★七里川渓谷と追原ダム計画


自然環境保全と住民のくらし

〜 「追原宣言」の背景をみる 〜


追原を歩く会 代表 う沢喜久雄







 利根川を除いて、県内でいちばん長い川は小櫃川だ。この川は、流路延長が88キロメートルもあり、上流部の亀山湖(亀山ダム)で2つに岐れている。湖からほぼ真南の元清澄山〜香木原への郡界尾根を源流とする谷を笹川といい、いま片倉ダムが建設中で、今年(1998年)の秋から水をため始める予定だ。
もう一方の川は、東へさかのぼり、黄和田畑地先でほぼ直角の南へ流れを変えて七里川という。この七里川は、石尊山〜麻綿原〜清澄山を結ぶ稜線の北西側に降った雨を、ロートで集めるような地形となっていて、そのため、いつも豊かな流水を保っている。
 この七里川を塞き止めて「追原ダム」を造る計画が、いま進められている。




 追原ダム建設の計画は千葉県庁の矢那川・片倉ダム建設事務所(木更津市潮見7の3の1)が担当している。この事務所が、表紙にカワセミのカラー写真を載せた、きれいなパンフレット「追原ダム」を作った。パンフレットには、追原ダム建設の運用目的として、

 ○洪水調節
 ○川の流れの維持
 ○君津広域水道企業団の水源確保

などに利用する多目的ダムだといい、「かずさアカデミアパークや東京湾横断道路開設に伴い、ますます発展を続ける小櫃川流域の生活や産業を支えるもの」と位置づけている。パンフレットの表紙には、ごていねいに「守ります、暮らしの安全・自然との調和」というスローガンを刷り込んであった。事業費は260億円と公表している。




 追原ダムの建設が計画されている所は、房総山地のヘソの位置にある。ここは古くから“房総のチベット”と呼ばれるほどの山深い所で、そこには君津市黄和田畑の六十数戸、ダム上流部の同市千石で数戸、さらに上流の安房郡天津小湊町四方木には二十数戸がある。この地を山歩きで訪れ、この地でくらしている人たちの仕事ぶりや話しを聞き、ますます現地にほれこむなかで思ったことは、この地域とそこに住む人々には“政治の光”が当てられるのは、いつもいちばん後になっていたということだ。
 いくつか例をあげてみよう。
 例えば“文明度”の象徴である電灯がこの地の各戸に灯ったのは、戦後も少したってからだった。それも、地区代表が何年も手弁当、ワラジばきで電灯会社に日参し、区民総出の陳情の結果、ようやくこの“悲願”が実現したものだった。
 世が車社会に突入して久しい。それは自動車産業界の“車の売り込み”と建設業界の“道路工事の促進”の両戦略が一体となって作り上げたものだった。この時代に入って、この地の次の“悲願”は「車が自由にすれ違える道路を」となった。実際、この周辺の道路整備の遅れは、ひどいものだった。
 そんな中で“黄和田の大火”は発生した。小櫃川の谷にそって山を背にして建つ山村(散村)で二十数戸が類焼する大火事となった。これは春先の乾燥、春何番に数えられるほどの強い南風という自然現象もあった。が、地域的条件としての消防施設の遅れ、消防車が集まって来られない、消防車が入って行けない道路事情のあったことが、大火となる背景があった。今でも黄和田畑の人たちは、あの日の“全焼鎮火”を涙を流しながら見守ったことを忘れてはいない。
 現在、高齢化がすすむなか、“移動入浴車”が入れなくて、その福祉の恩恵に浴せない家もある。跡取り息子が、木更津や千葉に通いきれないと言って、家を出て行って、この地をますます過疎にしているのも、道路整備のおくれが一因になっている。
まだある。1960年代に、日本の政府はエネルギー政策を“石化燃料最優先”に切り替えた。その政策転換は、この地方の地場産業の中心だった薪炭生産を皆減状態にした。これに前後して国有林の“採算性”を理由として林業育成放棄によって日本家屋は輸入外材中心になった。当然ながら、この地の林業も傾いて山仕事ができなくなった。
 そして、これと同時進行で、豊かな山林は荒れだした。山の荒廃で“山ビル”が異常発生し、サルや鹿によって広い範囲に山ビルが移動し、山ビルが落葉の下にかくれる冬季以外は、山に入る仕事を困難にしている。
小櫃川源流部は水田耕地になる平地が少ない。なんとか米の作れる耕地を広げたいとの思いから“川廻し”による水田開発があみ出された。“川廻し”というのは、山の地形によって曲がりくねっている川を、山にトンネルをくりぬいたり切り開いたりして流れをまっすぐにし、曲がって蛇行していた元の川を水田として利用する工法をいう。千葉県は県土全体が砂岩や泥岩のやわらかい地層でできているので、この新田開発法は江戸時代末期から戦前まで盛んに行われた。この川廻しの跡と、そこに水を引く“水穴”の跡は養老川、夷隅川、小糸川などの上流部でのたくさん残っている。小櫃川上流の笹川や七里川にも大規模な川廻しが行われたが、これも米の減反政策のあおりで休耕させられ、今では丈をこす雑草におおわれている。
 見てきたように、この地には“政治の光”はいちばん後まわし、逆に“政治の被害”は真っ先に受けてきた所だった。こんな国政や県政のひどさの中でくらしてきた地元民にとって、追原ダムの建設計画は“一筋の光”を見出すものとの期待がある。とくに黄和田畑から四方木を経て外房の天津にぬける県道の市原〜天津小湊線の現状は、片方は崖、片方は谷川で普通車のすれ違いができないほどの狭さ。この狭い県道が、ダムで水没するために2車線の新道ができるチャンスと考えている。同じように大多喜町から黄和田畑を通過し、亀山へぬける国道465号線は、幹線道路でありながらマイクロバスの通行が精いっぱいの現状。この国道がダム工事の関連事業で大型ダンプが行き来できる道路になると言う県の説明で、地元の期待は強い。さらにダムができれば観光にも役立つとの思いもあって、県の指導のもと、「追原ダム建設促進同盟」が昨年結成された。
 その後、「七里川渓谷を守れ。追原ダムは造るべきでない」との各界有志の陳情に対して、県当局は「ダム建設は地元住民組織の強い要望があるから」と、きまって答えるようになっている。




 このダム建設計画を、だまって見ているわけにはいかない。
 まず、このダム計画地周辺の自然の有り様だ。七里川は、雨が降っても流れが濁らない川だ。川の流域全体が緑豊かな森で、天高くヒメコマツヤモミが枝を伸ばし、クマシデや山桜が幾重(いくえ)にも葉を繁らせ、房桜や楓が青々と葉をひろげている。樹々の下は厚い落葉が山肌全体を覆い、露岩や崖地には岩タバコや十文字草が根を張り、シダやコケ類がびっしりと張りついている。流れの中には、ハヤ、ヤマベ、アユが泳ぎ、トウキョウサンショウウオやモリアオガエルが棲息している。山路を歩けば、シジミチョウやオオムラサキにもあえる。夜になれば、テンやハクビシン、ニホンジカや、最近ではイノシシにまで出逢えるほどの自然が残っている。
 これは君津市、鴨川市、大多喜町、天津小湊町にまたがって2200ヘクタールもある東京大学の千葉演習林があることと深く関わっている。この演習林のおかげで、この附近は林業の“皆伐政策”からもゴルフ場造成の乱開発からもまぬがれてきた。この貴重な自然をダムの底に沈めるわけにはいかない。
 七里川渓谷の紅葉は12月になってからだ。すぐ近くの折木沢や養老川水系の梅ヶ瀬とも並んで紅葉が美しい。最近では、この季節にカメラマンや絵をかく人が多勢訪れる。追原にのこる巨岩とみまちがうほどの楓の古木に逢いに来る人もふえている。夏休みの頃には、七里川の谷から子どもたちの歓声が聞こえてくる。川原に湧き出す硫黄泉を見て、七里川温泉や白岩温泉のファンが増えている。
 秘境のたたずまいを残す県内唯一の谷間に、何度も訪れる人が増えてきている。それにつれて、黄和田畑の山又路や四方木にある地元物産店に“常連客”がふえている。こんな県民共有の景観や渓谷美を、ダムで潰させるわけにはいかない。
 ダムの高さ46メートル、堤長139メートル、744万トンの水を貯えるダム、県費260億円を使って小櫃川の流れを変えるわけにはいかない。ダムで塞き止めて清流を濁らせ、下流域の自然まで変え、注ぎ込む東京湾の干潟も変化させ、湾内にすむ魚やプランクトンにまで影響を与えるダム建設は中止以外にない。




 この際、県民に“良好な県土を提供する”という県の原則的責務を重視したい。その観点から提言すれば、追原ダムは造らず、自然環境を傷つけずに道路改良を施行し、黄和田畑は四方木の人々の希(こいねが)いに応えるべきだと思う。現在の県道を生かし、これを片側車線とし、もう1車線は山側の崖を半分くりぬく型(トンネル方式)の工法をとればよい。半トンネル部分の崖くずれや落石防止には、市原市大久保〜折津間の県道にある半トンネルや国道127号線の鋸山下の明鐘岬トンネルなどの先例を見れば、この工法は充分可能だ。
 今年に入って、全国的にはダム建設計画が見直されて、何カ所かが中止となった。アメリカでは、造られているダムを破壊して川の流れを元にもどすこともおこなわれはじめている。
 「自分たちが持っているかけがえのない財産、それは山・森・川の自然です。かつては、自然や風景でメシが喰えるかと言われましたが、いまは自然や風景でこそメシが喰える時代になったのです」(山と渓谷社版『ひとりぼっちの叛乱』より)を、渓谷美の七里川や楓の巨樹のこる追原を護る人々に対する強力なメッセージと受けとめ、うねりのような運動を起こしたい。

(1998年10月)






「追原」宣言


 小櫃川上流の七里川渓谷を塞き止めて「追原」ダムを造る計画が、千葉県によって進められています。
 この事業は小櫃川水系小櫃川総合開発事業の一つで、洪水調整、川の流れを正常に保つ、上水道用水源確保、等々の多目的ダムということです。ダムの規模は、黄和田畑橋の手前小櫃川本流の川床、海抜115メートルの位置に、高さ46メートル、堤頂の長さ139メートルのコンクリートダムで、事業費260億円の巨費を要するとききます。
 このダムは744万トンの水を貯め、湛水面積は6900アールにもなり、水没する県道市原−天津小湊線のつけかえ工事も大規模なものです。
 この工事による影響は重大なものです。川床と両岸のガケが美しく、夏の川あそびや秋の紅葉で県民に親しまれてきた七里川渓谷は水没します。フサザクラの群生や貴重なクマシデの植生、ミドリシジミチョウやオオムラサキの生態にも重大な影費が出ます。文化遺産でもあるキンダン川の“川廻し”跡の大洞も水の底になり、“隠れ里”の追原屋敷跡も破壊されます。
 一方、下流の亀山ダムや建設中の片倉ダムとの関連で、小杉川の水流そのものに重大な変化がおき、流域の人里や河口の干潟にも影響が出ることが予想されます。
 私たちは、身近にあって、先人たちの生活の匂いが残り、かつ自然豊かな千葉の山や谷に幾度も訪れ、明日への活力を享受しています。それだけに、これらの自然環境を次代に残さねばと考えています。
 今、計画中の事業に関連し、地元住民の永年の夢である県道市原−天津小湊線の2車線化改良工事の要望の強さも、私たちは充分承知しています。県の道路改良工事の遅れをダム建設にからめるのはスジちがいで、追原ダム建設と切り離して事業を進めることを求めます。
 この際、県民に“良好な県土を提供する”という県の原則的責務を重視し、追原ダム建設計画全体の見直しを求めること、そして1894年より「森林学」分野の学究の場を提供し、それゆえ「開発」を阻止してきた東京大学演習林を、この代に一部といえども濫用することのないよう、広く内外に宣言します。

 1998年3月29日

追原ダム建設現地調査団にて採択



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