ウェルテルの思いこみが激しく、しつこい性格にはうんざりである。 傲慢、わがまま、お調子者、はっきりいって馬鹿であり、こんな友人がいたら迷惑 なだけで、とうてい感情移入できるものではない。 恋愛の悩みという点では、夏目漱石の『こころ』と似ている。 漱石は先生の「こころ」を描いたが、Kの立場の苦悩の一部を ウェルテルが語っているともいえる。 ウェルテルなんてあらかじめ失っている恋の苦しみだけで死んでしまうのだから、 失恋にプラスアルファの苦しみが加わったKの苦しみはいかほどのものであろうか。 そしてロッテの旦那アルベルトは、もともとなんの負い目もないから 先生のように悩むことはないだろう。 してみると『こころ』の悩みの方がウェルテルよりも数段深いのである。
ミステリである。魅力的な謎があり、最初に読者に与えられる情報量は少ない。 最後に腑に落ちる解決が与えられる。 例えば「密室殺人」という言葉は、情報量の少なさゆえにミステリでは もてはやされているのではなかろうか。 まずは少ない情報で謎を魅力的に語ることができなければ、 読者を引きつけることはできない。 より深く知れば味わいも深くなるものもある。しかし、本当に知り尽くしたところ に人は魅力を感じない。学問においても、人間関係においても、人は 明かされない秘密に最も惹きつけられるのではないか。 寡黙な先生の秘密こそ先生の魅力である。 秘密だから、明かしてしまえばそれまでのものだ。 この話の粗筋を聞いたところで面白さは絶対に判らない。 ミステリでネタばらしをしないのは、読者が自分で謎の解決を知る喜びを 尊重するからである。だから、文庫の背表紙に書かれたあらすじは、 ないほうがよい。 恋愛にしろ求職にしろ、どうせ後悔するのなら、さっさと決めてしまったほうが 良いという教訓はあるのかも知れない。 しかし、どちらつかずで堂々巡りする思考は、結構癖になるものである。
つまり私は極めて高尚な愛の理論家だったのです。 同時に尤も迂遠な愛の実践家だったのです。 奥さんの存命中は秘しておかなければならない話をするのは矛盾だという解説 にあるが、これは一個所修正すれば解決するわずかな傷である。
チェインスモーキングとか連鎖反応のように、読書にも流れがある。 ChainReadction とでも名づけたいような流れに導かれて『ウェルテル』、 『こころ』に続いて、平成版「こころ」と言われる本書にいきついた。 前の二冊が自殺によって幕が閉じられる物語なのだが、この先生は自殺未遂で 助かる。先生は智恵子さんへの熱烈な求婚者ウィリーとの競争で、ハラキリの パフォーマンスをする。 両者とも「あいつと結婚するなら俺は自殺する」と自殺を切り札にして 智恵子さんを脅すのだからひどい話だ。 先生は恋愛至上主義であり、常に満たされず漁色に走る。 そのくせアグネスや響子さんとの関係におそれをなして逃げ出す。 (ドン・ファンと光源氏の比較は秀逸である。長期戦になれば面倒見のよい 光源氏の勝ち。父親との争いに勝ったのも光源氏である。) このへんのノリは村上春樹の『ノルウェイの森』に近い。(こうして読書の流れは続く) 先生は、日本という平和ボケの国で緊張感のない人生を送ることを一度は拒んで 海外に出て挫折して戻ってくるが、やはり生温い現実を嫌ってもがき続け、 もがくことに疲れてしまい、満たされないまま死んだように生きていくのである。 乱暴なことを言えば、登場人物に強烈な悩みを与えてさっさと自殺させたほうが 物語としてはすっきりする。現実にはこういう生き方をする人は少ないけど、 フィクションならそれもいいじゃないか。 自殺を恋愛の切り札にした報いのように、残酷な中途半端な生が与えられてたような気がする。
ところで、自殺はやりかた次第では形勢逆転の大業となる。 太宰治が『ヴィヨンの妻』の中で
トランプの遊びのやうに、マイナスを全部 集めるとプラスに変わるといふ事は、この世の道徳には起こり得ない事でせうか。と書いているが、それは自殺のことだと思う。 いままで責められているばかりの弱者が、理不尽なことに世の同情を集めて 強者を糾弾することができるのである。 自殺は、自分だけでなく他人も深く傷つける。 そんなことを簡単にされたら世の中の 強者(権力者)は困ってしまうので、自殺を楽にさせる手伝いを禁じているの かもしれない。
商人買う得る。
兄ちゃん悟ると、屁ひる。
乳頭丸くす悶って好き?
関東で狩ると、助かるアリスとテレーズ。
いい子休まず、大仏煮つつ。
ふらっと不倫、減るダーリン。
度胸さえあればあなたにも死体の処理ができます、というお話。 帯に「このミス」で第1位だとか文春のミステリーベスト2だとか 書いてあるけれど、ミステリーだと思って読んではいけない。 分類すれば「犯罪小説」であるが、 ミステリのランキングで宣伝するというのは、変である。 きっと審査員の定義が私と違っているのであろう。 ミステリーだったら重要な情報が読者から隠されていて、それを推理する 楽しみがあるのだけれど、いきあたりばったりの杜撰な計画が破綻しないで 結局そのまま通ってしまうのだから拍子抜け。 頭の良い犯人の緻密な計画が、ささいなほころびで崩壊していくという スリルが全然ないんだからしょうがない。
SFに出てくる「存在の輪」である。 警官のお父さんの行動が不明確で納得がいかない。 いつのまに変わってしまったのであろう。 ヒロインを保護する医師甲斐の行動はもっとよくわからない。 ヒロインが泣きすぎる。なにかというと涙、涙で ポイントとなる部分を雰囲気と涙でごまかそうとしているように見える。 もっと話をはっきりさせたいという人は、 広瀬正の『マイナス・ゼロ』を読むことをおすすめする。 ある人から厚生省の統計によると二十代の女性の5人に一人が中絶を経験しているという 話を聞いた。その意味ではこの小説に出てくる女性は現代を反映しているといえよう。
もぐらのチカちゃんのギャグ、わかる人いるのかなあ。
♪もぐらのチカちゃん、いったとさ、なんなんなごやの地下はっちょう
なんて、名古屋地下街のCMソングがあったという、かすかな記憶があるだけ。
最近(1999.1.)名古屋の地下鉄にのってびっくりしたのだけれど、
チカちゃんのキャラクターを名古屋地下街のつりポスタに見つけた。
昔とずいぶんデザインが変わっていたけれど。
理論屋さんで思考力、というよりも思考のための集中力を高めるために
煙草を吸うという人がいる。
煙草で頭が良くなるわけではなくて、問題の要を乗り越えるための
助けとして必要という。
さて、例によって天才が登場する。数学者の天王寺翔蔵博士。
またしても地下室に閉じこもって生活している。
三ツ星館の描写はとても素敵である。こういう建築を考え出す才能はすごいと思う。
これまでのところこのシリーズにはいつも特異な建築物が関係しているので、
綾辻行人の「館」シリーズを彷彿させる。
しかしオリオン像消失なんていう簡単な謎に悩んでいるような天才では情けない。
裏表紙の北村薫のあおり文句にもあるけれど、本当のところは
読者が優越感を味わえるように計算されているのかな。
しかし、解が不定であるというのが要のオチなんですか。
ほんとかよ!?なんだかなちょっとがっかり。
電子メールの年賀状というのは、スペースシャトルでツタンカーメンを 運んでいるようなものだ。
早乙女ボンド之介のシリーズで、前作の『奇想天外殺人事件』(講談社, 1984)
よりも一段とギャグが濃い。
どのくらいハチャハチャかといえば、表題作では容疑者が被害者である。
つまり被害者は中国系で名前が「容疑者」という設定。第一発見者が「犯人」。
事件とか無実などという容疑者の友人が登場して捜査は混乱するのである。
「支離滅裂殺人事件」では、松戸菜園テスト研究所の松戸歳圓博士が発明した
殺人事件発見装置が発見しただけで被害者も犯人もいない殺人事件を推理する。
こんな事件を解決する早乙女ボンド之介は本当にすごい。