■書籍・書評


 津田敏秀 著

 『医学者は公害事件で何をしてきたのか』


木下 博



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・著 者:津田敏秀
・書 名:医学者は公害事件で何をしてきたのか
・発行所:岩波書店
・価 格:2600円+税



●最高裁が水俣病の行政責任を認める

 最高裁は10月15日、「関西水俣病訴訟」の上告審判決で水俣病の行政責任を認める判決を下しました。
 この訴訟は、関西に移り住んだ水俣病未認定患者30人と死亡患者15人の遺族が、国と熊本県に賠償を求めたものです。最高裁が行政の責任を認めたのは初めての判断であり、画期的といえます。
 患者のみなさんは、「お前たちがいるから街が沈滞する」などと言われ、差別され続けました。そういうなかでの今回の判決です。遅すぎるとはいえ、ほんとうによかったと思っています。今後、国は、患者の認定拡大や医療・生活支援に力をいれるべきです。また、ほかの環境問題についても、行政の責任を明らかにすべきです。


●公害事件で行政と癒着した学者を糾弾

 ところで、近刊の津田敏秀著『医学者は公害事件で何をしてきたのか』(岩波書店) を読みました。著者は岡山大学医学部の講師をしており、疫学研究の専門家です。1986年以来、公害問題にとりくんできました。
 この本は、水俣病関西訴訟の最高裁判決が近づくなかで刊行されたものです。水俣病などの公害事件で行政に都合の良い発言を繰り返す学者を鋭く批判するとともに、学者・専門家の監視を提言する本です。
 水俣病は、原因食品や原因物質が判明しても、なんの対策も打たれませんでした。多くの公害被害者が公害病として認定されず、救済されなかったのです。また、こうした行政の不当な措置に多くの学者が荷担しました。患者認定基準にかかわった学者や中央公害対策審議会のメンバーなどです。
 本書は、水俣病にかんして誰がどんなことを言って患者救済を引き延ばしてきたかを、くわしく書いています。また、国の代弁をつづけた学者の実名や研究論文、発言を具体的に取りあげ、その無責任さや論点のすり替えなどをきびしく批判しています。


●厳しい基準のため、大多数の患者が認定されない

 水俣病が公式に確認されたのは1956年です。水俣病は、手足がしびれて動けなくなる、視野が狭まる、耳が聞こえにくくなる、うまく話せない、よだれが出る――などの症状が特徴です。
 しかし、大企業を擁護するために、原因特定は何年も引き延ばされました。「原因はチッソ工場の排水」とする政府見解が出されたのは、じつに12年後の1968年です。
 チッソ排水との因果関係が明らかになると、今度は、発症している者のうち誰が水俣病患者であるかが問題になってきました。患者が認定の申請をしても、大多数は水俣病として認定されなかったのです。
 旧環境庁が77年に定めた認定基準は、運動や視覚などの複合障害を条件としています。この厳しい基準のため、たとえば手足がしびれて動けなくなるというだけでは認定されません。熊本、鹿児島両県で1万9000人を超える申請がされましたが、じっさいに認定されたのは今年9月末現在で2265人にとどまっています。


●国の主張や意向どおりに発言

 このように患者認定をきびしく制限したのは、認定審査会です。そこでは、学者が行政に都合のいい働きをしました。「総合的に判断している」「高度の学識と豊富な経験を有する専門医が判断している」などという抽象的な言葉を用いながら、です。
 認定審査会や「水俣病の判断条件に関する医学専門家会議」に加わった学者は、「水俣病の専門家」とよばれました。しかし、じっさいは、「水俣病に関してほとんど何の予備知識を持たなかったことを公言してはばからない」人物ばかりでした。
 これは中央公害対策審議会の水俣病問題専門委員会も同じです。彼らは、国の主張や意向どおりに発言します。この点について著者は、「一言で言うと、単に国のメンツをいかにして保つかとう観点だけで学者たちは論議していた」と批判しています。中央公害対策審議会も「官僚のお膳立てが常習化」していたとし、こう記しています。
 「事実の方に歩み寄るのではなく、環境庁の彌縫的な主張の方に学者たちは合わせようとしていた。環境庁が行ってきた中央公害対策審議会の答申案は、官僚が皆書いて、委員は何もやっていないことが明らかになった」
 「医学者だけでなく、法学者も研究費を受給して、水俣病に関する国・環境庁の彌縫(びほう)的な政策を正当化させることを議論していた」
 このように事実を無視したり歪めたりし、行政に都合の良い発言を繰り返す学者が出世をつづけ、重要なポストについているのです。著者は言います。
 「このような人物が、国立水俣病研究センターの所長や、熊本保健科学大学の学長をしていることを読者は留意してほしい。かたや国の機関であり、かたや熊本県肝いりの大学である」


●学生の前で偉そうにしている大先生も、
  官僚の前では「とてもいいおじいさん」になる

 著者はこうも述べています。
 「1995年から1996年にかけての水俣病事件のいわゆる『政治解決』においては、患者だけでなく当時の首相を含む日本中の人たち全員がだまされていたことが明らかになった。その原動力になったのは、井形氏ら学者や環境庁の一部官僚らの些細(ささい)な上昇志向や自己保身、あるいは研究費や予算ほしさなどの欲望が渾然(こんぜん)一体となった分離不可能なものかもしれない。しかし、個々においては些細なものであっても、その総和は巨大な虚偽となって作用した」
 「一つ言えることは、安定した体制が続くとき、世の中には行政権力(官僚)に近いほど自分の身が安泰であると思い込んでしまう人が少なからずいるということだ。これが中央権力の求心力というものだろうか。一方で、官僚や研究者は、社会に対しても想像力を働かせることを責務として安定した地位を与えられているにも関わらず、現実は、自分が生き残ることだけを(というよりていよく出世することだけを)考えて汲々としており、そのような人々のみが大学や省庁で生き残る、というのが本書を通して見てきた実態である」
 「普段は大学院生や学生の前で偉そうにしている大先生も、官僚の前ではとてもいいおじいさんになってしまう。戦前の教育を受けた人々の性なのか、それとも教育とは関係なしに、中央官庁にはそういう人々が集まってしまうのかはわからない。少なくとも私が見てきた分野では、そのようになってしまっている」


●「学者ウォッチャー」を立ち上げ

 最後に、著者は「学者ウォッチャー」の立ち上げを提案しています。以上のような学者の出現を防ぐためです。具体的には、行政官僚と癒着して暗躍する学者のことを雑誌に書き、本に書く、新聞などで発言する、ということです。「書いた人、発言した人が、そのままウォッチャー組織の一員だ」と述べています。私も、非力ながら、そんな一員になりたいと思います。

(2004年10月)  




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