長野の“脱ダム”の意味を各地で生かそう!

〜八ッ場ダムを考える会が講演会〜




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 「八ッ場(やんば)ダムを考える会」の講演会と総会が2002年10月19日、群馬県前橋市の群馬大学で開かれました。
 以下は、ジャーナリストの保屋野初子さんによる講演内容(要旨)です。


保屋野初子さんの講演(要旨)



長野の“脱ダム”の意味を各地で生かそう!

〜八ッ場ダムを再考するにあたって〜



ジャーナリスト 保屋野初子



●長野の“脱ダム”の経過
 “脱ダム”をめぐる経過は次のとおりだ。

 2001年2月  田中知事が「脱ダム宣言」を発表
    3月  県議会が「長野県治水・利水ダム等検討委員会設置条例」を制定
    6月  検討委員会はじまる
    11月〜 検討委員会が設置した流域部会(浅川、砥川)はじまる
 2002年6月  検討委員会が浅川、砥川について「ダムなし案(河川改修案)」を答申
    7月  田中知事が両河川について「ダムなし案」決定
    7月  県議会が知事不信任
    9月  出直し知事選で田中氏が圧勝再選
    現在  残る7河川について流域部会審議中
        (薄川、上川、黒沢川、清川は実質「ダムなし」、残りは未定)
 今年6月の県議会は“ダム議会”であり、議題のほとんどがダム問題だった。
 私も傍聴した。県議会では粛々と議論されているのかと思っていたら、なんと猛獣園のような感じだった。野党議員からのヤジや怒号はすごいものだった。

 ダムをめぐる議論の焦点は「基本高水(たかみず)流量」だった。これは、簡単にいうと、河川のある地点で洪水時にどれだけ水が出るかを毎秒何トンという数字で表したものである。これが各地のダム計画の根拠となっている。多くの河川の場合、流量のデータ不足ということで雨量にいろいろ係数を掛けて引き延ばし、想定される最大流量を計算上割り出している。

 全国各地のダム計画と同じように、浅川と砥川(とがわ)についても、この数値が高すぎるという指摘が以前からされていた。
 基本高水流量は、国交省の治水の“聖域”となっている。そのため、田中知事は、この基本高水流量の数値は動かさない、下げないということにした。そうしないと、国土交通省との関係が非常にむずかしくなるからだ。

 「長野県治水・利水等検討委員会」は今年6月7日、激論の末、浅川と砥川について「ダムによらない治水・利水案」を答申した。簡単にいうと、「河川改修プラスアルファー」でいくということだ。これに対し、県議会最大会派の県政会が猛反発し、「アルファー」の部分が明確でないという攻撃をしてきた。

 しかし、すでに全国で70を超えるダムの建設計画が中止になっているものの、中止決定時には、どこでも代替案はなく、中止後に具体的な検討に入るのが当たり前となっている。が、県政会は、「代替案をすぐに出せ」と迫った。そして、知事に対する不信任案を出した。
 ところが、不信任案提出の理由にはダム問題はまったく入っていなかった。知事の資質や手法だけを問題にした。「あんたの性格や資質が悪い」というものだ。こんな理由で不信任案がだされたのは前代未聞だ。
 要するに、ダムや政策についてはスジが通せなかった、何も言えなかったということだ。県政会は「まず、不信任ありき」だったため、スジがとおらない議論に終始した。

 ご承知のように、知事は議会解散ではなく、失職の道を選んだ。その本音は、議会を解散させたくなかったということだと思う。来年4月に県議会議員の選挙があるが、そこでは議員定数が4つ減る。しかし、7月選挙だと現状定数のままだ。こういうことから、県政会は、「県議会解散→7月選挙」を目論んで不信任案を提出した。しかし、知事が議会解散ではなく失職を選んだため、その目論見はくずれた。

 出直し知事選の結果は田中氏の圧勝だった。世論調査の結果をみると、有権者の7割が「政策をみて選ぶ」としていた。これをみると、長野県民の意向はラディカルだと思う。県民の多くは改革を望んでいたということだ。

 再選後は、知事の提案がほとんど議会でとおるという状況になっている。県政会も四分五裂になった。いろんな議員がいろいろな提案をするようになっている。姿勢が変わらないのは共産党だけだ。

 こうした経過をみて思うのは、“脱ダム”を実現するのはたいへんなことだということである。知事のクビを1回切らないとできない。“脱ダム”を実現するのに、カネもずいぶんとつぎこんでいる。


●ダムは「負の遺産」に変わる

 ダムは「負の遺産」に変わりつつある。それは現実が証明している。
 たとえば天竜川水系の堆砂がそうだ。ここは、いくつものダムがつぎつぎと砂で埋まりつつある。 佐久間ダムなどは土砂がたまって砂利採取場と化している。かつては、土砂を自然の力で遠州灘の河口に運んでいたが、いまは、ダンプが土砂を遠州灘へ運んでいる。

 海岸も、土砂の供給が少なくなったため、浸食がどんどん進んでいる。こういう状況は大井川も同じで、全国各地でみられる。浸食対策としてテトラポットが並べてある。しかし、下の砂がけずられるためにテトラポットがどんど沈んでいく。このように、日本の自然は壊され続けている。


●「脱ダム」時代が到来

 今は、水需要は停滞あるいは減少へ向かっている。上水道も工業用水も余っている状態だ。
 さらに、ダム建設で受水する自治体はどこも財政難に陥っている。受水自治体は、受水量に応じて多額の負担をしなければならない。そうした自治体が「もう水はいらない」と言いだせばダムをつくるのがむずかしくなる。ここに“脱ダム”の重要なカギがあると思っている。
 ダムはまた、環境も破壊する。さらに、計画時のような水害は激減している。したがって、「もうダムはいらない」というのが実態だ。


●“治水”を転換できるか

 いま治水で問題となっているのは都市型水害である。一級河川などは堤防が決壊するというようなことはなくなりつつある。
 したがって、これからは「総合治水」の具体化が課題となっている。堤防やダムといったハード(施設)重視で洪水に対処するのではなく、ソフト面を重視しなければならない。
 流域全体で洪水をコントロールするが必要になっている。また、洪水が起きたときにどう逃げるかということも大切だ。そのためには、住民に情報を全面公開することが必要だ。治水計画、水防体制、ハザードマップなどである。
 また、自然がもつ洪水調整力を生かすことも重要だ。これはヨーロッパなどではすでに行われている。たとえば遊水池をあちこちにつくるなどということだ。遊水池を設けるのは日本の土地事情ではきびしいが、何も土地を買い上げる必要はない。


●ダム問題は政治そのもの

 長野では、今まで「ダムは必要」と言ってきた人たちが、「ダムは不要」と言いだすようになっている。県議もそうだ。その意味で、“ダム問題は政治そのもの”といってよい。

 国民のニーズの変化にこたえるのが政治だ。ダムは過疎地対策とも言われている。しかし、ダム工事で一時的に雇用が増えるだけで、じっさいには、ダムができると過疎がいっそう進むというのが実態だ。


●マスメディアも行政も県民も変わることが求められている

 長野のダム問題や知事選に対するマスメディアの対応にふれたい。
 田中氏が最初に知事に当選したときは、マスメディアも盛んにもちあげた。しかし、「脱ダム宣言」の発表以降は、マスメディアの対応が変わった。決定的だったのは県政記者クラブの廃止だった。

 記者クラブの廃止は新聞社の権益をうばうことになり、大新聞が“敵”にまわった。記者クラブの廃止は、マスメディアに情報独占をさせないということだった。大新聞は、既得権益の側にいたことに気がつかなかったのだと思う。

 田中知事個人を好きになれなくとも、それは話が別だ。しかし、新聞報道は、記者の個人的な感情がモロにでていた。あまりひどいので、私もある新聞社に抗議し、「事実報道と記者個人の意見はきちんと区別してほしい」と要請した。
 ちなみに、現在は、マスメディアも「中立」にもどっている。

 新聞報道などがおかしいと思ったら、どんどん意見を言うべきだ。新聞も売り上げが落ちるのは困るだろう。
 何かを変えるというときには、知事だけ変わってもダメだ。マスメディアも市町村も県民も変わることが求められてる。
(文責・『自然通信ちば』編集部)







〈保屋野初子さんのプロフィール〉
 保屋野さんは、田中康夫さんと一緒にペンで戦ってきた女性ジャーナリストです。 1957年、長野県上田市生まれ。筑波大学卒業。現在フリージャーナリストとして活躍。朝日新聞社の『アエラ』編集に携わるほか、欧米での環境問題をルポするなど、週刊誌に記事多数。著作は、『田中県政への提言』『長野の「脱ダム」なぜ?』など。




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