FED lenses


 ハリコフのフェリクス・エドマンドヴィチ・ジェルジンスキー・コンミューンで1932年頃から開発と云う名の模倣が始まった小型カメラ生産計画は、2年後にはプロトタイプを送り出すことが可能になっていた。その名をフェド(フェト)というこのライカDIIに恐ろしくよく似たカメラは、その最初にライカI(A)を参考にしたからだろうか、フランジバックが規格化されたライカDII以降のそれと異なり、わずかに短い。そのためフェド用のレンズは厳密にはフェドでしか使えないのがこの世界の常識である。
 フェドには知られる限り5種類の量産レンズとプロトタイプ1種がある。いずれもコーティングはされていない。


3,5/50mm
 フェドの標準レンズであり、姿形はエルマーを参考にしている。しかしその実態はテッサーである。どうしてエルマー型(絞り幕が第1、2群間)ではなくテッサー型(同第2、3群間)なのか詳らかにしないが、同時期の一眼レフカメラ、スポルトがコンタックスのテッサー風を装っていたことを考えるに、光学のスペシャリストに倣うがよしとしたのだろう。その他の造りはエルマーそのものである。3群4枚、根がテッサーだからよく写るが、本家ほどではない。
 戦後インダスター22としてゾルキーやフェド2などに装備される。恐らく光学的には何も変わっていないと思われるが、フランジバックはライカに準じるようになった。戦後のごくわずかな期間、国際式絞り表示に変わっている。


2/50mm
 当時望み得るもっとも明るいフェド用のレンズ。見た目はどのライカレンズとも似ていない。構成ははっきりしないが4群6枚であり、ズマールに似ているかそのコピーだと推測される。もちろんコーティングされていないので、コントラストは低く、柔らかい写りをする。光線条件に注意してやれば、結構実力のあるレンズとも云える。フロントの硝材はズマールほど柔らかくはないようだ。沈胴式。
 戦後のライカ型ソ連カメラはそのレンズをツァイス設計に準拠統一してしまったため、フェドはより個性的なソビエトレンズを楽しめる唯一のライカコピーカメラと云える。このフェド2/50を含めて、すべてのフェドレンズは1948年以降作られていないものと思われる。


3,5/50mm
 マクロ撮影用に準備されたと思しい50ミリレンズ。特別な接写装置は伝わっていないため、どうやって実用に供したのかは判らない。恐らくスタンドにカメラを据え付けて、被写体面まで計測して使ったのだろう。鏡胴にはワーキングディスタンス(フィルム面ではなく、フランジからの距離)と撮影倍率が刻印されている。距離計には連動しないが、一応無限遠から撮影可能だ。


4,5/28mm
 フェド唯一の広角レンズで、戦前に存在したどのライカ判28ミリレンズよりも明るい。これはある意味すごいことだ。レンズ構成もヘクトール6,3/2,8cmやテッサー8/2,8cmとも違う独自(?)の4群6枚であり、意外とソ連の技術陣もやるものだと感心させられる。ただし、傾斜カムのため距離計の連動機構はお粗末で──というよりボディのマウント側に問題があるのだが──、組み合わせ個体によりまったく精度が出ない。この傾斜カムは取り付け位置を調整できるのが唯一の救いかもしれない。
 生産本数は少なく、またビューファインダーもフレーム型しかないものと思われる。エレメントが小さくて汚れやすい上、界面数も多いためか、フレアが出やすく大変甘い描写をする。


6,3/100mm
 これまたフェド唯一の望遠レンズであり、マウンテンエルマーのコピーだともまことしやかに囁かれているが、そんなことはない。2群4枚のテレタイプでダブルヘリコイドをもち、距離計に連動して1mまで繰り出せる。この焦点距離でこの最短撮影距離は大したものだ。プロトタイプまたは先行量産型としてF5,9のバージョンが知られている。専用の筒型ビューファインダーが存在した。
 写りはまずまず、当時の平均的な描写だと思われる。カリッとしたシャープさにはほど遠いが、しっかり芯が通っていて、全体的にソフトだ。モノクロでこのレベルだから、カラーネガなら十分実用範囲だろう。問題は距離計連動がお粗末なことであって……




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