Russian Watch


 男の悪い病気と云うことで、わたくしも万年筆からクラシックカメラ、ライターまで、一つあれば用は済むものを10個も20個も所有していたりする。もちろん、時計とて例外ではない。トレーディングカードとか鉄道模型などを別にすれば、わたくしが最初に手を出したのが時計だ。しかし時計というものは、本気でコレクションしようと思ったらクラカメなんぞは足許にも及ばないほど金がかかる。下手をするとくるまより軍資金が必要になる。だからというわけでもないが、ロシア時計に手を出した。
 ロシア時計と云えば90年代に一時期流行したことがあるのだが、それはソビエトの解体という時局に引きずられた現象であって、当時のわたくしは見向きもしなかった。それがどうしたわけか今更ロシア時計だ。スイス時計よりは金がかからないということもある。なんだ結局は貧乏人のひがみなのか。
 アンティークでなく、いま、実用的なロシア時計を買うならポリョートPOLJOTかモルニヤMOLNIJAが良い。モルニヤ(МОРНИЯ:電光)は懐中時計専門で、機械的な仕様はほぼ同一、バリエーションに富んだ打ち出しやエナメル画の装飾が楽しめる。
 一方のポリョートは旧モスクワ第1時計工場(1MCZ/1MWF:正式名はセルゲイ・ミロノヴィチ・キーロフ第1時計工場。ソビエトの工場は大抵偉大な同志の名前を冠する。カメラ工場のウラジーミル・イリイチ・レーニン工場――通称アルセナルしかり、フェリクス・エドマンドヴィチ・ジェルジンスキー工場――通称フェドしかり。同志キーロフは1934年末に暗殺され、その直後からスターリンの大粛正が始まった。)なるメーカーで、主に腕時計を製作してきた老舗である。日本ではポレオットと呼ばれているが、キリル文字でПОЛЁТと書くのだからポリョートのほうが正しい。それともネイティブ発音通りパリョートと書いた方がいっそ潔いか? しかしジャガー・ルクルトJaeger Le Coultreをジェゲェ・ル・クールトゥフとか、ボーム・アンド・メルシーBaume & Mercierをボーム・エ・メフスィエなどとむりやりネイティブ発音に忠実たろうと書くのもふざけた話だし、かといってポレオットなぞとどう捻ってもそんな発音にはなりゃしない表記(POLJOTなのだからポリオットならばまだ判る)も厭なので、わたくしはあえて中途半端なポリョートで通すつもりだ。
 そのポリョートと云えば、「ウォッチ・ア・ゴーゴー」誌32号でロシア時計の小特集が組まれている。それ自体は悪くない企画なのだが、どうも編集者の知識不足というか勉強不足が露呈されていて気にかかる。ロシア語なんて辞書一冊あれば大して難しくもないのに、刻印一つ読まずに店員の説明かなんかを鵜呑みにして、適当なコメントを付しているように見えて仕方ない。その最たる誤謬がポリョートのアラームウォッチ、ロシア飛行士シリーズのコメントだ(雑誌を持っている人は107頁を参照)。このシリーズはロシア(とソビエト)の著名なパイロットを記念したモデルで、ウラジーミル・チカロフ(アントノフ25型機で北極点上空を世界で最初に飛行)、ピョートル・ネステロフ(ニューポール機で世界初の宙返り飛行を達成)、イワン・コジェドゥブ(62機撃墜の第2次大戦トップエース)の3人をフィーチャーする。ダイヤルには3人の愛機のシルエットと氏名、それに年代がプリントされているのだが、この編集者はコジェドゥブ・モデルのコメントに、<「1920―1991」とプリント。ソ連は1922年〜1991年まで>などととんちんかんなことを書いている。云うまでもなく「1920―1991」とはコジェドゥブの生没年である。たとえコジェドゥブのことは知らなくても、ほかの2タイプとロシア飛行士シリーズ(Русский Авиатор)ということから、簡単に推測できることなのだが。
 さて、ロシアにはこのほかにもボストークやオリオン、ラケータといったメーカーがあるが、こと腕時計に限って云えば、ポリョートが一番豊富なラインナップを揃えている。その多くは手巻きムーブメントだが、中三針のスタンダードタイプからメカニカル・アラーム、三つ目クロノまで、安いものは40ドルから高くても300ドル内外で手に入る。もちろんスイスメーカーのような優美さをもったデザインや、パーペチュアル・カレンダー、リピーターといったコンプリケーションは見あたらないけれども、単に野暮ったかったり、無骨なだけではない、ソビエト時代とは違ったセンスを見ることができるし、相変わらず余所様のフェイクめいたデザインもやってのけている。
 機械的に見れば、さすがにスイス時計の精巧さは望むべくもない。とはいえ人間を乗せて衛星軌道まで飛ばすことのできる国である。核兵器だってごまんと持っているのだから技術力はあるわけだし、とかく口さがない連中にこき下ろされるかもてはやされるかするロシア時計も、良くも悪くもそれなりの働きをする。
 どういうわけだかロシアやソビエトというと、すぐにぱちもん、粗悪品のイメージが喚起されるが、前者はともかく後者は一度も現物に触れたことがないか、あるいはよほど日頃の行いが悪い人間の勝手な言い草だから、そんなに気にすることはない。実際のところ、あなたがロシア時計を入手するとして、不良品を掴む確率は低くない。しかしこれは、彼らの技術力が劣っているからではない。旧西側の水準から見た粗悪品であっても、平気で市場に出してしまう彼らの流儀によるところが大きいのだ。民生品なら多少精度が悪くてもなんら問題ないという彼らの感覚も、ソビエトが崩壊し、エリツィンのロシアンバブルが弾けた現在、マーケットをかつての敵対国に広げなければならない状況下において、否が応でも変革せざるを得ないであろうし、資本主義下の市場原理がいかなるものかを理解しない限り、北の大国は再び全体主義への道を歩むだろう(それを望んでいる輩も多いこた多いのだが)。
 それにしても本当にロシア時計は精度が悪いのか? わたくしが買ったロシア時計のすべては、実用上なんの問題もない程度に動いているし、ベルトが切れる、竜頭がもげる、ハンドが落ちる、などといったとんでもない事態には遭遇したことがない。30m防水のボストークにしろ、確かに沈めたことはないけれども、釣りやら洗車やらでさんざん水を被ってきたが何事もなく動作する。日差はと云えばきちんと計ったことはないが、少なくとも1日2日でびっくりするくらいにずれたこともない。日常生活の時計が指し示す時刻というのは、実のところカメラの露出計みたいなもので、要は自分の好みの数値(時間)が表示されればそれで良いのではないか? なにも大気圏突入の軌道修正をマニュアルでやるわけじゃなし、敵地に単身乗り込んで協同奇襲作戦を敢行するでもない。ふだんの生活で1分1秒を争おうとするのは、それが本当に必要だからでなく、そこに正確な時計(これには正確な時計に依って運行される列車そのものなども含む。)があるからに過ぎないのではないか? ありふれた話だが、正確な時間を知れば知るほど、わたくしたちは概念を単位化したものに過ぎない時間に支配束縛されてゆくのではないか?
 であれば、クォーツ時計やスイス製クロノメーター(断っておくがロシア製時計にも日差+-1秒まで追い込まれているくらい精巧なクロノメーターがある)ほどに精確ではない、ロシア時計の指し示すあやふやな時間に身を委ね、少なくとも周囲に迷惑がかからない程度におのれの時間感覚で日々を過ごすのも、決してつまらない人生ではあるまい。

ロシア大統領記念モデル
キャリバー3133。21,600振動。23石。手巻き。日差-10〜+20秒。ブレゲ針。小秒針。30分積算計。カレンダー。サファイアガラス。シースルーバック。カボションにサファイア。真珠母貝文字盤。

ポリョートのクロノグラフ用キャリバー(カム式)は3133のほかに31679(ムーンフェイズ付き)と31682(24時間表示計付き)があり、いずれも手巻き。自動巻きモデルはないのだが、別段技術力がないわけではなかろう。P3133はVal.7733または7734の権利を買ったものと云われ、それが本当ならかのVenus188の直系の子孫にあたる。12時にロシア共和国国章(それは帝国時代のものだ)、ダイヤル下半分にプーチンの署名が入ったこの大統領記念モデルにはクローズドバックのものもあり、そちらにはでかでかと国章が入っている。1年もしないうちに100ドルも値上がりしていてびっくりした。

ロマノフ
キャリバー2824-2(ETA製)。28,800振動。25石。自動巻き(手巻き付き)。日差-20〜+40秒。剣針。カレンダー。ミネラルガラス。シースルーバック。真珠母貝文字盤。

ETA製キャリバーあるいはエボーシュによるムーブメントを搭載する自動巻き。ボールベアリング式のローターにはコート・ド・ジュネーブ仕上げが施されている。上の大統領モデルではミリタリーウォッチ並みになんの仕上げも施していないムーブメントが見えるが、さすがにこのモデルは仕上げが違う。ポリョートの中では高級時計に分類されると思われるものの、ゾルキーより安い。

アルバトロス
キャリバー3133。21,600振動。23石。手巻き。日差-10〜+20秒。蓄光ハンド。小秒針。30分積算計。カレンダー。タキメーター。3気圧防水。ミネラルガラス。シースルーバック。

航空時計ということでアルバトロス。水陸両用機A-40の機種名に由来するらしいがその辺は疎いのでよく判らない。ごく普通の手巻き2つ目クロノグラフ。ところで周囲のメータは何に使うんでしょう。

アラームウォッチ
キャリバー2612。18,000振動。18石。手巻き。日差-20〜+40秒。リーフ針。ミネラルガラス。

アラームウォッチと云えばジャガー・ルクルトのメモボックスが有名だが、ポリョートのアラームも実用性は高い。作動時間は10秒と短いものの、なにより100ドル前後で手に入るのが魅力。アラーム音はケースバックのピンを叩く、おなじみの蝉の鳴き声。人によっては目覚まし時計の用は足さないかもしれないが、そもそもアラームとは目覚ましのためだけのものでもあるまい。仕事中に鳴ると結構びっくりする。

アラームウォッチ
キャリバー2612。18,000振動。18石。手巻き。日差-20〜+40秒。蓄光インデクス・ハンド。10気圧防水。ねじ込み竜頭。ミネラルガラス。

で、これがロシア飛行士シリーズのコジェドゥブ・モデル。直径45mmとばかでかい。ベルトもごっつくて美錠下にはカバーまでついている、飛行服につけるような類のもの。そのまんま枕時計に使えるくらいだ。いったいこんなもの買ってわたくしはどうするつもりなのか。イラストはコジェドゥブの愛機ラーボチキンLa-5FN。裏蓋には飛行士のレリーフが描かれ、周囲にネルジャビェーユシシャ・スターリつまりステンレス・スチールと書いてある。そう云えばスターリンとは「鉄の男」という綽名だった。なればマーガレット・サッチャーはスターリナと云うべきか。この偉大なグルジア人の本名はヨシフ・ヴィサリオノヴィッチ・ジュガシビリ。

アラームウォッチ
キャリバー2612。18,000振動。18石。手巻き。日差-20〜+40秒。蓄光インデクス・ハンド。5気圧防水。ねじ込み竜頭。ミネラルガラス。

アビエーターモデル。白ダイアルのものある。40mmと上のモデルに較べるとやや小ぶりだが、わたくしの腕にはやはり大きめ。手巻きでねじ込み竜頭は結構めんどくさいのでふだんは締めていない。まるで防水になってない。

オリオン
キャリバーM7102(ベース2416)。21,600振動。22石。自動巻き。日差-20〜+60秒。小秒針。蓄光インデクス。見せテンプ。

手巻き機能のついていない簡単な自動巻き。ビス止めの裏蓋を開けるととっても無骨なムーブメントが見える。カレンダーもクロノグラフもついていないくせに非常に分厚い。ところでYahooオークションでよく目にするのが、この見せテンプをトゥルビヨンと書いてあるもの。時計のことをよく知っている人間ならひっかかりはしないが、ここ最近の機械時計ブームで初心者が勘違いしないか、要らぬ心配をしてしまう。

ボストークKGB
キャリバー2416B。21,600振動。31石。自動巻き(手巻き付き)。日差-20〜+40秒。線針。蓄光インデクス・ハンド。カレンダー。30m防水。回転式ベゼル。ねじ込み竜頭。

プリントのずれまくっているところが、あるいはソビエトらしいと云うべきか。オリジナルのベルトはラバー製のちゃちなもの。カレンダーの調整は、針を8時から12時の間を往復することで行うという、なんとも面倒なもの。ロシア時計はこの手のカレンダー機構が多い。緩い回転式ベゼルの存在意義が今ひとつよくわからない。すぐにずれちゃ役に立たんだろ。

ブレスレットウォッチ
キャリバー1601A。21,600振動。17石。手巻き。日差-40〜+85秒。

チャイカ(ЧАЙКА:カモメ)の女性用ブレスレット。琥珀装飾。秒針ナシ。非常にちゃちな留め金がロシアらしいと云えばロシアらしい。微調節の効かないところもロシアっぽい。

ペンダントウォッチ
キャリバー1601A。21,600振動。17石。手巻き。日差-40〜+85秒。

これもチャイカ製のペンダント。琥珀の上蓋。上掲モデルと違って蓋に固定機能がないので開けっ放しにすることができない。さすが。

モルニヤ懐中時計
キャリバー3602。18,000振動。18石。手巻き。小秒針。

左のシンプルなモデルは懐中時計に入れ込んでいた頃に買ったもので、最初に手にしたロシア時計になる。右は「赤星勲章」モデル。中村さんから購入した。裏蓋には大祖国戦争を記念するモールドがある。いずれも非常に重たい。まだソ連だった頃の左のモデルにはチラネジがあるが、右のモデルのテンプにはない。前から気になっていたのだが、時計の写真というものはどうしたわけだか10時10分(1時50分)前後に針を置いている。そのほうが格好良く見えるということなのか。




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