■書籍・書評


 星野芳郎著
 『自然・人間 危機と共存の風景』


中山敏則



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・著 者:星野芳郎
・書 名:自然・人間 危機と共存の風景
・発行所:講談社
・価 格:780円


◆日常体験の中から、自然と人間の関係を考える

 技術評論の第一人者が、素朴な日常生活や社会活動の中から、自然と人の危機と共存の体験を語り、美しい日本列島や、かけがえのない地球とともに人が生きていく知恵を述べている。
 問題提起はこうだ。
 「私たちが子供の頃は、日本の都市はまだ小さかった。テレビもエアコンもなかった。だから私たちの遊び相手は、林や草原であり、海や川であり、山であり、昆虫や魚であった。自然と人の共存は、あたりまえのように、日常的につくられていたのだ」
 「80年代の末から、地球環境危機が、国際的にしきりに問題となってきた。一方ではIT革命が新しい社会をひらくと言われながらも、自然と人の共存もまた、さらに声を大きくして語られるようになった」
 「しかし、私たちの身の回りの自然から話を始めず、日本の独特の自然も飛び越して、いきなり地球環境を語るのはどうかと私は思わざるを得なかった。1970年前後の公害問題をつうじて、人々は自然と人の共存に立ち入って考えるようになったが、なおかつ、人にとって自然とは何かという根本的な問題は、必ずしも十分に論じられているとは言えない。私はまず、私たちの素朴な体験をベースとして、自然と人の関係を考えてみたい」
 このように日常体験の中から自然と人の関係を論じる姿勢はたいへんすぐれている。これはあたりまえのことと思われるかもしれない。しかし、現実には、足元の自然や環境がいたるところで破壊されている事実に目をつぶり、海外の事例だけをとりあげて地球環境を問題にしたり、一般論として環境問題を論じる学者・研究者が非常に多いのである。


◆人にやさしい自然は「二次自然」

 著者は、自然を一次自然、二次自然、三次自然に分類している。一次自然は、人の手がまったく加えられていない自然で、原生林などである。二次自然は、道が設けられた森のように、人の手が多少とも加えられたものである。三次自然は、人がさらに手をくわえたもので、田や畑、牧場、庭園などだ。
 一次自然について著者は、「原生林の中や海の上に一人放っておかれたら、人は自然の重圧に耐えかねて、恐怖のあまり気も狂うであろう」「一次自然は恐ろしいのだ」と述べている。そして、「道があって、はじめて森は人にやすらぎを与える。船や港があって、広々とした海は、人にやさしい顔を向ける」「人にやさしい自然とは、この二次自然である」とし、二次自然についてこう述べている。
 「生け花も庭園も人のコントロールのもとにある三次自然であって、二次自然に見る旺盛な生命力はない。自然と人の共存にあっては、生命力あふれる自然と人の共存こそが、最も大切ではあるまいか」
 「自然のなかで最も注目すべきは、人の手の入った山や川や森や海という二次自然のやさしさと生命力である。都会人の多くはその二次自然を飛ばして、一方では、自然といえば人の手が全く加えられていない山や森のような一次自然のことと思い、自然に手を触れることはすべて悪という極論を生み、他方では虫もトカゲもあらゆる雑草も嫌って、京都の寺の木立のような三次自然こそ最も望ましい自然と考えやすい」
 このように、自然を一次、二次、三次に区分けして、それぞれの特色などを論じ、相当な困難があっても二次自然を守るべき、と明言する著書の姿勢には共感する。


◆生命力豊かな「二次自然」を守ろう

 著者はつぎのように書いている。
 「ひと言でいえば、苔寺のように人によってコントロールされた整然たる木立の庭園こそ、人々の理想であり、そこには下生えも雑草も見えなければ、あまりに背の高い樹木もなく、虫一匹もいないという状態こそ、人に望ましい自然環境と思う都会人は多いと、私は推測する」
 著者が憂うように、「雑草も見えず、虫一匹もいないという状態こそ、人に望ましい自然環境」と思っている人は、まだ多い。行政や企業も、多くはこうした立場にたっている。
 たとえば、千葉県木更津市の盤洲干潟は東京湾に残る日本最大級の砂質干潟であるが、その隣接地に子供向けレジャーランド「民話・童謡の里」を建設する計画がもちあがっている。計画業者の言い分は、「荒れ地」の状態で放置しておくよりも、きれいに整備してビオトープ(動植物の生息空間)や野鳥観察小屋、研修・宿泊施設などをつくったほうが子供の情操教育に役立つ、というものである。これに対して自然保護団体は、「人間から見たらただの荒れ地に過ぎない所でも、多くの貴重な生き物にとって他に替えがたい大事な場所である」「本物の自然をつぶして、まがい物の自然を子供たちに見せるのか」などと主張し、計画に反対している。
 また、同じく千葉の「三番瀬」は東京湾奥部に残された貴重な干潟・浅瀬であるが、市川側は「汚れている」ので、埋め立てて人工海浜(干潟)を造成し、そこに潮干狩り場やアシ原、塩田、塩づくり体験施設などをつくって市民が遊び親しめるものにすべき、などという主張が堂々とまかり通っている。しかし、ここは泥質の底質に適応した多様な底生生物が生息し、多様な魚類の生息を支えている。稚魚の重要な生育場となっており、水質浄化でもかなりの貢献をしている。ここを埋め立てることは、一連の三番瀬の生態系及び物質循環を分断することであり、三番瀬全域の生態系に重大な影響をおよぼすことになる。
 人工海浜の造成は、生命力豊かな「二次自然」をつぶして人工の「三次自然」につくりかえようとするものである。こうしたことから、自然保護団体は「海の再生」や「環境修復」などをうたい文句にした埋め立て推進論をきびしく批判している。「いまある生命力豊かな浅瀬をつぶして疑似自然をつくることは許されない」「埋め立てによって海域を減らす方向での“再生”ではなく、まず埋め立てをやめ、破壊されたものを元にもどす方向で真の再生を試みるべき」などである。
 このほか、自然豊かな里山をつぶして、その一部を「都市林」や「都市公園」として整備したり、日本の原風景といわれる谷津田をつぶして、代わりに人工のビオトープをつくったりすることが、各地で進められている。
 このような「自然と人との共存」や「自然の保全」のあり方などを考察するうえで、本書はかなり有益である。
 最後に、著者は次のように述べているが、まったく同感である。
 「日本の行政担当者や知識人が、私を含めて、ありのままの自然に対する豊かな感性や教養や理解力を身につけることが必要である。それによって、はじめて、私たちは、世界にまれな日本列島の自然環境と美しさを守り、地球環境の保全に貢献することが出来る」

(2001年5月)  






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