高橋源一郎『ゴヂラ』 (新潮社, 2001)
やたらとカンのよい警官、漂流するカラオケ教室のギャグで軽く笑わせておいて、得意のギャング的奇妙な小説世界へ。その世界には
…ものすごい秘密が。そして、その鍵を握っているのはゴヂラなのだ。そして……。それから先はよくわからなかった閃きはある。なにかの核心がわかる。だが、わかるのは核心だけだ。核心だけがわかるというのは、実際のところほとんどよくわからないのと一緒だった。石神井公園の周りに「正義の味方」タカハシさん、マリリンとしゃべるヌイグルミ、悪の手先『影の総裁』とキャットウ−マン、そのボス、掃除し続けるレレレのおじさん藤井貞和、谷川俊太郎、夏目漱石と森鴎外、火星人といったメンバー(?)がばたばたと走り回る。
森高千里の脚に小沢一郎の声。どうなってんだ。美意識がないんじゃないだろうか、うちのボスは。わかる人にしか分からない芸能ネタも含めて、これは楽屋オチである。「作者からのお知らせ」でちょっとメタフィクションしたあと、結末は「世界の秘密」に気がついた男。これも一種の楽屋オチだ。ちょっと(期待していた人にはかなり)脱力。松本小雪さんのイラストの脱力具合とよく合っているともいえる。
ドナルド・バーセルミ『王』 (柳瀬尚紀訳, 白水社, 1995)
この小説は、パロディなのだろう。原典を読まないと本当のおもしろさはわからないかも。“EZRA POUND SPEAKING”(Greenwood, 1978)という演説集なんて手にはいるのかな。
アーサー王と円卓の騎士たちが長生きをして、第二次世界大戦を戦う。王妃の浮気、新聞記者などマスコミの噂を気にしながら。時々挟み込まれる説明的会話文(!や?で終わる)の文体が面白い(訳者あとがきで柳瀬さんが真似している)。 物語は、その会話文で始まる。
「見て!あそこをラーンスロットが!」そして、同じ文体の会話文で終わるのである。
「馬を飛ばしていく、飛ばしていく---」
「なんて疾く駆け行くこと!」
「鬼が乗り移ったかのごとく!」
「ラーンスロット卿が林檎の樹の下に横たわり、眠っているぞ!」地の文を排し、語り手となる視点人物も排し、下手なマンガの説明過剰なセリフのような会話が醸し出す雰囲気ってのが、狙った効果なのだろう。おもしろいじゃないか。まあ、これだけで全部を書くのは読む方も疲れるから、時々挟み込むだけに留めて置くのは正解。 ただ、全編を通して会話の面白さは格別で、会話文体で書かれた作品とでもいえそう。
「どうして馬にまたがらないの、弛まず馬を駆って次から次へと冒険に出ないのかしら?」
「たぶん疲れ切っているのだ!」
ライアネス、エドワードの会話。
「なぜ彼らと戦っているんです?」グウィネヴィアと褐色の騎士
「彼らは狂ってるの。わたしたちは正気」
「どうして分かります?」
「わたしたちが正気だってことを?」
「ええ」
「わたしは正気?」
「どう見たって」
「で、あなたは自分が正気だと思う?」
「思います」
「じゃあ、分かるじゃないの」
「でも彼らだって自分たちが正気だと思っているのでは?」
「分かっているんだと思う。自分たちが正気でないってことを」
「それは大変な思いをしているでしょうね。ますます激しく戦わなくちゃならなくなる、真実だと分かっていることを否定するために。自分たちが正気でないってことを否定するために」
「容認し難いって、どういうこと?」アーサー王の言葉
「容認し難いのがどういうことかは申せません」褐色の騎士は云った。
「変わりますからね、状況次第でで。状況によっては、現在容認しうるものが、以前容認し難かったものよりも大きいと、ある日、宣言することにもなりかねませんでしょう。罠に陥りたくはありません。だからわれわれは『ほとんど容認し難い』という決まり文句を使うのです」
「王、王、王。根本的に馬鹿げた考えだ、片方の男が片方の男より血筋が優れているなどとは。犬ならともかく。犬の血統だよ、全く、犬や馬だ。」
「以上に準じて、また以上に由来して、王の苦悶する内的混迷があるが、それについては話すことができない。というのも話せばそれは内的なものでなく外的なものとなり、また内的なものを内にとどめておくのが王たる者まさしく本質なのだ。たしかに不機嫌にもなるよ。」そしてまた説明過剰の会話体。
「万人を永久に幸せにする爆弾!少し前に青の騎士がしゃべっていたのと同じ爆弾か?」王は原子爆弾の製法を知りながら、「騎士の武器ではない」と言って用いないという高貴な決定を下す。こういう決定を下すのは王の「消極的能力」と呼ぶのだそうだ。このあたりが(真面目な)バーセルミさんの主張かな。
「オペラで使われているのは、青の騎士が提案したようなコバルトではなく、大胆なユーフォニウム!」
「なんだね、ユーフォニウムとは?」
「ユーロピウムとユーリキウムの合成。一幕で、それが発見される。二幕で、それが精製される。三幕で、それが爆発!」
古処誠二『未完成』 (講談社NOVELS, 2001)
『アンノウン UNKNOWN』に続く朝香二尉と野上三曹自が活躍する自衛隊ミステリ。 今回の舞台も自衛隊基地だが、伊栗島という孤島にある。船酔いで苦しみながら朝香は相棒に指名した野上を連れて島に赴く。島の人口は161人。おいしいコーヒーにも事欠く島の基地の射撃練習場で、六四式小銃が紛失した。しかも射撃練習中、怪我をした島の民間人を輸送するヘリコプターが離着陸するのを見上げている間に、塀で囲まれた射撃場の中からである。
僻地の基地に勤めるまじめで好感の持てる自衛隊員たちが描かれる。第二次世界大戦における玉砕、破壊された地下壕、帰化した韓国人の運命、武器を持てない監視員、理解のない視察団など自衛隊や日本の国防の問題点、歴史的悲劇が浮き彫りにされる。射撃訓練で必ず助手が着くのは何故か。新入隊員を試す巡察の罠、物品愛護の精神。どこまで本当の話なのかわからないが、いかにもありそうなリアルな描写である。 朝香は、自分たちは将棋の駒、勝手な動きをしたら棋士が読めなくなってしまうと言いながら、
「駒は自分を動かす棋士に疑問を感じたときは、それをかならず是正しなければならない。でないと、後々『命令に従っただけです』などという言い訳を使うことになる。非常に矛盾しているようだけど、どちらか一方だけでは組織は成り立たない。」と続ける。職務に忠実であることと現実との矛盾が事件の鍵になっている。 前作同様、自衛隊の問題にも踏み込みながら、合理的に謎が解かれる。自衛隊の規律がさまざまな証拠の輪郭を際だたせるので、謎解きの舞台には適しているのかも。例によって読後感も良い。
加納朋子『日曜日の水玉模様』 (集英社, 1998)
これはだめである。加納さん、ずいぶん無理をして書いていて、それが分かってしまうから読んでいて辛い。片桐陶子の恋愛をからめたミステリーなんだけれど、主人公とお相手の萩の境遇をかなり特殊な設定にしている。ビル荒らし事件、薬事件、尾行事件、迷子事件、窃盗事件、嫁菜寿司事件、トラック事件とくるが、どれもホームズの挨拶的な推理。いまどき時計塔の鐘が遅れて時刻を間違えたなんてアリバイは通用しない。迷子の謎解きもこじつけ。商売相手の犯罪を知りながら取引に利用するなんて、最低である。こんなに無理をするくらいなら、謎抜き犯罪なしの恋愛小説を目指した方がよいと思うよ。
上遠野浩平『殺竜事件 a case of dragonslayer』 (講談社NOVELS, 2000)
ファンタジー世界のミステリー。魔法にも法則らしきものがあり、魔導師が呪文で戦況を操る。超絶的な生物である竜が、たかが人間に殺されるという事件。
とある戦争の調停に乗り出した七海連合は、風の騎士ヒースロゥ・クリフトと仮面の戦地調停士エドワース・シーズワークス・マークウィッスル(ED)を竜の棲む地ロミアザルスに送る。竜は争いを好まないし、ロミアザルスの竜は人間とつきあいがよいらしい。語り手は見届け人のレーゼ・リスカッセ特務大尉。肝心の竜が殺されているのを発見した三人は、村人たちから疑われ、犯人探しの旅に出る。EDは一ヶ月以内に戻らないと死ぬ呪いをかけられる。竜と面会した人間を訪ねる旅の終わりに、意外な結末が待っていた。
いつまでもこのメンバーで旅を続けていっても面白いと思う。旅先で出会うキャラも使い捨てにするにはもったいないくらい。ただ、謎解きに苦労した旅の出会いが何の役にも立っていないというところがストーリーとして弱いんだな。
上遠野浩平『紫骸城事件 inside the apocalypse castle』 (講談社NOVELS, 2001)
『殺竜事件』の続編で同じ世界(パラレル・ワールドらしい)のミステリー。伝説の魔女リ・カーズが建てた魔のエネルギーを集めるという紫骸城。リ・カーズと仇敵オリセ・クォルトの時空を超えた戦いの最後の舞台であった紫骸城で魔導師ギルドが開く限界魔導法決定会で参加者が次々に不可解な方法で殺される。
前作で活躍したヒースロゥ・クリフトと仮面のエドワース・シーズワークス・マークウィッスルは登場人物の思い出話に結構出てくるし、本体も最後にちょっと登場する。 かわって前作で話題になっていた双子の戦地調停士ミラルとキラルが怪演、謎を解く。 語り手は立会人として呼ばれたフロス・フローレイド魔導大佐。かつて風の騎士ヒースロゥとともに難事件を解決した英雄である。 擬人器U2Rというのはスターウォーズのパロディか? リ・カーズが竜の殺し方を人に教えるエピソードなど前作との絡みも怠りない。 死人の審判長、ブリキの赤ん坊、殺人鬼の意識を封じ込めたしゃべる壁など不気味な雰囲気の中、意外な事件の真相が明かされるのだが、正直言ってピンとこないなあ、このトリック。つっこみどころ満載。氷柱を認識できたりできなかったりとか、小便はしなかったのかとか。そんな強力な魔法があまり知られていないと言う設定もねえ。
京極夏彦『どすこい(仮)』 (集英社, 2000)
京極さんもついにネタ切れか、こんなつまらないパロディまがいのものを書くなんて、と思わせるのが作者のねらいでもあり、作品中でもさんざん自己批判をしているので、そういう感想を書くのはかまわないと思う。
喜劇であれば、オチがいまいちである。タイトルと著者名のパロディぶりは素晴らしいのだが(南極夏彦「パラサイト・デブ」N極改め月極夏彦「すべてがデブになる」なんて秀逸)。忠臣蔵、力士ねたで、冒頭「地響きがする--と思って戴きたい。」で始めて、オチに頭捻り(ずぶねり)という技を持ってくるパターンを繰り返す。「理油(意味不明)」では、地の文を使った巧妙な叙述ミステリが使われている。少し感心。こんな小説なのに、ページをまたぐ文がないという、あまり意味のない版組の規則にこだわり続けるのも、あきれながら感心。
概ね--間違いはない。好き勝手に暮らして来たと思っていたが、簡略に纏められるとそれなりに筋が出来上がっているから不思議だと思う。自分の人生なのに--である。なんとか最後に怒濤の寄りでまとめた力業に、感服したでごわす。