プーシキン『オネーギン』

池田健太郎訳、岩波文庫

「もの思う葦」で、「君の兄たり友たり得るもの、プウシキン、、、」、 「わが半生を語る」では、「誰よりもロシアではプーシュキン一人と いってもいい位に傾倒しています。」と太宰治は書いている。 それで、読んでみました、プーシキン。 ここで語られるのは、取り返しのつかない間違い、人を死なせてしまうこと である。オネーギンは何の不自由もなく暮らせる裕福な地主でありながら、 虚無的な生活を続け、あげく女性をめぐって親友と決闘、撃ち殺してしまう。 作者は残酷で、最後にはオネーギンに永遠のばつの悪さという罰を与える。 太宰はこの物語を読んで、自分のことが書かれているように感じたかもしれ ない。物語の中、いたるところに作者が顔をのぞかせ、登場人物を評し、読 者に語りかける。このへんに太宰はかなり影響されているようだ。

1823-1830の七年間かけて書かれている。プーシキンは、1799年生まれの詩人。 「オネーギン」も韻文小説である。1837年に決闘して撃ち殺されている。 小説とのなんという暗合であろうか。37歳と8ヶ月の生涯。


マイヤー=フェルスター『アルト=ハイデルベルク』

丸山匠訳、岩波文庫

「ローマの休日」の王子様版。魯迅の「故郷」にも通じるものがある。

津島美知子『回想の太宰治--増補改訂版』

人文書院

自分の夫をずいぶん客観的に書いている。もちろん、実は愛していなかっ たからとか、時間が経ったから冷静に振り返ることができたとかいえるの かもしれない。女性だったら、夫が他の女と心中したら愛想を尽かしても おかしくないし、本心を語れば冷静ではいられないのだろうとも思う。だ から太宰の最期には触れられていない。しかし、あとがきで園子さんと里 子さんが書かれているように、夫人は本当に強い意志で自分を押さえて、 自分にしか見せなかった夫の姿を記録するという自分の使命を果たそうと 懸命に努力されたのである。我々としては、書かれていないことによって 夫人の胸中を推し量るのみである。その執筆の姿勢にも興味をそそられる が、臨場感のある内容は好奇心を満たすためだけではなく、創作の秘密の 一端を窺わせる貴重な資料である。

夫人は、その眼で見た出来事と、太宰の描いた作品世界とのずれを一番 知っていた人である。例えば「海」で描かれなかった家庭団欒について、 当事者だからこそ、非難めいたことを書かざるをえなかったのだろう。

御坂峠の章では、「こんなに自分のことばかり書いて---この人は自分で 自分を啄んでいるようだ---そんなことを感じた」と書いている。次に、 「「I can speak」の女工さん姉弟の姿と声とは、幻で見、幻で聞いたの であろう。」と虚構を「幻」とみなしている。その間に、現実と作品の ギャップが判ってきたのだろう。

太宰の書いた世界は、明らかに美知子夫人の見た世界からずれていた。 もちろん、大地主の世界、作家の世界は、我々のような凡百の窺い知る ところではないのだが、それでも一つの現実から何かを感じとって虚構 を作り上げる過程に、精神のレンズの大きな歪みの存在が感じられる。 その歪みは、皮肉なことに結婚と戦争というプレッシャーによって いくぶんかの修正をうけて、我々の世界に焦点を結んでくれた、、、 それが中期の作品群として結晶してくれたのかもしれない。そして、 戦争の重しがとれたとき、レンズの歪みがまた変わってしまったとも 思えるのである。

最後に、微妙なぼかしかたをしているのだが、賽ノ川原のイタコの口寄せ を中心とする祭りで、どうも交合の出会いもあると推測しているのだが、 あのたけさんも野宿したというのは、なかなか衝撃的である。


コードウェイナー・スミス『シェイヨルという名の星』

伊藤典夫訳、早川文庫

「クラウン・タウンの死婦人」ド・ジョーンとエレインの反乱で、 ジョーンのモデルはジャンヌ・ダルクだという。 「愛は硬くて悲しくてきたないことば、冷たいことば、古いことばです。 いろんな意味をいっぱい詰め込みながら、ほとんど何も約束していない。」 と言いながら、後半「愛」を連呼して死んでいくのはなんだと言いたい。

コードウェイナー・スミス『鼠と竜のゲーム』

伊藤典夫・浅倉久志訳、早川文庫

「スキャナーにいきがいはない」(浅倉久志訳)の異様な世界は、 作品の持つ力がどれほどのものかを知るお手本です。 処女作であり、売れない雑誌に載ったにもかかわらず、、、である。

小泉喜美子『弁護側の証人』

出版芸術社

前から噂だけは聞いていたが、書店では見つからず手に入らなかった作品。 読み終えて納得。確かに叙述トリックの先駆的名作でした。

ストリッパーのミミイ・ローイ(漣子、なみこ)が大富豪八島家の ドラ息子杉彦と結婚する。案の定、八島家で漣子の立場はつらいものだった。 そんな中、財産分けのトラブルで義父が殺される。家族の中でもっとも 立場が弱く、「父を殺してやる」とまで言っていた夫をかばおうとした 漣子の証拠隠しと証言が裏目に出て、一審では死刑の判決が下されてしまう。 窮地にたった漣子の旧友、エダ・月園が連れてきた酔いどれ弁護士清家洋太郎は、 起死回生の手段として、事件の捜査にあたった緒方警部補を 弁護側の証人として法廷に立たせる。

しかし、この作品のおもしろさは 犯人探しにあるわけではない。作者が読者をいかに正々堂々と惑わすか、 これは読んでみてのお楽しみ。


我孫子武丸『殺戮にいたる病』

講談社

叙述トリックの新しい展開。『弁護側の証人』と比べてみよう。

それにしても文章がうまい。オチはまあ、すっかり騙されたというやつです。


チャールズM.シュルツ『その調子で』

谷川俊太郎訳、講談社

心に残ったフレーズ 「ふさぎこむな、自分をあわれむな」と言われたチャーリー・ブラウン
どうして自分をあわれんじゃいけないんだ? Why SHOULDN'T I feel sorry for myself ?
ボクはとても心やさしいんだよ! I'm very TENDER-HEARTED !
自分を憐れむって、快感なんだよ。癖になるからやめようね。

星新一『気まぐれ指数』

新潮文庫

初めての長編、新聞連載(東京新聞)とのこと。 一種のピカレスクロマンだが、最後は被害者と 泥棒が仲良くなってハッピーエンド。

解説が奥野健男さん。作者も解説者も奇しくも大正15年(1926年)生まれで、 どちらも昨年の暮れに亡くなっている。生まれた日も1ヶ月くらい しか違わないと書いている。まさか亡くなる日まで1ヶ月違いとは、思わなかっ たであろう。(奥野7/25生11/26死、星9/6生12/30死、享年はどちらも71歳) 奥野さんはSFについても造詣の深い方だったのですね。 ショートショートは、日本文学が得意な短い文学形式への回帰という。

お二人の生まれた 1926年は、リルケが亡くなった年であり、マリリン・モンローが生まれ、 物理学の世界では量子力学の基本であるSchroedinger 方程式が 発表された年である。


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