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| 名称:ФЭД Микрон2 |
| 製造・年代:FED、1977-86 |
| 画面サイズ:36×24mm(135フィルム) |
| ファインダー:距離計連動ファインダー、ブライトフレーム |
シャッター:不詳(ビハインドレンズシャッタ、2枚羽・絞り羽と兼)、 シンクロ接点(X) |
シャッタ速度:1/30-1/60-1/125-1/250-1/500-1/650(オート) B-1/30(マニュアル)、1/30(X接点) |
| シンクロ接点:X接点(1/30)、ホットシューのみ |
| レンズ:INDUSTAR-81、2,8/38、A48/S46×0,75 |
| 絞り:F2,8-16(マニュアル)、F2,8-14(オート)、F2,8(B) |
| 距離計連動距離:1m-∞ |
| 露出測光機構:CdS素子。設定範囲16-350(GOST) |
| 電源:PX13×1 |
| 容積:112×77×59mm/460g(レンズ込み) |
ライカのクローンシリーズを生産し続けてきたフェド工場は1970年代に入ると、シネサイズ──いわゆるハーフフレーム──のカメラを世に送り出した。これがフェドミクロンで、BelOMOのチャイカよりもコンパクトなボディだった。なによりフェドミクロンには、セレンを利用した自働露光(AE)機構がついており、その連動範囲はF1,9の1/30からF13の1/800までをカバーする、プログラムAEの走りともいうべきものだった。
このフェドミクロンのボディサイズをほぼそのままに、画面サイズをフルフレーム(36×24)に拡大したのが1977年のフェドミクロン2である。もちろんAE機構つきで、今回はCdS素子を使い、設定感度はGOSTで16から350までだった。
フェドミクロン2は革命60周年の年に生まれ、70周年を迎える頃に生産を停止する。その後継者はよりモダンなデザインの、フェド35というものだった。
フェドミクロン2のデザインは非常にストイックだ。チャイカやヴェラほどではないが、必要最低限の構造を必要最低限の面で規定しており、余計なものはなにひとつない。確かに機構的には同時代の日本製コンパクトカメラのほうが優れているし、見た目も華やかだが、その簡素で透徹した佇まいにおいてフェドミクロン2を超えるものはなく、やはりソ連は全体主義の国家であったことを認識せざるを得ない。
原始的なプログラムAE機構を備えたシャッターは、絞りを兼用する2枚の羽で構成され、絞りとスピードの組み合わせはファインダー内で確認できる。オートでは1/30より低速のシャッタは切れないようになっており、指針がレッドゾーンに入って警告するが、その一方で、どんなに明るくてもF14の1/650で切れるから、オーバー側の歯止めは利かない。バルブと絞り優先ではマニュアル(単速1/30)しか使えないので、つまるところこれはスナップショットカメラなのである。それでも感心するのは専用のフードがついていることだ。しかもキャップを付けた上から逆さにはめて携帯できるくらい、よくできている。
このカメラの一番の問題は、アイレットがないことだ。おかげで専用のケース(これがまた昔ながらの構造で、非常に使いづらい)なしには持ち歩きに不便する。もっとも、この手のカメラは首から提げるよりも、ポケットやかばんに忍ばせておく類のものだから、案外、ケースなんてものは無用の長物かもしれない。どうしても必要な向きは、三脚穴にねじ込むストラップを利用すればいいだろう。
筆者の所有するフェドミクロン2のうちの1台は、最初のロットかそれに近いものだと思われる。木製の化粧箱にケースや取扱説明書と一緒に収められており、その化粧箱の意匠は、これが革命60周年を祝うひとつの成果だと主張しているかの如くである。だが、その謳い上げる国家はすでに存在せず、同じ大地の上にはただ、前世紀の幻を追って迷走する老熊があるのみだ。ちなみに1980年当時で125ルーブリ。