JUPITER lens series


 細かな経緯は他に譲るとして、現在ユピテル(ЮПИТЕР)レンズとして知られる多くの旧ソ連製写真用レンズは、ツァイス・コンタックス用レンズを基盤として誕生、発展した。それはベルテレの手になる5cmのゾナーSonnarが2種類と、その発展型と見なせる3,5cmのビオゴンBiogon、それに13,5cmと8,5cmのゾナーである。
 いま、手許にあるユピテルはすべてキエフ-コンタックスマウントのもので、そのほかにLTM(ライカネジマウント)のものとM42(またはライカではないM39)マウントのユピテルが存在するが、今のところ守備範囲外なのでここでは言及しない。


 すべてのキエフ(ハッセルブラードやミノックスなどのコピーもキエフという名を冠するが、いまここではコンタックスコピーだけを指す)には標準レンズとしてユピテル8がついてきた。これはゾナー2/5cmの性能を有ち、最初はイエナ最後期の沈胴仕様でZ.K.(З.К.)またはゾルキー(ЗОРКИЙ)という名前であった。ユピテル8の名前で登場したときは、その仕様は戦後イエナ製の固定鏡胴そっくりだった。この標準レンズは何度か銘環の表示を変えながら、最終的には安っぽい鏡胴の仕上げにまで零落してしまったが、キエフの臨終まで生産され続けたらしい。
 よく目にするユピテル8M(1,8/53)の開放F値と焦点距離は、おそらく本来のゾナー2/5cmのスペックを示唆しているものと思われる(ただし、オリジナルコンタックスの測距儀は52mmを基準としているようだ)。ユピテル8は主にKMZにおいて生産された。不思議なことに沈胴のゾナー2/5cmに比べると、開放でも十分なシャープさが窺える。3群6枚。


 ツァイスがコンタックスレンズで擁した勢力は、その当初から驚異的であった。ゾナー1,5/5cmにはそれ1本で、旧型のコンタックスカメラがテッサーレンズつきで買えるくらいの価格がついていたが、その価格に見合うだけの性能を誇っていたのは間違いない。KMZとザゴルスクで生産され、いったん打ち切られたあとに近年再び生産が、おそらく白ロシア近辺で始まったユピテル3は、その「ベルテレのゾナー」の正統(オーバーコッヘンのイチゴゾナーがネーミングにおいて正当であるならば)な後継者といってよく、開放から大変鋭い描写をする。近距離で開けて撮ると背景のぼけがうるさいし、さすがに点光源を周辺に入れると派手なコマ収差を現すが、それを厭がる人ならはなからこんなレンズなどに興味を示さないはずだ。おそらくその構成は戦前のままであろう、3群7枚。


 数々の伝説に彩られたゾナーのなかでも、このユピテル9の母体であるハチゴ(8,5cm)のゾナーは、身近にありながらなお卓絶した存在であったらしい(18cmのゾナーはあまりに遠く、F1,5の標準は先鋭的すぎた)。ポートレイトゾナーあるいは舞台用ゾナーとも呼ばれたこのハチゴは、確かに今日でも背負った歴史とレンズそのものの重さに相応しく優れた性能を発揮するし、それはユピテル9でも同様である。ただし、ユピテル9は末期イエナ製の構成を受け継ぎ、オーバーコッヘンの後継者がリファインされたのちも変化はなかったようだ。
 戦前のイエナ製ハチゴゾナーには、十分ハレを切ってやらないと、画面中央にはっきりとしたフレアが出る特徴があった。これは後群が3枚貼り合わせに変わった(それまではF2の標準ゾナーと同じ2枚)終戦前後のイエナゾナー、したがってユピテル9でも、同様に見られる。この弱点は、5,6くらいに絞ってやるとだいぶ逓減するようだ。市場ではKMZ製のほか、アルセナル製のユピテル9が一番多く見受けられる。3群7枚。


 ユピテルと名のつくキエフ-コンタックスマウントレンズで、唯一、このユピテル12だけがゾナーの後裔ではない、というのは一面で正しいし、また誤ってもいる。それはもちろん、ツァイスの3,5cmビオゴンがゾナーの発展型であるためなのだが、そのデッドコピーといわれるユピテル12もまた、今日においても第一線級の描写力を持つ。もちろん、第一線級とは云っても半世紀も前の設計だ。現代レンズに比べようもないのは確かだが、解像力では計れない表現をみせてくれる。
 ビオゴンの特徴だった巨大な後玉には、眷属を通して主に3つのパターンが存在し、ユピテル12の場合は戦後(戦中)イエナ製と同じスカートつきか、独特の蜂腰形状を持っている。特に蜂腰形状のものは、ガラス玉がむき出しになっており、外周を黒く塗装してあるだけなので、塗装の剥がれに注意を要する。鏡胴外観がアルミのクロームメッキのものが大体イエナ時代のデッドコピーに近しく、70年代からの黒塗装バージョンでは後玉はほぼ10割がた蜂腰状とみていい。4群6枚。


 ユピテル11はもちろん、ゾナー13,5cmの設計を受け継いだレンズであり、18cm以上のレンズが供給されなかったキエフシリーズのなかでは、手頃な望遠レンズである(オリンピアの異名をとった18cmゾナーこそ他のマウントでは生産されたにしろ、さすがにレフボックスでの供給もソ連は諦めたようだ)。手頃、とは云っても、さすがにテレゾナー系のレンズ、ガラスの固まりみたいなもので、そのスマートな外観の割には大変重い。おまけにカメラに取り付けると、コンパクトカメラのズームレンズを伸ばしきったようななんとも間の抜けた恰好になる。
 戦中イエナ以後このユピテルレンズまでアルミ鏡胴のものが多く、これが精度上厄介な問題を引き起こすが、開放至近距離で使うのでない限り、それほどの不満は感じられない。旧イエナの設計そのままであるため、オリジナルと同様、糸巻き型の歪曲がみられると云われる。3群4枚。


 ユピテルレンズはそれが戦後現れたときから、なにはともあれコーティングされていた。その感覚がツァイスのマークを唯一凌駕できるПマークは、Просветленный(明澄化)またはПрозрачнере(透明な)を意味するものとされるが、赤いTの原語同様、真相はもはや闇の中だ。ただひとつ云えることは、ユピテルレンズの(そして他のソ連製レンズの)コーティングには、非常に大きな仕上がりのばらつきが見られるということで、これはスライドを撮ろうとする人に対して適度の、たぶん無用の緊張を強いる。モノクロやカラーネガを使う分には、実用上大した問題はないだろう。最近のコーティングについて性能の向上と安定が報告されているが、確認したことはない。




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