南房総のすさまじい自然破壊にア然

〜川村晃生・全国自然保護連合代表が山砂採取現場を見学〜





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 (2010年)8月6日、全国自然保護連合の川村晃生代表(慶応大学文学部教授)が富津市の鬼泪山(きなだやま)国有林や君津市の山砂採取現場などを見学しました。案内は「鬼泪山の国有林を守る市民の会」の方々です。


 関山用水の水源は鬼泪山の湧き水


 見学箇所は、鬼泪山国有林、関山(せきやま)用水の取水口、浅間山(せんげんやま)跡地、古船(こせ)浅間神社、佐貫(さぬき)城跡のほか、君津市小糸地区の山砂採取現場(3箇所)や自噴井戸などです。
 関山用水は鬼泪山の湧き水が水源です。取水口は、猛暑がつづいているにもかかわらず、水が滔々(とうとう)と流れ込んでいました。
 関山用水は富津市民の大切な水道水源になっています。農業用水にも使われています。山砂採取で同国有林が削り取られれば、貴重な水源が枯渇する恐れがあります。


 浅間山の消失に衝撃


 川村教授が衝撃を受けられたのは、鬼泪山の隣にあった浅間山がそっくり削り取られたことです。教授は全国各地の山を見てきましたが、山がそっくり消失したのははじめて見たそうです。
 浅間山の頂上にあった古船浅間神社はふもとに移されたそうです。この神社は、霊峰富士山に鎮座する「富士浅間神社」から分霊、分社したものと言い伝えられ、「木花開耶姫命」(このはなのさくやひめのみこと)が祀られています。
 神社がふもとに移されたことについて、地元の人たちは“山の神”の怒りを恐れ、祈とうを繰り返したそうです。また、「これ以上山を壊すと、本当にたたりがあるかも知れん」と言う古老もいたとのことです(『読売新聞』千葉版、1986年5月15日)。
 そんな話をしたら、川村教授は「たたりがあるというのは、まったくそのとおりだ」と述べました。


 関山用水は江戸時代につくられた


 鬼泪山の湧き水を水源とする関山用水が最初につくられたのは、江戸時代の1822年(文政5年)です。その記念碑も見ました。この用水は佐貫城主の特別の配慮で城内を通させてもらったそうです。今も城跡を通っています。その用水路も見学しました。


 山砂採取地はグランドキャニオンのよう


 君津小糸地区の山砂採取現場は、糸川、鎌滝、日渡根(にっとね)の3か所を見ました。いずれも山が無惨に削られ、グランドキャニオンのような様相を呈しています。ア然ボー然です。採取跡に残土を埋めている箇所もありました。


 「日本景観学会で問題提起したい」


 川村教授はこう感想を述べました。
    「山がそっくりなくなるという自然破壊ははじめて見た。はじめての経験であり、これをどう考えればいいのか、整理がつかない状態だ。わたしは日本景観学会に深くかかわっているが、こういう問題が学会でとりあげられたことは一度もない。今後、学会で問題提起をしたい」












後方の山が鬼泪山国有林




鬼泪山国有林。手前にあった浅間山はそっくり削り取られた




君津小糸地区の山砂採取現場。山が無惨に削られている。




富津市民の貴重な水道水源となっている関山用水の取水口。猛暑が
つづいているにもかかわらず、水が滔々(とうとう)と流れ込んでいた。




関山用水に流れ込む鬼泪山の湧き水




鬼泪山の湧き水を水源とする関山用水の記念碑。
最初につくられたのは江戸時代の1822年(文政5年)。





佐貫城跡の関山用水路。記念碑には、佐貫城主の
特別の配慮で城内を通させてもらったと記してある。




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