H・Reichenbach“The philosophy of space and time”(1958)
名著として名高いライヘンバッハ『時空論の哲学』を要約してみます。
マリア・ライヘンバッハ(奥さん)による英訳版からパラグラフ毎にざっくり纏めてます
§1 平行線公理と非ユークリッド幾何学
ユークリッドの著作は、古代人による幾何学の仕事の集大成である。それは完結した体系として確立されており、ほかの諸学問には無い確実性をもっている。体系の基礎は少数の自明な公理によって与えられていて、一切の定理はそこから論理的に導出されるのである。こうした幾何学的方法は、あらゆる時代の哲学者にとって理想であった 。
しかし、認識論的に問題となるのは、最初の仮定(=公理)が真であることをどのように正当化するのか、ということだ。体系全体が論理的な推論から構成されているということは、その体系自体の真理性は公理の真理に依存する。公理的方法が絶対確実な知識を確立したというわけではないのである。
普通人はシンプルで自明な公理に満足するであろうが、カントの批判哲学 を経由した分析的な哲学は、知識の可能性を否定するためだけに懐疑論者が利用したような事柄に真の問題を見出した。公理的な構成に対する批判は数学的問題という枠内でくすぶりつづけ、最終的にある特異な発見へとつながったのである。
その数学的問題とは、ユークリッドの公理がもはやそれ以上単純で自明な言明へと還元できないのかどうか、という問題である。とりわけ平行線公理[どの点についても、その点を通らない任意の直線に対する平行線がただ一つだけ存在する]の論証性が検討された。この公理は一見すると自明だが、無限を扱っている点に満足できないところがある。その二直線が有限の距離内で交差することはないという主張は、一切の可能な経験を超越しているからである。プロクロス からガウスに至るまで多くの傑出した数学者が、これの論証に挑んだが無駄に終わった。
新たな展開は、平行線公理なしでもやっていけるという発見からはじまった(19世紀後半)。ある点を通る平行線が複数引けるということは人間の視覚と矛盾するが、この仮定を公理として導入しても、整合的な幾何学は作れるのである。
しかし、平行線公理を否定するというのは、そもそもどういうことなのか。それを理解するには公理的な構成とは公理からの論理的な派生に基づく証明であるということを思い起こせばよい。図を描くというのは、補助的手段に過ぎず、証明の要素ではない。ヘタクソな図(bad-drawn figure)も論理的な証明の助けになりうるからである。対照的なのは、ユークリッド幾何学は馴染み深い定理を公理から証明しようとするが、非ユークリッド幾何学では、公理的構成が発見の道具だ、ということである。
幾何学の視覚化という問題は後の節で扱う。ここまでで重要なのは、幾何学的証明の本質とは、論理的な構成ということであって、図形のproportionではない、ということである。
ところで、平行線公理の否定を仮定してもまだ矛盾に出会っていないということは、将来的にも出会うことはない、ということなのだろうか? これは根本的な問題である 。それゆえに、非ユークリッド幾何学の信奉者たちにとって、体系の無矛盾性を証明することが急務(incumbent)なのであった。
この証明はF・クラインが非ユークリッド幾何学にユークリッド的なモデル (解釈)を与えたことで、ある程度整えられた。彼は、「点」「直線」「平面」などのユークリッド的概念に対応した非ユークリッド幾何学の概念を定義することに成功した。これにより、一方の幾何学に属するすべての言明は、他方の幾何学の言明へと翻訳される。その結果が、数学史上最初の、無矛盾性証明である 。
クラインの証明によって、非ユークリッド幾何学の重要性が認められるようになった。どれほど不自然に見えようとも、ボヤイ・ロバチェフスキーの幾何学は数学的に正当である。それどころか、可能な幾何学の体系はほかにも無数にありうるのである。
こうした発見により、公理についての認識論的問題には新たな解決が与えられる。数学が、特定の公理系を必要とするのではなく、公理aと公理not-aのどちらも用いることができるのであれば、公理aは数学に属する主張ではない。数学は、if-thenという含意関係に専ら関わる学である。したがって、先の認識論的問題というのは擬似問題だった、ということである。
それでは、aという主張の「真理性」が問題とされるのはどの学問分野なのだろうか。われわれの常識は、現実の空間はユークリッドの諸公理に対応していると考えるだろう。しかし「数学」はこの種の議論からは身を引くので、かくしてこの問題は「物理学」の問いということになる。要するに、数学でいう空間と物理学でいう空間とは別の事柄だ、ということが決定的に重要なのである。
さて、複数種類の幾何学が数学的に等価だと認められるならば、それではその中のどの幾何学が物理的な現実へと適用可能なのだろうか。というのも、この目的のために、ユークリッド幾何学のみを特権化する必然性はないだろうからである。いってみれば、数学者は可能な形式(この場合は「空間」)を多数提示し、観察・実験によってそこから一つを選び出すのが物理学者の仕事である。そして、物理的空間と可能な空間の間のこうした区別は、非ユークリッド幾何学の発見によって認められるようになったのである。
では、どのような方法によって物理学はこの決定を行うのだろうか。この問題に答えるには、その前に幾何学の別の側面を見ておく必要がある。物理学にとって、幾何学を解析的に取り扱うこと(analytic treatment)こそが、公理的な扱いよりも一層重要なのである。
§2 リーマン幾何学
リーマンは空間の概念を拡張する際に、平行線公理ではなく距離の概念を考察した。
ガウスの考えでは、曲面(curved surface)の形は、面についての幾何学によって特徴づけることができる。 たしかに我々は通常、球面の歪みを(その球に唯一点で接する)平面からの隔たり(deviation)から知る。接点以外の点では、平面と球面の距離は開くばかりであろう。しかし、こうした描写は、球面の歪みを外側から、三次元という概念を用いて行われている。そうではなく、二次元面における諸関係を手掛かりとして平面と曲面 を区別できないだろか。ガウスはこれが可能なことを示した。(例えば、地球儀上での)円周uと直径dの比を測定すれば、π=3.14…よりも小さな値が得られるであろう。球の内部を横切る「本当の直径」を測ることはないからだ。πからの隔たりによって我々は、自分たちが球の上にいることに気づくのである 。 このようにして球面幾何学が得られるのだが、それが通常の幾何学と異なるのは、距離関係が異なるためである。ついでに言えば、球面では三角形の内角の和は180°よりも大きくなる。
注目すべきことだが、幾何学を平面から曲面へと一般化することは、平行線公理の分析に由来するような幾何学の一般化と同一の事態である。 ガウスの平面理論(plane theory)から、距離が平面の重要な特徴であることが分れば、それと平行線公理との繋がりを指摘するのも容易である。二点間の最短結合であるという直線の性質は、曲面にも引き継がれる。球面では大円 がその役割を果たすであろう。とはいえ、全ての大円は互いに交差するので、球面幾何では平行なチョクセンは一本も存在しないのだが。 チョクセンが大円を意味し、ヘイメンが球面を意味するという理解の下に公理が解釈されるならば、平行線公理を除くユークリッドの公理系をほぼ満たすということが分るだろう。球面幾何学は二次元上での非ユークリッド幾何学を現実化したものなのである。
こうした結果が二次元上の構造に対して認められるならば、三次元上でもそれに対応する問題に対する洞察が生じてもよいであろう。三次元上の構造に対する、非ユークリッド幾何学の公理的な発展はすでに遂行されているので、このことは、平面と曲面との関係と類比的な、三次元空間の拡張を意味するはずである。ユークリッド空間は面が持つような論理的一般性(logical generalization)を持っていない。というのも、それは平行線公理のみを現実化させて、それと矛盾するような公理を認めないからである。ユークリッド空間を一特殊事例として含み、他の非ユークリッド的な空間をも包摂するような空間概念が構成されなければならない。
こうした考えに基づいて、リーマンは一般的な空間概念の定義を与えた。空間とはさしあたり三次元の多様体(manifold)であり、どの公理系がそれに妥当するのかはopenである。リーマンによれば、異種の空間を見つけるのに公理系を発展させる必要はなく、面の理論に対するガウスの方法と類比的な手続きを用いるのが有効である。この手続きは、2,3の変数を持つ式と曲線・曲面が等価であるとする初等的な解析幾何学の方法になぞらえることができよう。面の歪みという概念との類比で、リーマンは「空間の歪み」の概念を導入する。ユークリッド空間は歪みゼロの空間である。そこでは、与えられた直線に対する平行線が唯一本だけ存在する。歪みが正(positive)の空間では、平行線は存在しない。歪みが負の空間では、一本以上の平行線が存在する。 空間の歪みは、点によって異なりうるが、一様な歪み(constant curvature)をもつ空間がとりわけ重要である。歪みが一様に正である空間は、球面との類比で球体的(spherical)と呼ばれる。 リーマンの分析的方法は、ボヤイ・ロバチェフスキーの総合的方法 に比べて多くの種の空間を発見することにつながった。現代数学はユークリッド幾何学と同じ語彙で、しかも同等の容易さでもって、様々な空間の性質を取り扱うのである。
§3 物理的幾何学の問題
物理的空間の幾何学は、経験的な問題である。すなわち、可能な諸空間のタイプから現実の空間の選択は、経験的な手段によってなされなければならない。
探求方法はリーマンの数学的手続きによって与えられている。ちょうど、球面上に生息する生物が、大地が球形であることを発見したのと似たやり方で、我々は空間を測量するのである。しかし、結論を急ぐ前にもう少しこの議論を補強するために、今一度平面の事例に立ち戻ることにしよう。
巨大なガラス板Gの上に大きな半球がこぶ(hump)のように突き出た様子を想像してみよう。この表面上に生息する人々は、幾何学的な測量によってこの形を決定することができる。二次元のユークリッド幾何学と自分達の測量が食い違うことから、それは知られるのである。
不透明な平面Eが、先のガラス板の下に平行に位置している。平面に対して垂直な光を上から当ててやると、ガラス板G上の対象の影がEに広がるであろう。このとき、G上の人々が用いる尺もE上に投影されることになるが、こぶの区域ではこの影が変形することになるであろう。
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