Elektra 112


名称:Элекмра112
製造・年代:LOMO、1980-86
画面サイズ:36×24mm(135フィルム)
ファインダー:逆ガリレイ式距離計連動ファインダー
ファインダフレーム:採光式ブライトフレーム、近距離補正マーク
シャッター:ビトゥイーンレンズシャッター、セルフタイマつき
シャッター速度:8s-1/500(オート)、1/30(マニュアル)、1/30(X接点)
シンクロ接点:X接点(1/30)、ホットシューのみ
セルフタイマー:あり(動作時間不明)
レンズ:INDUSTAR-73、2,8/40、A51/S49×0,75
絞り:F2,8-22
距離計:二重像合致式
距離計連動距離:0,8m-∞
露出計:CdS素子
感度設定範囲:16-500(GOST)
電池:MR-50×2(推定)
容積:W112×H77×D59mm/460g(レンズ込み)
 LOMO(レニングラード光学機械企業連合)という組織は、少し前まではGOMZといって、ソ連にあってはわりかし独創的なカメラを作っていて、LOMOと組織名が変わったあとに、ロモカメラと俗称されるLC-A/Mが、西側で流行性感冒のような理解不能のブームを巻き起こした際にも、もう少しましなカメラをちゃんと世に送り出していた。
 確かにLOMOの母体は、ロシアが赤くない皇帝を戴いていた時代に生まれた、つまりユーラシア大陸最古の光学産業体のひとつだけはあって、ロシアンカメラ(この呼称は大概において誤っている。われわれが憧憬するフェドとかキエフとかレニングラードとかモスクワとかコメータとかゆうカメラは、ロシア帝国でもロシア共和国でもなく、ソビエト社会主義共和国連邦のもとに誕生したのだ)が西側のコピーの代名詞のように云われる中で、独創的と云えなくもない一種独特の雰囲気をもつ、一連のカメラを制作することに長けていたようだ。とりわけ、ライカとコンタックスを凌駕しようと企図された1950〜60年代のいくつかのカメラは、実際、そのカタログスペック上彼らの偉大な先達を凌駕することができたし、なおかつ模倣ではなくソ連製であると主張することもできた。しかし、販売実績と政策上の観点からこれらの記念碑的な製品は文字通りの記念碑となり、結果的に大量に出回って大衆の──あるいは同志の武器となったのは、廉価な──その分ソビエト的でもあった──カメラの群れであった。ソビエト式社会主義というのは資本主義の分派に過ぎないと、誰かが云っていたのを思い出す。
 さて、サンクト・ペテルスブルクがまだレーニンの名前を冠していた頃、1980年と云えば、もちろんソ連のアフガン侵攻の年であり、ついでに言及するならモスクワ五輪の年でもある。この年にエレクトラは誕生した。今見るとどうってことはない、二昔くらい前の日本にもいっぱい転がっていたような形のカメラだ。似たような小型カメラに、FEDのフェド・ミクロン2があるが、どちらかというとエレクトラのほうがごてごてしている感触を受ける。つまりこう云って良ければ、エレクトラにはソビエトの空気が薄いのだ。
 そんなエレクトラ、一見しょうもないコンパクトカメラの風を装っていても、距離計連動式だし、絞りも自分で設定できる。てゆうかしなければならない。つまり絞りに応じてシャッター速度が可変、つうことは、絞り優先AEを搭載しているということだ。AEたって、別にそんな高度なものじゃない、エレメカ程度のものなんだが。先述のフェド・ミクロン2、これはプログラムオートの先駆けである。カメラの歴史から云えば後発のエレクトラのほうが「遅れている」のは間違いないのだが、カメラで遊ぶような徒輩にとってはエレクトラのほうが「優れている」んだから、困ったものだ。
 シャッターの最高速1/500というのは、当時のソ連にしては頑張ったものだと思う。何度も引き合いに出すけど、かのフェド・ミクロン2の場合は1/650だが、これはシャッター羽兼用の絞り羽をF14まで絞り込んでいるから、比較にはならない。F2,8開放で1/500が切れれば大したものだろう。ただし、バルブは使えない。使えるのかもしれないが判らない。セルフタイマーも装備しているはずなのだが、皆目見当つかない。スローはカタログ通り8秒くらいまでいくようだ。
 仕上げはクロームの精悍なボディトップであるが、この個体は黒塗装バージョンだ。こころなしか安っぽく見えるのは、フォルムがあまりに普通だからだと思う。そのぶん、かえって怪しまれないソビエトカメラである。




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