●汽水域の魚

トビハゼ 千葉県での呼び名: げーろっぱ  


トビハゼ 撮影メモ

@2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

泥深い河川河口に生息しているものの、生息地は非常に限られていて、人為的な環境改変と常に隣り合わせの生活を送っている。

 泥の上を飛び跳ねながら生活する魚と言えば、まず多くの方がムツゴロウを思い浮かべると思います。ただしムツゴロウは九州の有明海と八代海にしか生息していません。ムツゴロウのように有名ではないものの、関東および千葉県に生息しているムツゴロウのような魚といえば、このトビハゼです。皮膚呼吸をしながら水から逃げるようにして陸上を這い回り、棒杭や葦にもよじ登る姿はまるで両生類のようです。

 県内では数箇所の泥干潟を中心とした場所に生息していますが、生息地で彼らトビハゼを一度も見たことが無いという方も多くおられるようです。彼らが干潟のどんな場所に生活しているのか知らなくて彼らの生息場所に気付かずに素通りしてしまうといった理由も多いようですが、トビハゼは人が近づくと敏感に反応するので、彼らを探しながら干潟の上を歩いたところで既に泥の中の巣穴などに身を隠してしまってる場合が殆どだと思います。彼らはこちらがじっとしていなければ泥の上に姿を現しません。もし彼らに出会いたいのであれば、彼らの棲んでいる場所には決して立ち入らず、足の踏み場を選んで彼らから距離を置いて身を低くしてじっと動かずに観察する必要があります。

 東京湾のトビハゼは日本の北限個体群として知られ、湾奥にある千葉県の生息地は日本で最も北に位置する貴重な生息地です。冬の間は泥の中で冬眠しているため姿を見ることができませんが、春を迎えて暖かくなればその姿を観察することができます。千葉県でのトビハゼの活動時期はおおよそ4月から10月迄で、水中にいる他の魚と違ってトビハゼは肉眼でその姿を見ることができるので、観察対象として最も適した魚の一つと言えると思います。特に潮の満ち引きに伴ってトビハゼがとる行動が大きく変わるのを見ることが出来るのはトビハゼ観察の醍醐味の一つです。


トビハゼ A2004年7月20日、千葉県の干潟にて撮影。

干出時のトビハゼ。普段は閉じている背鰭をピンと立てて威嚇のポーズ。
    トビハゼ B2004年5月15日、千葉県の干潟にて撮影。

皮膚が乾いたり背中にゴミが付いたりすると、時折ゴロンと半回転する。

トビハゼ C2004年5月15日、千葉県の干潟にて撮影。

トビハゼを取り巻く生き物たち。トビハゼと同じ場所にヤマトオサガニ、少し高い場所にはチゴガニがいる。
    トビハゼ D2004年4月18日、千葉県の干潟にて撮影。

溜まりの水場を巡って激しく争った2尾のトビハゼ。手前のトビハゼが寂しく退散していった。

 上の写真A、B、C、Dは干出時の日常のトビハゼの様子を撮影したものです。潮が引いた泥干潟は砂干潟と違って水捌けが悪いので極端に乾燥することがありません。水が苦手なトビハゼにとってこの湿った泥が露出した状態が一番行動がしやすいようで、泥の上を這い回って時にジャンプしたり、近づいてきた他のトビハゼに対して背鰭を立てて威嚇をしたりと、いろいろな姿を見せてくれます。また餌を食う行動が見られるのもの干出時だけです。



トビハゼ E2005年5月4日、千葉県の干潟にて撮影。

冠水直前の巣穴の山によじ登るトビハゼ。しかしやがてはこの巣穴の山も水没してしまう。
    トビハゼ F2004年5月30日、千葉県の干潟にて撮影。

浮き木に這い上がって日向ぼっこ。次の干潮を待っている。

トビハゼ G2004年8月1日、千葉県の干潟にて撮影。

岩によじ登って船の往来で生じた波から避難している。
    トビハゼ H2004年7月11日、千葉県の干潟にて撮影。

近くに這い上がれる場所が無いと、垂直に生える葦にもしがみつく。

 写真E、F、G、Hは冠水時の日常の様子です。潮が満ちてきて彼らが生活している辺りにも水が入ってくると、彼らは水を避けるようにして岸辺の石や棒杭などの小高い場所に這い上がります。這い上がった場所が水没してしまいそうになると、ピョンピョンと水の上を跳ねて適当な這い上がれる場所まで移動します(時に水中に潜って移動する行動も見られます)。垂直に生える葦によじ登ることも珍しくありません。ただし、冠水時に水から這い上がる行動が見られるのは千葉県ではおおよそ5月から9月頃迄(夜間は6月中頃から8月頃迄)で、それ以外の時期は冠水すると同時に水の中に潜って隠れて見えなくなってしまいます。



 千葉県でトビハゼの躍動がもっとも楽しめる時期は6月から7月にかけてです。ちょうどこの時期はこちらでの繁殖期に当たり、1年でもっとも活発に行動する姿が見られます。繁殖期によく見られる行動として、雄が雌を巣穴まで導く過程の一部を写真I〜Nで紹介します。

トビハゼ I2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

繁殖用の巣穴を掘っている最中の雄。
    トビハゼ J2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

雄は気に入った雌を巣穴に誘導する。左の小さい個体が雄で右の大きいのが雌。

トビハゼ K2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

雄が誘導している最中、雌同士が争う。互いに相手のまわりを回って威嚇しあっている。
    トビハゼ L2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

威嚇だけでは決着が付かず、体を張った攻撃にまで発展。雄は手前でそっぽを向いている・・・。

トビハゼ M2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

決闘を越えた雌は、再び雄の誘導に付いて行く。
    トビハゼ N2004年6月27日、千葉県の干潟にて撮影。

たびたび寄り添う雄と雌。雄は再び先導し、雌を少しずつ巣穴へと誘って行く。



 かつて東京湾は、沖に向かって豊穣な前浜干潟(いわゆる潮干狩りが出来そうな干潟)が発達する一方、その後背の陸側には葦などの塩性植物が群生する後背湿地が対に伴って広がっていました。両者はまるで夫婦のような関係で繋がって、豊かな干潟の生態系を育んでいたのだと思います。特に千葉県側は、東京都、神奈川県よりも干潟が良く発達し、かつては広大な干潟がありました。

 湾最奥部に位置する浦安市は私の故郷なのですが、戦後の間もない頃までの浦安は、街の中心地から少し外に出ると泥深い塩性湿地が豊かに広がっているような土地だったそうです (都心に近いにもかかわらず、そんな姿から当時の浦安は「陸の孤島」と呼ばれていました)。そしてそこには無数のトビハゼが生息していて、浦安の住民はトビハゼたちを「げーろっぱ」という地方名で呼んでいたそうです。その愛くるしい名前から、トビハゼが浦安に如何に無数に生息していたのか、また浦安の住民から如何に親しまれていたのかが偲ばれます。

 しかし、時代と共に干潟の姿は変貌してしまいました。高度経済成長の波に乗って東京湾岸の後背湿地はそのほとんどすべてが埋め立てられて住宅地や工業用地に置き換わり、夫婦のように繋がっていた生態系は断絶。そして豊穣な前浜干潟も埋め立てによってほとんど消失し、今では僅かに残存するのみです。豊かだった浦安の干潟も時を同じくして埋め立てられ、かつてトビハゼの多産地だった浦安の象徴の塩性湿地は今では跡形もなく、世界的にも有名なテーマパークが建って賑わう一方、「げーろっぱ」という地方名は消えてしまいました。

 東京湾におけるこの愛くるしいトビハゼの生息数は近年まで減少の一途でした。しかし幸いなことに、最近は一度は絶滅して生息が見られなくなった場所にトビハゼが戻って来たという話しを耳にします。大規模な開発は尽くされ埋め立てる場所も無くなり、コンクリートで護岸された川の岸辺などでは年月を経て砂泥が堆積し僅かながら葦が自生している場所も若干ながら見られるようになりました。湾内の一部の生息地ではトビハゼなどに配慮した護岸などの施策も行われています。

トビハゼを発見した場所の一部 O2003年9月6日、東京湾流入河川河口。

護岸工事中の河口。立ち杭のところに地中から矢板鋼板が張り出しているのが見える。
    トビハゼ P2003年9月6日、東京湾流入河川河口にて撮影。

写真@の場所いたトビハゼ幼魚。全長1cm程度だったので、見落としてしまいそうだった。

 私もトビハゼが絶滅したとされている場所で偶然にもトビハゼの幼魚に出会ったことがありました(写真O、P)。護岸工事が数年ほど止まっている場所で、埋め戻された盛土の所々の窪みに溜まりが形成され葦などの塩生植物がいつのまにか自生していて、そこに幼魚が居たのです。さっそく所轄の自然保護課に連絡し調査をしていただいたところ、繁殖しうる場所は無くたまたま流れ着いて生活しているだけの偶発的な生息との報告をいただきました。しかしある程度は溜まりの部分を残すような方向で工事計画の変更を予定して行きたいとの返答もいただいております。私の方もその際に幾つか提言をさせていただきました。この生息地の状況については今後も新しいことが分かり次第また追記したいと思います。


トビハゼ 2005年5月29日、千葉県の干潟にて撮影。

背鰭を立てて互いに威嚇し合っている。
    トビハゼ 2005年5月4日、千葉県の干潟にて撮影。

枯れた葦の茎によじ登る。

トビハゼ 2004年7月20日、千葉県の干潟にて撮影。

トビハゼの後ろ姿。クリっと突き出た眼とプクっと膨らんだ頬がなんとも可愛らしい。
    トビハゼ 2004年8月1日、千葉県の干潟にて撮影。

冠水時のトビハゼ。岩によじ登って水から避難。

トビハゼ 2004年5月30日、千葉県の干潟にて撮影。

冠水時の狭い避難場所を巡って、右側のトビハゼが威嚇している。
    トビハゼ 2004年7月11日、千葉県の干潟にて撮影。

岩によじ登った、つがい?

トビハゼ 2003年9月6日、千葉県の干潟にて撮影。

トビハゼの幼魚。とても小さい。
    トビハゼ 2003年7月20日、千葉県の干潟にて撮影。

まだ薄暗い早朝、かなり大きなクレーター型の繁殖用の巣穴から出てきたトビハゼ。

トビハゼ 2003年7月20日、千葉県の干潟にて撮影。     トビハゼ 2003年7月5日、千葉県の干潟にて撮影。

溜まりの中に散在するカキ殻に這い上がって休んでいるトビハゼ。

公開日:2005年6月17日
更新日:2005年10月27日

房総の干潟に棲むトビハゼの最新の様子については干潟の随想を御覧下さい。

戻る