環境破壊と市民運動

〜 銚子の自然保護運動 〜


銚子市民運動ネットワーク 代表 戸石四 郎



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■農・漁村地帯の自然は瀕死の状態

 千葉県の農・漁村地帯の自然は、まさに瀕死の状態にある。銚子もその例外ではない。私のすむ君が浜には、国定公園特別区域でもある、約30ヘクタールの国有林がある。ここは、渡り鳥をはじめ、多様な生物の営みがみられる。しかし、最近は野鳥が激減し、ホンドリスも姿を消した。イチヤクソウ、ンュスランなども同様である。増えているのはセイタカアワダチソウなどの外来勢とゴミばかりだ。犬吠灯台に続く浜は、白砂青松といいたいところだが、暴風雨があると、海はたちまち茶色に濁り、打ち寄せられたプラスチック・ゴミで渚は足の踏み場もなくなる。一方、北総台地の自然の原型であった谷津田は、休耕や乱開発で見る影もない。
 乱開発という直接的な作用もさることながら、生物相はもっと深い所から影響を受けているように思われる。例えば、酸性雨の本市97年データでは、年平均pH5.13、近くの小見川では11月4日に2.84という信じられない値が出ている。河川を見ると、70年代から90年代にかけて、利根川最下流でBOD・CODが約1.5倍になり、市内小畑川ではBODが63から114と、完全に下水溝化している。本市の水道水がトリハロメタン値等で全国最悪レベルなのも当然であろう。本市城のトウキョウサンショウウオ分布、80年と90年に調査した丹野等によると、10年間に生息地点が72から29に減り、環境指数(5段階)も4から2.5へと低下していた。市と周辺地域は相次ぐ産廃処分場計画に大揺れだが、既設の小浜処分場だけでも、推定7億人分の致死量に当たるダイオキシンが、焼却灰とともに埋まっている。ちなみに本市のガン死亡率は、93年・県資料で、10万人当たり平均・全国180人、千葉県140人に対し、本市では265人という異常な高さを見せている。
 東総地域の産廃・処分場問題については、百聞一見にしかずである。ある研究者の「産廃は現代社会のウンコ」という言葉を借りれば、この地域はまさに「ウンコまみれ」にされつつあるといえよう。しかし、昔はウンコを「肥え」といった。廃棄物は社会と自然を「肥やす」ものだったのである。私たちはそのことを踏まえつつ、新たな循環型社会を目指し、運動している。
 次に、ここに至る地域の歩みを振り返り、その困ってきたるところを考えてみたい。




■銚子における自然破壊と自然保護運動

 本市での自然破壊は、戦後復興とからんで進行した。土木資材用の石材、砕石、海岸における砂鉄採掘とも重なった砂採取事業などがそれである。公営住宅地造成のために、海岸林一帯が伐採され、燃料用の盗伐も、海岸林等の荒廃に拍車をかけた。これらに対する批判が一部知識層から上がったが、生活に追われる市民全体の声にはならなかった。
 戦災復興事業が一段落した1950年代以降は、名洗避難港、漁港整備、水路埋め立て、河川整備などの改変が、浜砂・砕石採掘とも平行して進められ、自然や地形、景観が大きく変わっていった。  高度経済成長が本格化した60年代になると、「本流に乗ることが大切」と開発路線をとる市政のもと、国定公園地域の目玉である犬吠灯台周辺の観光開発に伴う、自然・景観破壊が深刻になった。市有地売却による京成ホテルをはじめ、海岸一帯にホテル・旅館、観光施設が乱立したが、公園区域でのホテル等の建設には、公園整備事業という名の抜け道が現在にいたるまで、用意されている。64年、南部の名洗港商港化と埋立てによる企業誘致の動きも進んだ。69年には利根川河口堰が完成をみた。この事態に危機感をもった知識肩を中心に「銚子の自然を守る会」が結成され、行政に海岸保全を陳情するなど、組織的な運動が初めて展開されることになった。
 70年代は、上記名洗への520万KW火力誘致・重要港湾化に反対する全市的運動が起こった。それと運動する屏風ガ浦への有料道路建設など、乱開発による自然破壊も深刻さを加えた。自然を守る会とともに、ナチュラリスト等による「銚子の自然を楽しむ会」がこの時期に発足し、「市民の会」など池団体とも共同して活動した。心情的な運動から科学的展望をもったそれへと、自然保護運動も進化したといえる。
 78年、市民団体との政策協定のもとに、大内市政が発足した。その2期8年間は、自然保護行政の面でも、評価に値する。例えば中央みどり公園の開設、君が浜しおさい公園計画の策定などがそれである。後者の場合、国定公園海岸の乱開発防止という市民要望を受け、市が約12億円で私有地を買収し、自然公園化する、というものであった。またその頃、県による君ガ浜浸食防止の離岸堤計画が浮上し、自然保護諸団体が対案として人工リーフ案を提言、後にそれが具体化した。この時期、自然保護運動は反対から提案・参加型へと幅を広げ、一定の成果を挙げたといえる。
 80年代後半から90年代のバブル期は、自民党市政の登場と重なり、マリーンリゾート、ゴルフ場、産廃処分場などの乱開発が次々と押し寄せ、自然の危機は頂点に達した。住民各団体はそれらへの対応に、再び反対の姿勢を強めざるを得ないことなった。火力・軍港化が挫折した名洗埋立地はリゾート開発の標的とされ、国のマリーンリゾートプランが押しつけられた。市水道水源地へのゴルフ場計画が市民1万人余の反対陳情を無視して推進された。これらはバブル崩壊によって展望を失ったにもかかわらず、行政は推進の姿勢を変えず、県は95年、ゴルフ場計画を許可した。市民側はその取り消しを求め、裁判中である。また現在、市民要求による懸案の市環境保全条例が、内容に問題を残しつつも、本年度中に制定されることになっている。


銚子市高田町の産廃不法投棄の山。人(左側)が小さく見える




■市民運動に課せられた課題

 以上のような歩みを振り返りつつ、いくつかの感想を述べ、まとめに代えたい。
 痛感することの一つは、冒頭に述べたように、自然・環境破壊が、地域、県下と国土から地球に至るまで、ほとんど回復不可能なまでに進行している現実である。
 二つには本市の場合、国、県、市が自然破壊の主役となってきた事実である。企業にも責任があるが、それは脇役としてである。とくに第二の経済大国だというこの国の、「日本型システム」後進性がどこに起因しているのかを、環境政策面から掘り下げる必要を痛感する。同じことは本県についてもいえる。公共事業の立案と実施、民間開発の許認可権を握る県の責任は極めて重い。最近、海上町の住民投票成功で注目を集めた、本市にも係る産廃処分場問題がその例である。計画地は市水道水源源流であり、関係3市町も反対したため、県は事前協議打ち切りの方針だった。それを突如、3日後に協議終了としたことなどに、住民は抗議の県交渉をもった。その席で環境部長は「産業の立場にも配慮して」と本音を漏らし、「あなたは産業部長か」と追求される一幕があった。住民投票の結果を突きつけられた県知事は、国に交付金を要請した。札束と引き換えに、有数の農業地帯をさらに産業界のゴミ捨て場に提供するつもりだろうか。またこの間、8万市民の水道水源保全に関わる排水処理計画、計画地内の県有地処分に関する方針などの情報公開はすべて拒否しており、まさに「知らしむべからず依らしむべし」の封建支配そのままである。これが本県環境行政の偽らざる実態である。もちろん行政と共同できる機会は活かすべきだが、そのことで行政を免罪するわけにいかないのは当然であろう。
 三つには市町村の姿勢である。本市が基本計画で、環境保全条例とともに、環境破壊の元凶である巨大火力再誘致を、臆面もなく掲げていることには、唖然とするほかはない。しかし、そうした場当たり的施政は、国や県でも変わりはない。産業界のゴミ垂れ流しを放置して、それをいかに地方に押しつけるかに汲々としている国と県、そして無力な「末端」自治体。この国の自然保護を考えると、日暮れて道遠しの感が深い。
 次に、市民運動の問題にも触れておきたい。
 一つは、本連合の発展のためにも、自然(〜保護)、および市民(〜運動)を再定義することの必要性である。
 二つは、県の環境行政への批判を強め、その転換を図ることである。
 三つは、そのためにも、環境運動の情報センター的機能を充実させることである。

 21世紀への展望は、的確な理念と戦略を踏まえた「地球規模で考え、地域で行動する」市民運動によって開けてくることを、最後に確認し報告に代えたい。
(1999年1月)


(注) 本稿は、千葉県自然保護連合が1999年1月17日に開催したシンポジウム「房総の自然と環境を考える」における講演要旨です。




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