『寺田寅彦随筆集』

小宮豊隆編、岩波文庫

寺田寅彦先生の読書、本に関する随筆は、面白い。 たとえば、第一巻に本の値段の符丁についての記述がある。 当時は書籍は一般の商品とは違った値段の呼び方があって、「アンカナ」といえば、 一円二十五銭だった。 話題は学問と建築の比喩に飛び、 昔は丘の上の小屋に雑居して、四方の窓から見晴らすことができたのに、 今では専門化が進み、広大な建築物の仕切られた室の窓から望遠鏡で覗く ようなものだという。 似たような表紙の雑誌が並ぶ書店の風景、 出版界に対する辛辣な苦言は現代にもそのまま通用するのがすごい。

第三巻にも、読書の心得が出てくる。 「少なく読み、多く考えよ」という金言には、自分の濫読を反省させらるのだが、 もちろん、「多く読み、多く考える」人の書くことである。「少なく」といっても 考える量に比較してのことであろう。大事なのは、「多く考える」ことなのだ。 だから「少なく読み、少なく考える」ことと、「多く読み、少なく考える」のは どちらがよいのだろうか、などと考えてはいけない。


カート・ヴォネガット『タイムクエイク』

浅倉久志訳、早川書房

心に残ったフレーズ

キルゴア・トラウトがPTAに唱えた言葉
あなたは病気だったが、もう元気になって、これからやる仕事がある


カート・ヴォネガット『ホーカス・ポーカス』

浅倉久志訳、早川文庫

有り合わせの紙に書き付けられたという、しょうもない過去を振り返る物語。 父親の見栄で出たみじめな高校の科学コンテスト、その会場の出口で出会った軍人 によって狂わされた人生、ベトナム戦争の思い出、狂気の遺伝を知らずに しょいこんだ家族、学習不能児のための豪華な大学、その対岸にある刑務所、、、 陳腐な言い回しだが、運命に弄ばれる人生である。主人公は学生の讒言で大学を クビになって刑務所に勤めることになるが、刑務所の脱走事件で大学は殺人者 たちに占拠され、多くの職員が殺される。主人公は、大学をクビになったことで 命拾いをしたと振り返る。ところが事件の後、刑務所で受刑者に大学の話をしてい たことで、脱走をそそのかしたという疑いがかけられ、自身もその刑務所に入る ことになる。まさに禍福はあざなえる縄のごとし。読んでてせつなくなる。 そのときどきで、羽振りの良かった人たちが後にこういう不幸な目に会うという 説明付きで登場、なんだ、結局みんな不幸なんだと思わせる。

2001年の日本経済はやたらと景気が良く、アメリカに進出しまくっているのは 書かれたバブル時代を反映しているのであろう。作品自体が、「一寸先は闇」 を地で行っているわけだ。最後に嬉しい予想外の出会いがあって、これが 救いになっている。 救いのない物語は読んだ後、虚しくなってしまう。 まあ、子供が救いになるというのは、映画でも見かけますけどね(「羅生門」 「フォレスト・ガンプ」)。 不幸な人生を醒めた目で見直すこの物語は、幸不幸を超越した一種の悟りに近い 心境に達しているようにも思える。 年をとってからもう一度読んでみたら、人生のなぐさめになるかもしれない。


心に残ったフレーズ

p.130
マリリン・モンローは彼(JFK)と結婚してファースト・レディになる つもりだったらしいが、それは本人以外のだれから見てもジョークだった。  結局、彼女は自殺した。人生のばつの悪さに耐えられなくなって。

p.425
読み書きが出来たり、いくらか計算ができる者がいるというだけでは、 人間が宇宙を征服するにふさわしいという理由にはならない。


グレッグ・ベア『火星転移』

小野田和子訳、早川文庫

ベル連続体、記述子理論というのは、ポケモンですな。 ポケモンのゲームをバグらせて、モンスターのデータを書き換えると なんて技を素粒子レベルでやろうというアイディア。 キャシーア・マジュムダー、チャールズ・フランクリンの 恋愛ビルディングロマンに政治セクハラ、ナノテク、エンハンスメント、 思考体といったガジェットが盛りだくさんで、大いに楽しめました。 火星の古代生物の化石が環境によっては息を吹き返すというのはさすがに無理だなあ。

ハーバート・クッファーバーグ『基本はバッハ』

横山一雄訳、音楽之友社

太陽系を飛び出す宇宙探査船「ボイジャー」には、バッハの 「ブランデンブルグ協奏曲」他の作品が録音されたレコードが積まれているという。 宇宙の他の文明に対してどんなメッセージを送ったらいいかという問い に対して、ルイス・トマス博士は、 「わたしだったら、ヨハン・セバスティアン・バッハの全集を送ります」 と答えたという。それから博士は間をおいてから、 「しかしこれは自慢たらしく聞こえるかもしれませんね」 と付け加えたという。


森雅裕『歩くと星がこわれる』

中央公論社

ハードボイルド恋愛小説。クリムトの絵を使った装丁が美しい。 芸大の学生で、仕事をしながら小説を書く主人公、巽広司。 全く性格の異なるピアノ科の学生、沢渡黎。 いろいろなものが投影されている登場人物、ただ、細かいエピソードを 書き込みすぎで、かといって特に伏線になっているわけでもない。 そのわりに、イタリアのモデナの人々との出会い、黎の病気の詳細など 大事な情報が抜け落ちている。 いったい、親と絶縁し、自力で芸大に行く苦学生、 妥協をしないこだわりに満ちた人生観、という主人公と我が身を引き比べて 深い共感が持てる読者がどれほどいるだろうか。 ピアニストがわがままだなんて、グレン・グールドを見りゃわかる。 あんな女になぜそこまでこだわる?未練の強さも異常。 画家をけなし、友人、学生、先生をけなし、友人の母親、恋人の父親をけなす。 五木寛之の小説「四季・奈津子」をけなしている。編集者をけなしている。 ところどころにちりばめられた決めセリフ、殺し文句が書きたかったのかなあ。 「何ひとつ痛い思いをせずに人と別れられると思うな」 「人生と喧嘩して、勝てる自信がついたら」なんて、 現実に口にするやつはいないよ。


アンドルー・カズディン『グレン・グールド アットワーク 創造の内幕』

石井晋訳、音楽之友社

作者はコロムビア・レコード(後のCBS)のプロデューサ。 本職の作家の文章と違って少々読みづらい(翻訳の問題かも)。 その分は、魅力的かつ神秘的な芸術家の真実を少しでも知りたいという 読者の興味が十分にカヴァーすることになろう。なんといってもレコード つくりのためのテープ編集作業を微に入り細に入り書き込まれても、一般の 読者としては、、、まあ、労働組合の規則うんぬんは結構面白かったが。 GGと作者との国際長電話も特筆ものである。仕事はもちろん、ゲームや 性格占いにもつきあうプロデューサという職業は、骨が折れるものだ。 作者とGGの親密さはよくわかるが、だからといってGGの謎をすべて説明するの ではなくって、この点は話さなかった、などと正直に自分の判断の根拠も示し ているのは好感が持てる。こういった公正さは、フィクションを読み慣れている 人にはものたりないかもしれない。けれど、作者は他のGGの伝記があまりにも 空想に頼ったいいかげんな書き方をされていることにかなり怒りを 感じているようで、特にレコーディングや編集作業に関する誤解を少しでも 訂正しておくことが執筆の動機の一つになっているようだから、 これはしかたがないだろう。とにかく素材がすばらしい。 例の特製椅子の変遷など、なみの冗談よりも笑えるし、聞いたことがある蜘蛛と むかでのたとえがピアニストによって語られる場面も面白い。 15年間にわたるビジネス・パートナーとの唐突ともいえる決別も、その 真相は語られることなく、芸術家は逝ってしまった。


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[濫読の戒め]

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