1. 角田光代『地上八階の海』
2. 町井登志夫『今池電波聖ゴミマリア』
3. 氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』
4. 鯨統一郎『なみだ研究所へようこそ!』
5. 森博嗣『魔剣天翔 Cockpit on Knife Edge』
6. 森博嗣『恋恋蓮歩の演習 A Sea of Deceits』
7. 森博嗣『6人の超音波科学者 Six Supersonic Scientists』


角田光代『地上八階の海』 (新潮社, 2000)

「真昼の花」(新潮1995年12月号)
バックパッカーと呼ばれお金をかけずに長期間海外を渡り歩く若者たち。 <私>は、旅に出たまま帰らない兄が一つのきっかけになって、旅に出る。 お金のある間は地元の人とも楽しく過ごしたのだが、 金をだまし取られて極貧生活に陥った<私>は、窮状の中で旅の新しい一面に触れる。 安ホテルの部屋をシェアすることになったやはり貧乏旅行者のアキオと名乗る若者は 金は貸してくれないが、 「金なくなっても旅続けたいと思ってたら、どうとでもなるもんだよ。」 といろいろアドバイスしてくれる。 角田さんは旅する若者の生態をよく描いてきた。 なぜ彼らは旅に出るのか。この作品では、<私>は金を貸してくれるという 年長の男から、お金を持たずに旅を続けることが信じられないと言われて

「不安より、魅力の方が上まわるから」
と答える。 主人公は旅に魅力があるとしか答えることができない。 でも作家としてはこれでは困る。その魅力を言葉にして読者に伝えなければならないんじゃないか。

「モラトリアムを伸ばしすぎて現実に帰れない」
「どんなに長くいたって旅は旅だ、生活じゃない。生活じゃない部分で生活の真似事が できるから魅力的なわけでしょう。」
この男の言葉に、私は素直に納得できる。私はバックパッカーにはなれない人間だ。 <私>は男の言葉を非難するでもなく、議論するでもなく、語りたいだけと切り捨てる。 そんなことはわかっている、でもしょうがないじゃないか、、、

問いかけに真正面から答える代わりに、作者は バックパッカーの悲惨な末路を描いてみせる。 そこから先は自分で考えろと。こうなるかもしれないけど、やはり行くのか。 答ははっきりしている。理屈ではない、旅に出たいという熱病に冒された若者は いなくなることはないだろう。

「地上八階の海」(新潮1999年6月号)

「子供たちが縦笛を吹きながら通りを歩いている。」
細部を詳細に描写することで現代の生活を現実的に切り取ってみせた。 文体は違うけれど(ずっと読みやすい)、金井さんの『恋愛太平記』とよく似ている。 描かれるのは、ちょっと変わった家族、ちょっと変わった仕事、ちょっと変わった 別れた男からの手紙、ちょっと変わった訪問者、ちょっと変わったチラシなどである。 しかし、変わって見えることにはすべて合理的な(つまらない)説明がある。 たとえば、兄の家族が住むマンションの一階に母が引っ越す。その母の様子がおかしいと 兄の妻(つまり義姉)のユリコから電話がかかってくる。 なぜ母がボヤを起こしたのか、だれかに嗅ぎまわられている言い出したのか。 作品の中では説明されないことも、きっとちゃんと説明が付いてしまうにちがいない。 ここにあるのは、うんざりするほど絶望的な現実なのである。 夢も希望もない。 このことに気がついた若者がバックパッカーになってしまうのかもしれない。

町井登志夫『今池電波聖ゴミマリア』 (角川春樹事務所, 2001)

名古屋の今池は、新宿のように若者を集めるエネルギーはないが、 悪徳だけはしっかりためこんだような、中途半端な繁華街だ。 新宿が「魔界都市」なら、今池は「ゴミ溜都市」というイメージなのかな。 物語の中では、日本の財政が破綻し、もはやゴミの収集さえなくなってしまう。 町中に捨てられたゴミが積み上がる。日本の失業者は一千万人。 現在からこのまま続いていくような腐臭漂う救いのない未来。

こんな街にはいたくない。
こんな国にはいたくない。
と若者たちの心はすさんでいる。 高校は組織(フラタニテ)の権力争いの場であり、どこにも属さない 森本聖畝は、腕力に勝る白石の子分という立場でかろうじて生き延びていた。 白石は風俗店『ラグーン』のマリアという街娼に入れあげ、通うのに必要な金(ペラ)の ために危険な仕事(トラボー)を引き受ける。 この世界の成功者はゲーム感覚で相場を操るジュニア・サイバー・ディーラー(JSD)。 特殊な才能で十代で莫大な金を稼ぐ。白石はJCDの西原真紀の自宅に押し入り、 ペラを奪うが、聖畝が盗み出したディスクの中身が政府の秘密を暴き出す。 政府が取った少子化の進む社会を救う起死回生の手段とは何か。 結末もまた救いがないが、救いがない未来の物語なのでしょうがない。

「滅びの美学」というものがあるとする。 なんだって滅ぶときがくれば、滅ぶのだ。 とすれば、醜くあがくよりも、静かに滅びを受け入れることはできないのだろうか。 私は、絶滅動物を保護して無理矢理繁殖させるようなことを良しとは思わない。 人類のせいで絶滅しかけている種はたくさんある。 静かに滅んでいくのを見守ってあげることも一つの責任の取り方だと思う。 人類だっていつかは滅ぶ。その前に(そう遠くない未来かもしれないが)、 日本は滅んでしまうかもしれない。 日本が滅んでいくとき、この作品のような 地獄のような社会にならざるをえないのだろうか。 そんなことはないよ、とほっとさせてくれる作品もある。 「ヨコハマ買い出し紀行」(芦奈野ひとし, 講談社)では、人口が減っても田舎の ような人情の残るのんびりとした世界を描いている。こちらの世界では、政府とか 権力欲の影はほとんど感じられない。 どうせならこういう未来を持ちたいものだ、と思っていた。

「今池」では、フラタニテ間の抗争に勝って高校を支配した滝川のキャラが実にいかしている。悪役なのだが。滅びをあくまでも拒否してあがいてみせるバイタリティには希望さえ抱いてしまう。こういうのを読むと、最後まで全力で滅びに抵抗しようとするのも 別の意味での美学かな、と思ってしまう。 逆によくわからないのは、マリアのどこがそんなに白石を引きつけたのか、という点。マリアの悲惨な境遇は明かされるが、あそこまで白石を引きつけた魅力については納得できる説明がなかったのがちょっと不満。 それから、作者は自動車のマニアではないみたい。高級自動車がよく出てくるけど、 イメージが全然つかめない。

氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』 (集英社コバルト文庫, 1991)

このシリーズは同じコバルト文庫で1999に復刊されていて、イラストが変わったり後書きがついたりしている。ついに本編8巻+アンコール編2巻を読破。物語時間では本編8巻<<炎上編>>で師(そち)の宮が完結。長い物語でした。子供の代の物語は書かないのかな。

平安時代を今の日本語で書くという面白い試みだ。橋本治さんの桃尻語訳「枕草子」などはあるが、オリジナルの物語でこれだけのスケールのものは珍しい。それから、少女向け小説のパターンを踏襲しながらとんでもなく新しい試みをしているともいえる。基本的にはミステリー、陰謀ものなんですね。ところがワトソンはいなくて、謎を探る探偵役と語り手を瑠璃姫が一人でやっている。そう、本編では視点は<あたし>、瑠璃姫で統一されているところがこの物語の特徴であり、弱点にもみえる。これはハードボイルドの形式なのだ。つまり、陰謀を語るのに、勝手に神の視点で悪者たちの部屋の中の会話を描写するなんてずるい手法を使わないのが氷室さんの挑戦なのである。これは舞台が平安、主人公がお姫様だけに一見ひどく無理がある。おてんばなお姫様がこっそり屋敷を抜け出して、悪者の屋敷の床下で盗み聞きをするなんて展開になってしまう。手紙の片言から推理を展開し、罠を仕掛け、敵を陥れる緻密で冷酷な頭脳と無鉄砲で情に厚いなんていう矛盾した人格を一人に納めなければならない。突拍子もない行動の結果、「モノノケ姫」ならぬ「物の怪憑き」の姫と呼ばれてしまうのである。瑠璃姫が自分のことを冷静に見つめて描写する視点はそれなりにありかなとも思うのだが、そこまで客観的な評価ができるのなら、そういう行動はないだろうとも思う。統一されていない人格。この謎の答は、若さである。

そう。人妻といっても瑠璃姫は18歳、若さ故にパワーがあふれているのだ。平安朝の貴族の娘という教養と若いパワーで説明が付いてしまうところが、この設定のミソである。 といっても違和感はぬぐい去れない。死んだと思っていた瑠璃姫の幼なじみの吉野君(よしのくんではない)が実は生きていた!?という吉野君へのこだわりが瑠璃姫に無茶な行動を起こさせる。幼なじみの思い出が全編を貫いているのである。ここまで強く子供の頃の思いが続くものだろうか。自分にそういう友達がいないので、不思議なのだ。2巻では唯恵という美形の坊主が鷹男の帝を狙うという謀反に瑠璃姫が立ち向かうのだが、それにしても初夜の場面をさんざん引っ張っておきながら、「初めての夜に燃えて」って、そういうオチですか〜。結局「瑠璃姫にアンコール!」(『続ジャパネスク・アンコール!』)の最後で

あたしたちは今までになく、仲良しになった。
までおあずけなのである。

昔、山内直美さんの漫画で読んだときは、自分勝手な瑠璃姫よりも女房の小萩のキャラに妙に感情移入しやすかったような記憶がある。小萩の視点で語られる「小萩のジャパネスク日記」(『続ジャパネスク・アンコール!』)には幼い瑠璃姫にたぶらかされた思い出があり、やはり幼い頃の思い出に縛られている。守弥が語る「ジャパネスク・スクランブル」(『ジャパネスク・アンコール!』)でも子供の頃の思い出が守弥の異常な高彬への傾倒の動機になっている。子供なんてとてもそんなに義理堅いもんじゃないですがな。子供を育ててみても、よーくわかったのだが(それともうちの家族が薄情なだけ?)。

先に述べたように瑠璃姫の性格は統一されていないのだが、お相手の高彬の性格がチグハグである。訳知りで有能なのに、時々やけに弱気になったりする。これにはもちろん、帝がなにより大事という平安貴族の価値観が反映しているのであるが、帝をなんとも思わない瑠璃姫の存在を際だたせている。これもまた高彬の若さが説明になる。公達とはいえ、十代である。オトナの巧妙な(あるいは執拗な)言葉や駆け引きで心を動かされ、猜疑心にかられ、情緒不安定なのだ。見栄えのよい若者が競い合う平安貴族社会は、今で言えばジャニーズ事務所か?瑠璃姫だって、結局男を見るのはまずは吉野君に似ているかどうかと形(あるいは声)から入るのである。

守弥が視点人物になるもう一編「守弥のジャパネスク・ダンディ」(『続ジャパネスク・アンコール!』)はすごい。記憶喪失の男の視点というのは、記憶喪失状態から物語りが始まるのは読んだことがあるけど、途中から記憶喪失になるというのは、初めてだ。作者は瑠璃姫が京に戻るために、どうしても吉野君の亡霊に

「瑠璃姫、もう、いいですから、お帰りなさい」
と言わせたかったのだなあ。

鯨統一郎『なみだ研究所へようこそ!』 (祥伝社NON NOVEL, 2001)

メンタル・クリニック「なみだ研究所」の所長波田煌子は十代にみえる野暮ったい女の子。 新米臨床心理士の松本清くん(自称ハンサム)は、なみだ研究所に就職、一見素人、行き当たりばったりの波田所長の治療法に疑問を抱きながらも、会計の美女小野寺さんに惹かれつつ、一人前になっていく。こういう三角関係だと、小野寺さんは性格に問題があるとか、悪役にするのが常道だと思うのだが、、、

フロイト流の治療法と自称する波田所長はクライエント(患者)の話を聞くうちに、症状の原因を推理して、はたと涙をながすのである。謎解きはとんでもない飛躍やらしゃれやらなので、現実的な推理を期待している方には向かないけれど、読みやすくまとまっているので私的には○。中でも「憑依する男の涙」が一番面白かった。花見のエピソード、腹話術でしか話せない患者(イッコクドー憑依現象)、所長の思いつきで始めた自由連想法の治療は、松本に連想ゲームだと酷評されるが、実は、、、というオチもよい。

森博嗣『魔剣天翔 Cockpit on Knife Edge』 (講談社NOVELS, 2000)

SMシリーズを思い起こさせるような比喩を多用した描写が楽しい。 物語も作者の好きな飛行機の話なので、ノリノリである。 曲芸飛行の技を息子に解説する紅子さんは、実にうれしそう。 航空ショーで曲芸飛行中の飛行機の中で起こった殺人事件というとんでもない奇想を うまくまとめている。ダイイングメッセージも出てくるけど、 各務亜樹良と関根朔太画伯の登場は次回作にもつながってくる大事なエピソードだ。 小鳥遊くんの過去、というか少林寺を始めたきっかけも語られる。 フランスの富豪が取り返したいというスカイボルト(エンジェル・マヌーヴァ)は どこにあるのか。 パイロットの関根杏奈は小鳥遊くんの大切な先輩で、関根朔太の娘という。 なかなか顔を見せない謎の画家とアクロバット・チームの深い関係。 (アクロバット・チームの名前もエンジェル・マヌーヴァなのである。) 保呂草さんは海外では名の売れた怪盗だったのね。なんかルパン三世みたい。 “秘宝”エンジェル・マヌーヴァを盗み出すのを依頼されるのだが、これを巡って また別の物語が書かれたようである。 脅迫文に織り込まれた名前の暗号は読者への宿題になっている。うーむ。 一字ずらしの術ですか。でも答が判っていないととけないパズルだよね。

森博嗣『恋恋蓮歩の演習 A Sea of Deceits』 (講談社NOVELS, 2001)

前半の恋愛小説がよい。もちろんトリックの伏線になっている。 最大の謎は豪華客船から消えた絵画なのだが、怪盗の取った手段は? ミスディレクションにもひっかかりました。このへんはうまい。 保呂草さんを慕う紫子ちゃんがかわいそうな結末である。

森博嗣『6人の超音波科学者 Six Supersonic Scientists』 (講談社NOVELS, 2001)

とにかく紅子さんと七夏さんの陰険な仲が強調されるのに、 林警部の魅力が全然描かれていないのですっごく不自然。 個人識別に頭蓋骨の超音波像を使うというのは面白い。



Copyright(C) 2002 SASAMI. All rights reserved.
[濫読の戒め]

[目次]