フランツ・シュレーカー
Franz Schreker(1878〜1934)
<生涯>
モナコの生まれ。父親はドイツ語をはなすユダヤ人、母親はカトリックであった。幼いころについて私はあまりよく知らない。シュレッカーというらしいが、ドイツ語の「恐怖」という語を連想させるという理由なのか、シュレーカーとなっている。様々な管弦楽曲などを残しているが、やはり本領はオペラ。ややエロチックなオペラで人気を勝ち取った人である。R・シュトラウス、プフィッツナーと人気を争った。特に「遥かな響き」や「烙印を押された人々」、「宝を探す人」はほぼ100もの異なった演出で、述べ1000回の上演がおこなわれており、統計上のライバルはR・シュトラウスだけである。テキストも本人が書いている。デビュー作は「炎」という一幕オペラだが当時はほとんど理解されず。初めての成功は1908年の「遥かな響き」である。声楽パートをアルバン・ベルクが担当した、とされるこの作品はテキストの段階でシュレーカーは友人にこっぴどい批評を受けたが、めげずに作曲を完了し大成功となった。この成功でウィーンアカデミーのマスタークラスを受け持つようになり、ここからはクシェネック、ゴルトシュミットなど優秀な人材が生まれた。
ヴァーグナーに印象主義を加味したような音楽と呼べば良いのか・・・。私が彼の最高傑作と思っているオペラ「烙印を押された人々」がDeccaの頽廃音楽シリーズでリリースされているが、魔法のような響きといえばよいのか、本当に素晴らしい。1920年にはベルリン高等音楽院の院長に任命された。しかし彼の人気はこれからかげりを見せる。「狂える炎」はエーリヒ・クライバーによって初演されたが失敗し、「クリストフォルス」はナチの妨害で初演は70年代までなされなかった。最後のオペラ「ヘントの鍛冶屋」はベルリンで初演されたがナチスに酷評されるために演奏されたようなものだった。初演の二ヶ月後にナチスは遂に政権を握る。失意の中、シュレーカーは脳溢血で1934年に亡くなった。
<作品>
オペラ「炎 作品10」
ベルリン音楽院時代には「アヴェマリア」など、主に歌曲などを作曲していた若きシュレーカーだが、その時点では流石にシューマンのような初期ロマン派のような素朴な曲で、とてもその後の作風を予感できるようなものではない。
シュレーカーはワーグナー的な巨大管弦楽に印象主義を加味したような作風といわれるが、このオペラの時点ではワーグナーの影響が濃厚である(「リング」がなければこの作品はありえないに違いない)。とはいえこの完成度の高いオペラには今後の作風を感じさせるものも多いにあるので、この作品をもって自己の作風を確立したといってよいと思う。
ポストワーグナー世代の注目すべきオペラの一つであり、R・シュトラウスの「火難」と並ぶような作品である。CDはCPOのライブレコーディング1枚組があるのでそれで十分である。
なお、シュレーカーが自分の作品に番号をつけていたのはこの辺りまでのようである。
オペラ「烙印を押された人々」
第一次世界大戦中の後期ロマン派のオペラの傑作を挙げるならば、コルンゴルト「ポリュクラテスの指輪」、ツェムリンスキー「フィレンツェの悲劇」、シリングス「モナリザ」、そしてこの「烙印を押された人々」ということになろうか。ツェムリンスキーに醜い男を主人公にした話を書いて欲しい、と要請されてシュレーカーがテキストを書き、結局自分で音楽を付けることになった。舞台は中世のジェノヴァで、この台本のためにシュレーカー相当の研究をしたといわれている。
調性的だが、高度に半音階的な音楽といえる。オーケストラーションではリヒャルトシュトラウスを上回るとまで言われるシュレーカーの作り出す音響は極めて複雑で、弟子たちはこの作品の巨大なスコアの周りに群がって謎のような音響を読み解いていった、と言われる。彼の作品群でも前衛的な部類になる。10分ほどの一幕前奏曲だけでこの作曲家の天才性がみえる。そもそもこの曲が評価され始めたのは、シュレーカーがこの前奏曲を演奏会用にしたてたものが復演されてからである。コルンゴルトに似て声楽パートがわかりやすく、聴きやすい。これはシュレーカーのどの作品でも共通に思われる。しかしテキストはナチスにいわせれば頽廃の極み。
なお、CDに関してはデッカの頽廃音楽シリーズのツァグロセーク盤は、自分は名盤だと信じている。難解な音楽だが精緻に、キレ味よく処理されている。
(あらすじ)
[1幕] 16世紀のジェノヴァ。若い貴族のアルヴィアーノは醜いが、感受性豊かで常に芸術を欲して、美しい理想島「エリジウム」を建設した。彼自身は自分の醜さが島の美観を損ねることを恐れて島に渡ることを避け、島の所有権を町に譲渡することを決意したが、放蕩の若い貴族の友人たちが島の地下洞窟を利用して、ジェノヴァの若い娘を誘拐して乱交に耽っていたことを知らされ驚愕する。友人たちは犯行が公になることを恐れ譲渡に抗議するが、アルヴィアーノは譲渡の手続きのために市長と元老院議員を自宅に招き宴会を催す準備を始めている。
タマーレ伯爵が息を切らし登場する。彼は今しがた見かけた美しい娘に心を奪われており、友人たちの抗弁に興味を示さない。
そして側近を連れた市長が登場する。市長は娘を連れている。タマーレが魅了されたのはこの娘である。市長がアルヴィアーノと談笑している間に彼は積極的に言い寄るが軽くあしらわれる。タマーレは激怒して退場する。宴会が始まるが、カルロッタは気分がすぐれないと偽ってアルヴィアーノと宴の場から出てくる。彼女は自分が画家であり人間の魂をカンヴァスに描くことを夢見ていて、アルヴィアーノをモデルにしたいと告白する。彼は醜さを嘲笑されていると思い断るが、彼女の熱意におされて2人はアトリエに向かう。
[2幕] 翌朝、島の譲渡には公爵の許可が必要なので市長たちは公爵に面会する。公爵は反対派の貴族も民衆の支持も失いたくないので中途半端な返事をする。次にタマーレが公爵と面会する。タマーレはカルロッタのことを話し、公爵は仲裁を申し出る。さらにタマーレは公爵にエリジウムの地下洞窟の秘密を打ち明けて譲渡に対して拒否権を発動するよう強要する。
カルロッタのアトリエ。アルヴィアーノは自分のために彼女が時間を無駄にしているのではと恐れている。彼女は彼に頓着せず知り合いの画家についての話をする。その画家の唯一の画題はあらゆる種類の描写を取りいれることにあったが、そのなかで最も風変わりな絵は、長く細い指の蒼白い手が、目には見えないが微かに紫の輝きを放つ物体を持っている、というものであった。その人は結局幸福とは何なのかを知り得なかった、なぜならその人は生まれつき心臓が弱く、その幸福のもたらす肉体的恍惚に弱い心臓が耐えられないことを恐れたからだという。彼女はアルヴィアーノが自分のまなざしを避けるのが不満である。彼女は愛を告白し、彼と共に官能的に変容して行く気分を体験しながら絵を完成させる。体勢を整えようとした時、彼女は不注意にも側にあった絵の覆いを落としてしまう。その絵は彼女が今語ったばかりの絵で、アルヴィアーノは彼女が自分自身のことを語ったと悟る。彼はいそいで彼女の体を支えるが、彼女がすすんで身を投げ出しているにもかかわらず、燃える心を抑えて優しくだけである。そこへ召使がやってきて公爵の来意を告げる。
[3幕] 次の日の夜、ジェノヴァの民衆はエリジウムの島に集まり、その壮麗さに感嘆する。アルヴィアーノとカルロッタはすでに婚約している。カルロッタと公爵が登場する。彼女は昨日公爵がタマーレのために懇願しても受け入れなかったが、アルヴィアーノの肖像を完成せてしまったら彼への感心が萎えてきたことを素直に公爵に打ち明ける。次第に官能的な高まりが彼女をとらえ、タマーレが情熱的に訴える姿が思い出されて脳裏から離れなくなったカルロッタは夏の夜に一人さまよい出る。
民衆はアルヴィアーノを英雄とたたえるが、彼はカルロッタがいないので気もそぞろである。そのとき裁判官の姿をした公爵が一連の誘拐事件の犯人としてアルヴィアーノを糾弾する。真実を見せてやるといって彼は民衆をつれて地下洞窟へ案内する。
洞窟中には暴行や中断された乱交の痕跡がのこっている。タマーレや貴族たちは鎖に繋がれている。カルロッタは気を失って側に横たわる。タマーレは彼女が自分に身を自由に任せたというがアルヴィアーノは信じようとしない。悔悟の情も無く次第に恍惚となるタマーレをアルヴィアーノは刺殺する。その声で目覚めたカルロッタの側に急ぐアルヴィアーノだが、彼女は彼を化け物と呼び瀕死の息でタマーレの名を呼ぶ。それを聞いて完全に発狂したアルヴィアーノはタマーレの死体につまずきながら呆然とたたずむ民衆の間を去って行く。
オペラ「宝を探す人」
メロドラマである。シュレーカーの代表作に数えられる。1932年までに50もの演出で385回上演されたほどである。
シュレーカーは1920年に全曲の作曲を完了し、フランクフルトで1921年に初演された。
「烙印を押された人々」と比較すると和声的にはやや保守的な作品といえる。
[プロローグ]
中世。ある城の中。王は、妃の魔法のネックレスが盗まれ病であるのを見て悩んでいる。他のどんな豪華な宝石を集めても、妃はそのネックレス以外は受け付けない。
王は道化に相談する。道化は、諸国を放浪している吟遊詩人を知っている。彼のリュートをかき鳴らすと、どんなに深く隠された財宝でも見つけだすことができるのである。
褒美として道化は妻をもらうことを望む。
[1幕]
森の中の居酒屋兼宿屋。宿の主人の娘エルスは、金持ちだが粗暴な貴族と結婚することになっている。エルスは、彼のことを死ぬほど嫌っているが、結婚の贈り物として、故買屋から王妃のネックレス(永遠の美しさをもたらす)を買ってくれると言うので、
宝石に目のないエルスは、いやいやながら婚約したのだ。しかしエルスは忠実な召使いのアルビに命じて、婚約者を故買屋からの帰り道に襲わせる。
居酒屋にはエルスの結婚の祝宴に、市長はじめ多くの客が集まっている。その中にはエリスをひそかに狙っていた代官もいる。
吟遊詩人エリスが居酒屋に入ってくる。彼は客たちから歌を所望されるが、「遠くから旅してきた。まず何か飲み物を」と言う。エルスの手渡したワインは酸っぱかった。
エリスの物語は、客たちには不評だが、森の中でリュートが見つけた宝物に話が及ぶと、エルスひとりが興奮し先を続けるように促す。
エリスは、エルスにその宝物を贈る。それこそエルスが望んでいた、王妃のネックレスであった。
その時、森の中で婚約者の貴族の死体が発見され、大騒ぎになるが、エルスは大喜び。父親は気分が悪くなる。
自分が疑われ、危険が迫っていることを知ったエリスは、旅を続けようとするが、エリスに一目惚れしたエルスは、彼を引き留め、自分を守ってくれるように懇願する。
エルスに横恋慕する代官は、エリスを殺人罪で逮捕する。エルスはエリスが犯人ではないことを知っているが、そのわけを話すことができない。
[2幕]
エリスは絞首刑。街の広場で、エルスがむなしく座り込んでいると、道化がやってきて、わけを尋ねる。探し求めていた吟遊詩人の所在をつかんだ道化はエルスに惚れてしまう。
エルスは、代官に頼んでエリスに面会させてもらう。エルスから時間稼ぎをするように言われたエリスは、絞首台を前にして最後のバラードを歌う。
まさに刑を執行しようという時に、道化からの知らせを受けた王の使いの伯爵がやってきて、エリスは命を取り留める。
伯爵がエリスに、王の命として、妃のネックレスを探し出すように、と言うのを聞いて、エルスは恐怖にとらわれる。エリスは、エリスがネックレスを見つけることのないように、またもアルビに命じて、エリスのリュートを盗ませる。
[3幕]
ネックレスを探すよう頼まれたエリスだが、リュートを盗まれて無いので途方に暮れている。しかし、ネックレスの魔力で魅力を増したエルスが慰め、二人は結ばれる。
夜が明けると、エルスは夕べしていたネックレスを王妃に持っていくように、と言う。いぶかるエリスだがエルスは、わけを聞かないで、私を信じて、とだけ言う。
[4幕]
王妃は回復した。王も上機嫌で道化に妻を娶ってよい、と言う。しかしエリスはナイトの爵位を得たものの、釈然とせず、気分は優れない。
さらに宰相が、どうやってネックレスを見つけたのか、明らかにするように要求する。廷臣たちも、ネックレスを見つけた経緯を教えてくれるように迫る。
困ったエリスはごまかしてバラードを歌うが、エルスとの愛に満ちた夜を思い出し、ネックレスを返すよう求める。廷臣たちは怒り、彼を打ち倒そうと殺到する。
そこへ代官が、リュートを持って入ってくる。代官は、アルビを拷問にかけて、エルスの罪を全て暴いてしまったのであった。彼はエルスの火あぶりの刑を要求する。
突然その時、道化は王との約束を思い出し、「エルスを妻にする」と言い出す。王は驚くが約束は守らねばならない。
エルスには選択の余地はない。エリスに許してと言い、別れを告げて去る。
[エピローグ]
道化がエルスが死の床にあることをエリスに知らせて訪ねてくる。自分の犯した罪の深さに苦しむエルスにエリスは愛に満ちた歌をおくる。
オペラ「遥かな響き」
シュレーカー最初の成功作品。先に述べたようにかのアルバン・ベルクが声楽パートを担当した。
シュレーカーの音楽はR・シュトラウスと比べて、旋律的な魅力とか、小回りのよさは乏しいかもしれないが、それを補って余りあるものがあるとすれば「響き」に他ならない。オペラ「遥かな響き」は主人公が遥かな響きを求めて遍歴するというストーリーであり、そこにはオーケストレーションの天才シュレーカー自身が投影されれている、という見方が出来るかもしれない。
全体を通して遥かな響きと思われるものが流れる。
歌曲「永遠の生について」
1927年作曲。シュレーカーには初期〜中期にかけて多くのピアノ伴奏歌曲があるが、初期ロマン派的な作風の作品が多く、凡庸に思われるものもある。
しかしあたかもオペラの一場面であるかのような印象を受けるこのオーケストラ伴奏の歌曲は傑作であるように思う。
彼のオーケストレーションが天才的なのはもはや言うまでも無い話なのだが、後ろからモダニズムを超越したようなリズムが聞こえてくるこの曲は未完の「メムノン序曲」に似た
後期様式が感じられ、それでいて非常に哲学的で神秘的な雰囲気を醸し出しているといえる。
管弦楽曲「室内交響曲イ長調」
時期としては「オペラ烙印を押された人々」やオペラ「宝を探す人」の作品である。このジャンルはシェーンベルクが確立したと思われるが、このシュレーカーの作品は後期ロマン派的だった初期のシェーンベルクの影響を感じさせる曲である。シェーンベルクの室内交響曲1番は15人編成だが、こちらの作品は23人編成(というとR・シュトラウスの「メタモルフォーゼン」を思い出させる)で、打楽器も使用されている。室内交響曲というジャンルは当然ながら普通のオーケストラのような厚い弦の響きは期待できない。木管、金管の扱い方が問題になる。よってオーケストレーションの技術が顕著に現われる。
管弦楽曲「ある大歌劇への序曲 メムノン」
シュレーカー晩年の管弦楽曲。これを前奏曲としてオペラを作る計画だったようだが、前奏曲にしては25分とかなり長い。舞台は古代エチオピアということで、旋律にはエキゾチックな雰囲気が漂う。オーケストレーションは大編成で大胆でもありかつ緻密。非常なリズミカルなこの曲を異常な雰囲気へと盛り上げるのが様々な打楽器であり、その使い方が非常に斬新で、ビート感が頭に残る。台本が残っているか私は知らないがあるのならぜひ知りたいものである。
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