら燃やしてしまうために9ヶ月間書きつづけている女性、風のように現れ出ていってしまう少女、病的にきれい好きな義理の姉、書くことよりも読むことが好きな詩人、、、これらの登場人物が奇妙な家に放り込まれる。この家を取り囲む樹々の枝は人間の手のように揺り動く。少女はたった一つの文を繰り返し、固い茄子を食べ、噛む。そしてその女性が書いていることを、ずっと美しく書く。他の二人は夢の中のようにどっちつかずの会話をしている。日常について、その女性の男(ある島に住んでいる)について、書くことについて。まったく突然に、我々がこの家の中に投げ込まれたように、再び我々はこの家から放り出され、その女性だけがあとに残る。その合間にさまざまな別世界(ニュースの世界、自然の世界)がその家に侵入しては消えていき、風が歌い、合唱。 実存的な女性の深淵、不安、反社会性について、我々は絶えず考えさせられ、また思いもかけずに笑わされるのである。
2000年はreview-japanの掲示板で、やどかりさんの意見を伺ったのが よい刺激になったようです。 エンターテイメント系の作家に混じって、多和田さんの名前が review-japanのランキングに入ったのも嬉しいできごとでした。 今年も楽しい物語を読ませてくれることと思います。

下にあげた作品の他、『現代語訳樋口一葉 闇桜/ゆく雲他』(河出書房新社, 1997)に 「ゆく雲」を翻訳したものがあります。他の作家の現代語訳と一緒に収録されておりますせいか、 多和田さんにしてはずいぶん抑えた文体です。でも、後書きではいつもの調子でとばしていて楽しめました。 それから、これもreview-japanの掲示板で上山さんから教えてもらった情報で、 渡部直己さんによる『現代文学の読み方・書かれ方』(河出書房新社) の中に多和田さんへのインタヴューが収録されています。 そういえば、2001年はデビュー作「かかとを失くして」から10年 ということで、作家活動10周年になるのですね。おめでとうございます。

『三人関係』(1992)
『犬婿入り』(1993)
『アルファベットの傷口』(1993, 『文字移植』と改題)
『ゴットハルト鉄道』(1996)
『聖女伝説』(1996)
『ふたくちおとこ』(1998)
『きつね月』(1998)
『飛魂』(1998)
『カタコトのうわごと』(1999)
『ヒナギクのお茶の場合』(2000年泉鏡花賞受賞作)
『光とゼラチンのライプチッヒ』(2000)
『変身のためのオピウム』(2001)
『球形時間』(2002, ドュマゴ文学賞受賞)
『容疑者の夜行列車』(谷崎潤一郎賞、伊藤整文学賞)

review-japanの掲示板で話しあった『きつね月』の謎の答が書いてある 『きつね月』の逆襲もどうぞ。

まず、最初に読んだ時のショックと戸惑いをお伝えするために、 昔のメモを載せておきます。

【昔のメモから(初期作品の感想)】
『三人関係』(講談社, 1992)
「かかとを失くして」
(1991年群像新人文学賞)初出「群像」1991年6月号
舞台は現実感のない不思議な町。 書類結婚の相手の姿をみせぬ夫。 異常な学校の教師と病院の医師。 軽食スタンドの男(ここにオチの伏線がある)と 錠前屋の尋常さ。 結末はなんだこれ、である。
「三人関係」
初出「群像」1991年12月号
姓名を持った登場人物。 主人公が聞く綾子の話は、どうも作り話らしい。 綾子は地図にない駅から秋奈と稜一郎夫婦の家で の不思議な出来事を語る。
『犬婿入り』(講談社, 1993)
「ペルソナ」
初出「群像」1992年6月号
ドイツに留学している姉弟、道子と和男。 人種的な偏見、特に東洋系の顔に表情がない と言われ傷つく道子。 アルバイト先の日本人宅でスペイン製の能面を見つけ、 かぶって鏡をみると失われていた表情が現れたような 自信を感じる。 そのまま町に出て和男の待つ店を探す。
「犬婿入り」
(1993年芥川賞)初出「群像」1992年12月号
作品に込められた謎は、最後まで解きあかされず、 宙に浮かんだまま、さまよい続ける。 人間を描くという意味から最も遠い物語、と思う。 主人公の北村も、犬人間の飯沼も、もと妻の良子も 不思議な人間であり、不思議な行動をとり、 その理由は説明されない。 読者は、なんの感動も得られず、欲求不満がつのっていく。 普通の人たちの無責任なうわさ話によって限りなく増殖し、 現実から遠ざかっていく変人たちのイメージ。 うわさ話においては、不思議なできごとの理由は自分で推測して 自分を納得させなければならない、それがたとえ実際の理由や できごとからいかに離れていても、その推測した理由が自分にとっての 現実なのである。
『ゴットハルト鉄道』(講談社, 1996)
「ゴットハルト鉄道」
初出「群像」1995年11月号
ヨーロッパに住んでいる女性作家。 スイスのゴットハルト峠を抜けるトンネルを 身代わりで取材する。 運転手とのちぐはぐな会話、そしてトンネル建設の ために作られたスイスでもっとも醜いといわれる町を訪れる。
・・・日の丸とスイスの国旗がこんなに似ているということには 気がつかなかった。・・・形こそ違っているが、どちらもある表 面を囲いこんで、島のような場所を作り上げている。・・・神聖 な島が孤立している。まわりから孤立して、自分をこっそりと世 界の中心に据えた島の自己欺瞞。
「無精卵」
初出「群像」1995年1月号
これまで読んだ作者の作品のなかで、一番できが良いと思う。 時代も国もわからない世界。 手垢のついた言葉を避けた凝った表現、でも晦渋ではない、 言葉を選びつむぎあげた(この言葉も決まり文句と化しているが) 描写を説明するために、やはり陳腐でも文学的という形容くらいしか 思いつかない。月並みな感想しか書けないというのは、読み手として こういう作品に対しては失礼なことだ。 ねばりつくような文体は、だれの真似でもなく、独自の文体を 持つというのはこういうことかと感心。

内容は、言葉を定義し直す癖を持つ自閉的な作家と物言わぬ戦争孤児、 不条理な結末(オチともいえる)。 作品だけは失われないのがわずかな救いか。 気になるのは、描写の視点が定まらないこと。 例えば手記形式のような作品にしたら、もっと入り込めそうな気がする。

「隅田川の皺男」
初出「文学界」1994年1月号
名前のある土地と登場人物。 謎は主人公の行動の理由であり、 本人にも読者にもそれは知らされない。 レーザーの花が現れる植物園で主人公の右目を 指で傷つけた女は、眼科の女医となって現れ、 不思議な治療を施す。 売春する浪人生ウメワカとの交わり、 お金を払う行為のなかに救いはあったのだろうか。
『アルファベットの傷口』(河出書房新社、1993 『文字移植』と改題して河出文庫(1999))
海外の島にある知人の別荘に滞在してお金になりそうにない 翻訳の孤独な作業を続ける女性の独白と幻想。 主人公はもちろん作者の分身であろう。 島民のうわさを恐れ、翻訳者の仮面の下で自分の本心を さらけ出すことなく文学と関わろうともがいている。 「翻訳」しているのは、 Anne Duden ``Der wunde Punkt des Alphabets'' という作品であるが、独白と対比される訳文は、 単語を読点で区切っただけの未完成品である。 対照的に、独白の部分には、まったく読点がつかわれていない。 しかし漢字とかなの混合をうまく調整しているので、読点なしでも それほど読みづらくはないし、不自然でもない。 太宰治の文章と並べてみると面白いだろう。 テーマは、聖ゲオルグの竜退治の物語で、お姫さまの役割に対する ありがちなフェミニズム的な考察を否定しつつ、 小説ではなく翻訳をすることの意味を探って堂々巡りのような 「ひとりよがり」の独白が続く。 主人公の女性の恋人も偶然ゲオルゲという名前であり、 主人公の翻訳という仕事を否定し続ける。
どこへ行っても三つの役割しか用意されていないのだから。 すなわち聖ゲオルグかお姫さまかドラゴンか。 <わたしはどの役も嫌です。私は翻訳者ですから。>と 言い逃れしてもその時はいいけれど少し時間が経過すると わたしはまた決断を強いられる。
原作の作者との山歩きの思い出が挿入されていて、 若い女性は美しくないことについての考察などは、 実にわかりやすいのだが、次々に難解な描写が現れる。 例えば、島で飼っている山羊の群を眺めるが、 列の最後に期待されていた山羊飼いの姿はない。
<始めからこうと分かっていたらよかったのに。> とわたしたちふたりのうちのひとりが言った。
この場面は何を象徴するのだろうか。 最後に翻訳を終えて郵便局に向かう時に、現実が浸食され 島の男たちがゲオルグとなって立ちはだかる。

物語はまたしても解かれることのない謎を山ほど読者に 残したまま終わってしまう。これがこの作者の作風なのだ。 こういうわがままやひとりよがりが許される作家が希にいる。 謎めいた出来事の意味を探る力は、今の私にはない。 はたして意味があるのか、もっと深く読み込んで考察する 価値があるのかさえ判らない。 こういう作品が文学として研究されるのかもしれないが、 私には単なるたわごととの違いが判らないのである。 もちろん誰にでも書ける文章ではないし、そして その文章に魅力があるから読むのだが、それ以上の価値が 隠されているのかという疑問である。 そんなことを気にする必要などないのかもしれない。 作品と読者の間には、余分な介在物を必要としないというのも 一つの見識である。

しかし、たとえば「かかとを失くして」の結末のような 不条理なオチに、なんらかの深い意味を見いだすことが でき、そこに作者の思想の底の深さが反映されていると したら、それを知りたいと思うのは読者としての当然の 感想ではないだろうか。

*昔のメモを読み返してみると、多和田さんの作品にどう対してよいのか 判らないと戸惑っていたことがはっきりとわかる。 「無精卵」が一番と書いているけれど、その後、独白体の「飛魂」が発表された。 なんとなく、私の期待に応えてくれたような気がして嬉しく読んだのを思い出す。

【今読み返すと(感想とあらすじの紹介)】
三人関係
語り手の「私」は東京にある会社に勤める女性事務員であろう。 複写機のガラスをのぞき込む描写から物語が始まる。 ガラスは透明、透明な肌という言葉。 会社の中のガラスというと、ガラスの天井? どうもそうではない。 「私」は透明なガラスの壁に区切られた会社で透明な肌の人たちと うまくコミュニケートできず疎外されているようだ。
ビルに入るずっと前からガラスの壁が並び、しかも、肌の透き通った人たちが、 その間をぬって、左右に横切っていくのだ。この人たちをよけそこねて、 肌と肌が擦れ合うと、私の肌が服の下で擦りむけてしまう。スケート場でころんだ時 の痛みと似ている。
たとえの新鮮さが素敵な文体。 そんな「私」は三角関係ならぬ三人関係に憧れるが、 以前つきあっていた男性、萩はその気持ちを理解してくれなかった。 「私」は萩と萩の前の恋人章子と「三人関係」になろうと言ったのだが、断られる。 ある日、肌に透明感のない、埴輪の目をした大学生アルバイトの川村綾子がやってくる。 (壁にメモをとめるくせや爪の先がセロハン紙のように薄くなるのは、 何を意味しているのだろう) 綾子は「私」の好きな作家、山野秋奈のファンだと言い、 秋奈の夫、画家の山野稜一郎は以前綾子の高校の美術部の担任だったという。 綾子は山野家のパーティに招待されたと話し、「私」は興味をそそられる。 山野家は葉芹線の終点貝割礼駅の近くという。言葉遊びも秀逸。 やがて綾子が語る山野夫婦との不思議な関係の魅力にのめり込んでいく。 綾子が語るだけではなく、「私」が質問し、細部を補い、一緒に物語を 紡いでいくようになる。
ストーリーを作るのは、簡単だ。 自分のことを話せと言われると、話すことが何もない私も、他人の話なら、 いくらでも作れそうな気がする。 もともと私は何かの出来事に巻き込まれるタイプではないのだと思う。 だから、綾子のような人のまわりに、出来事を作り上げて、綾子をそこに 巻き込んでしまいたい、と思う。
やがて綾子だけの情報源では満足できず、「私」は萩のいとこの杉本に接近する。 杉本は稜一郎の親友で、かつて中近東を一緒に旅したことがある。しかし杉本は 秋奈のことをけなすので、「私」にホモかといわれる。 このあたり、やおい的な雰囲気がある。 やおいといってもいろいろあるけど、基本的に自分ではできない特殊な恋愛に 憧れ、情熱的に興味を示して詳しく知りたがるのだ。 「私」は山野夫婦と綾子の物語に耽溺し、中毒のように渇望するようになっていく。
私は、自分の体験しなかったことや居合わせなかった場所には、 何でも興味があるのだと答えようとして、やめた。
食堂で綾子から聞き出す山野夫婦の世界はますますエスカレートし、 秋奈との妖しい関係、稜一郎との親密な関係が語られる。 やがて稜一郎と「私」は直接言葉を交わし、綾子の物語が虚構ではないかと疑う。 綾子の物語は「私」の妄想となって暴走し、綾子は会社を去る。 杉本との会話で、山野夫婦の話をしていればさびしくないと言う。 綾子との会話で「私」が紛らわしたかったのは、さびしさだったのだろうか。 むしろ孤独を楽しむような性格だと読めるのだけれど。 破綻しかけた物語にすがりつかなくては生きていけないのだろうか。

【しょうもない疑問】
・多和田さんは、ドイツでは「タヴァダ」と呼ばれているのでしょうか?
・もんぺを着て執筆してるって本当ですか?
・『犬婿入り』に出てくる「電報」ってなんですか?
・『ふたくちおとこ』の“え”で始まる節は、なんで「え」で始まらないの?
・『聖女伝説』の装丁は気に入っていますか?
・匿名でポルノを書いたって実話ですか?
・好きな数字は“十七”なんですか?(『かかとを失くして』)