雨水タンクから見えるもの


牛野くみ子



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 我が家は、玄関の横に天水尊(てんすいそん)を置いている。これは、屋根に降った雨を樋から引いて雨水を溜めるタンクである。珍しいのか、通る人が、どこで買ったのか、いくらか、市の補助はあるのかなどと聞いてくる。容量が200リットルだから、たかが知れているが、置いただけのことはある。そして雨水タンクからいろいろなことが見えてくる。
 天からの贈物を一度も使用しないまま側溝を通じ、下水道へ流し、海へと捨ててしまうのはもったいない。そう思っていたら、9世紀も前にそう言っていた人がいた。12世紀頃のスリランカの王様だそうだ。「空から降った雨の一滴も人類のために使わず海に流してはいけない」と。
 この言葉どおりに降った雨を有効に利用しているのが東京の墨田区で、国技館や江戸博物館は、雨水を地下に溜めトイレに使用しているのは皆様ご存じのとおり。
 なぜ、墨田区かといえば、昔から良い水に恵まれなかったことと、洪水対策である。だから、水との関わりを大切にしている。公共施設や企業、個人が水を溜めれば、一気に雨水が下水に流れ込むのを防ぐことができる。
 先日、「公害原論」でお馴染みの宇井純さんから流域下水道の話を伺った。現在、下水道処理場は迷惑施設として押しつけあっているが、今後は一定量が確保できる貴重な水資源として取り合いになるのでないかと予見していた。つまり水は、一度使用して捨ててしまえるほど十分ではなく、循環して使用しなくてはならないこと。下水道処理場の水をそのまま飲むことはできないが、千葉県は農業県であり、農業用水に回すことは可能である。
 水は生あるものの命。それなのに現在、都市に降る雨は邪魔者扱いされ、すぐ海へと捨てられる。都市こそ雨水を溜めてほしい。そして、都市に住む私たちの便利な生活は、ダムにより水没させられたあるいはさせられる農村の犠牲の上に成り立っていること、さらに、そのダムも堆砂により粗大ゴミになるであろうことに思いを馳(は)せたい。
 我が家では、溜めた雨水を植木の水やりや、洗車に使用している。一度、お風呂にも使用したが、何やら油臭くあまり気持ちのいいものでなかった。これは、自動車の排気ガスが原因となっている。
 便利さの裏側にはいろいろなものが隠れている。それを見つけ出すと、生き方そのものを変えなくてはならない。すぐには変えられないかもしれないが、糸口にはなる。
 別にタンクでなくたって、発泡スチロールの箱だって、バケツだって水を溜めることはできる。さあ今からやってみよう。きっと何かが見える!

(1998年10月)   





牛野さん宅の天水尊



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