●ようこそ古利根ヘ
利根川の水害克服を目的とした河川改修工事が、古利根周辺では明治末期(明治44年)に着手され、大正後期(大正9年)まで続きました。この改修工事で、利根川の蛇行部分を切り離した際に取り残された三日月湖型の沼、これが古利根沼です。
千葉県我孫子市と茨城県取手市の県境にゆったりと横たわり、長さ約1.4キロ、平均幅約122メートル、約20ヘクタールの広さがあります。この古利根沼とその周辺緑地をあわせて、私たちはふるとね(古利根)と親しみをこめて呼んでいます。
沼の南側の千葉県側は、水際から切り立った鬱(うっ)そうとした斜面林となっています。斜面林とそれを映す沼とが作り出す独特の景観は、落ち着きと静けさがあり、以前の利根川の風情を今に残しています。
江戸から明治時代の利根川水運の盛んだった頃は、茨城県側は高瀬船の中継基地、小堀河岸(おおほりがし)として大いににぎわった地でした。古利根沼は歴史を抱いた沼なのです。
フナやコイの釣り場としても以前から有名で、「湖北古利根」と呼ばれ、訪れる釣り人が多いのですが、最近はオオクチバス(ブラックバス )を狙うルアー釣りの若者が増えました。
散歩をする人、自然観察をする人、バードウォッチングをする人、絵を描く人などいろんな人が訪れます。
首都圏35キロ圏において、今は少なくなった水辺と里山の景観が奇跡的に残され、「利根川百景」(1988年)や「茨城の自然100選」(1989年)に選定された地でもあります。
ほんの少し前にはどこにでもあって、そして今はどんどん壊されてしまったなつかしいふる里の自然がここには残っています。
●傷だらけの古利根沼は…
利根川河川改修後の昭和のはじめに、古利根沼は地域住民へ払い下げとなりました(千葉県側は「廃川組合」で管理)。清らかな水の沼は、その後、地域住民の生活用水やかんがい用水、そして調整池としてその役割を果たしてきました。
1970(昭和45)年から1975(昭和50)年に、古利根沼では大規模な川砂採掘が進められ、浅瀬はなくなり、ヨシ原や水草がほぼ壊滅してしまいました。
1980(昭和55)年、我孫子市は「廃川組合」と「土地賃貸借契約」を結び、「基本構想」に基づく自然公園の道を探ろうとしますが、3年間で契約は中止となりました。
ただ、「廃川組合」の1地権者のみ市へ売却することとなり、我孫子市も67分の2の共有者となりました。
ところが、当時の土地ブームは古利根沼を見逃しませんでした。開発業者と「廃川組合」によって、宅地開発申請が1984年に出されました。これに対し我孫子市議会は、背後に暴力団の影が見えることから、全会一致の開発反対決議を採決しました。にもかかわらず、沼は新たな開発業者に売却され、再び「開発申請」が市に提出されました。今度の業者は中堅ゼネコン青木建設をスポンサーにした(株)協和綜合開発研究所という、後にあの住友イトマン事件で逮捕される元常務が代表者となっている企業でした。
市民の猛反発が起こり、市は開発申請を再び返戻(却下)としました。開発業者は、市との共有地分割の調停(実質は買い取り交渉。1989〜91年)を申し立てましたが、不調で終了となりました。それは、10億円で買い占めたものに50億円以上の売値をつけたためです。
その後、バブル経済崩壊が進み、子会社へ転売(1991年)され、境界確定のための測量などを進め(1993年)、市所有分の排除などを模索したものの、成功せずに今日まできました。
子会社への転売の際には、千葉県は「現況維待、市の方針の遵守、地域住民との合意」との国土法上の行政指導をし、知事あてに誓約書を開発業者に提出させています。
バブル経済の象徴のような開発攻勢でしたが、立ち上がった市民と行政・議会が一致して古利根保全に取り組む中で、10年にもわたり、沼を埋め立て開発から守ってきました。
●画期的な周辺緑地の公有地化
沼は、開発業者から取りもどし、公有地化などによる保全が実現しない限り、本格的な水辺の環境復元はとりくめません。
沼の水質改善のための浄化施設が、1996年10月に完成しました。さらに、1998年3月までに、相続処分を契機に、沼に連続する周辺緑地を2.3ヘクタールほど公有地化することが実現しました。
この周辺緑地で、市民3加の「里山」づくりが始まっています。今までの開発攻勢をしのぐ活動から、今度は「自然の宝庫古利根」を復元・創出する活動への転換が始まりました。「21世紀の子どもたちへ」古利根の自然を届ける手掛かりが見えてきました。
●古利根の自然はどんなもの
古刺根沼の自然の特徴としては、第一に沼の水面、湧水、湿地、斜面林、水田、利根川が一つのセットになっていることです。第二に、その一つのまとまりのおかげで、多くの種類の動植物が生存できることがあげられます。
例えば植物については、多種類のヤナギ、ハンゲショウ、ハンノキ、豊富なタデ顔などの湿地性の植物から、コナラなどの落葉樹やシラカシなどの常緑広葉樹を斜面林や台地林でウォッチングすることができ、「日本の重要な植物群落」地として環境庁にリストアップされています(1976年)。また、最近、希少となり絶滅の危機とされる湿地性の植物種数種が生き残っています。
トンボは31種類、チョウでは48種類が観察されています(1993年)。ウチワヤンマ、ミドリシジミ、ゴイシシジミなど、東葛地区ではなかなか見ることのできない種も数多くあげられています。.
鳥については、64種類がウオッチングできました(1996年)。 沼の水域に訪れる鳥、ヨシ原を好む鳥、斜面林でさえずる鳥、周辺の水田地帯で餌を探す鳥、水路で餌を探す鳥、河川敷で飛び交う鳥などの多種類をウオッチングできるのが特徴です。
沼には魚類(オイカワ、モツゴ、フナ、コイ、タイリクバラタナゴ、ニゴイ、ヨシノボリ、ブルーギル、オオクチバスなど)、貝類(イシガイ、ドブガイ、タニシなど)、水生昆虫(ヤゴ類、ミズカマキリ、タイコウチなど)、テナガエビ、スジエビ、モクズガニ、カエル類、カメなどが棲(す)んでいます。
陸地のほ乳類では、タヌキ、イタチ、ノウサギなどが観察されています。
動植物の種類の豊富さが自然ウオッチングに最適であると思います。ぜひ自然観察を楽しんで下さい。
●古利根の自然を守る市民団体とは
開発業者が「開発申請」を市に提出した1988年の9月に、「古利根の自然を守る会」が、地域住民を中心として結成されました。沼の埋め立て開発に反対し、古利根沼とその周辺緑地の自然公園化をめざし、「古利根の自然を21世紀の子どもたちに引き継ごう」と、運動を開始しました。この運動は大きな反響を呼び、前述のように、市の開発申請の却下(1989年)に加え、子会社への転売の際には県からの「現況保存」の行政指導(1991年)を引き出し、現在、沼は埋め立ての危機を免れています。
現在、「守る会」の会員は個人約500名、団体加盟約10団体です。「守る会」の主な活動は次のようなものです。
- 古利根の公有地化、自然公園化をめざしての関係行政との交渉・懇談会の開催。
- 会報「古利根だより」(2カ月に1回)の発行。パンフレット作成などによる保存PR活動。
- 年4回のクリーン大作戦や毎週の沼岸広場のクリーン活動。(釣り人によるゴミの投げ捨てや沼岸の荒廃が非常に問題です)
- 毎月の「古利根自然ウオッチング」(1998年9月で通算82回)。内容は、自然観察会、沼の生き物調査、バードウォッチング、エコアップ作業(湿地植物の保護柵の設置やトンボ池の整備)、雑木林づくり(古利根の台地林の下草・ササ刈りを行う市民の森づくり)。
- ガイドブック「古利根の自然ウォッチング」(500円)や「古利根自然ウォッチングレポート集」(400円)の編集。
- 我孫子産業祭りなどのイベントヘの出展、写真展の開催、古利根グッズなどの販売。
- 他の自然保護団体との交流。(日本自然保護協会、美しい手賀沼を愛する市民連合、千葉県自然保護連合、霞ヶ浦市民協会に団体加盟)