Kiev II / III


名称:Киев II
製造・年代:Arsenal、1947-c.1955
画面サイズ:36×24mm(135フィルム)
ファインダー:一眼式逆ガリレイ式ファインダー
シャッター:不詳(縦走金属幕フォーカルプレン)、セルフタイマつき
シャッタ速度:B-1/2-1/5-1/10-1/25-1/50-
1/125-1/250-1/500-1/1250
レンズマウント:コンタックス-バヨネット式
距離計連動距離:0,9m-∞
容積:139×85×39mm/600g
名称:Киев III
製造・年代:Arsenal、c.1950-c.1955
搭載露出計:セレン式非連動露光計
容積:139×95×39mm/700g
 いわずとしれたツァイス・イコンの栄光、コンタックスシリーズのコピー。とはいえ、ドレスデン製のコンタックスに比較して、金型や光学部品などにいくつかの相違点が見られるから、デッドコピーと云うよりはライセンス商品と見なした方がいいかもしれない。もっとも、ライセンス料などツァイスに入ってきてはいないのだが。実際のところ、キエフのラインを立ち上げるときに、ツァイスの技術者が(自発的か強制連行かはともかく)関与しているらしく、それがコンタックスの複雑で暴力的な機構をソ連において半世紀近く、生産しうる環境を整えた。

 キエフIIは1947年、キエフIIIは遅くとも1951年には生産開始されており、III型については1954年時点で年間生産数1万台を超えたものと思われる。最初期のキエフはその一部乃至全部がイエナで制作されていたらしく、それはおそらく、来るべき未来のための、そしてまた輝かしい5カ年計画の成就のための、ソ連技術者の訓練みたいなものだったろう。やがて50年代の初めには全行程がキエフ市のアルセナル工場に移ったと見られ、あの精密極まるファインダープリズムロッドからネジ1本に至るまで、ドレスデンの痕跡はもはや見られない。1955年頃、キエフには当時の流行に従って、フラッシュシンクロソケットが取り付けられた。50年代の終わりには、新しいキエフシリーズがスタートする。

 キエフII、キエフIIIとも使い心地、使用方法は戦前のコンタックスII、IIIと変わらない。わずかに個体によって巻き上げが重かったり、裏蓋の噛み合わせが悪かったりするが、それにしても十分実用には足りる。もちろん、シャッターリボンの脆弱さもオリジナル同等だから、使い続けるにはそれなりの覚悟がいる。コンタックスは約4万回のレリーズに耐えるよう設計されていたので、キエフもそれくらいの耐久力を持っていようが、「今日でちょうど1万年目」の如く、買ったその日にリボンが切れないとも限らない。ただし、リボンの切れたキエフ(コンタックス)は直らない、というのは誤解というよりもむしろ迷信であり、直らないキエフなど存在しない。直すのに約1台分の金がかかるくらいである。セレン露光計の寿命についても俗信がまかり通っているが、実際のところCdSより劣化しにくく、キエフIIIに搭載された露光計の精度は、戦前のコンタックスIIIのそれにほぼ同等、室内くらいは測光範囲内だ。

 交換レンズには標準の2/5cmを含めて6種類が供給された。キエフシリーズは戦前のコンタックスとは交換用レンズも含めて、完全に互換性を持つ。ソ連では生産されなかった3種類のテッサー、8,5cmのトリオターもキエフに装着可能で、さらに、戦前のビオゴン2,8/3,5cmが装着できると云う点で、戦後のコンタックスaシリーズよりもアドバンテージを有つ、とすら云える(暴言)。ただし、後期のレンズについては、マウント整形の品質管理があやふやになっためか、ボディとの相性があるので注意を要する。ひどい場合には装着したきり外れなくなることがあるのだ。フレクトスコープレンズは所持していないので、取付けの可否についてなんとも云えないが、少なくとも、ソ連ではフレクトスコープレンズは生産されなかったようである。




[ <ソ連の写真器材>インデクスに戻る ]