最近読んだニュースから(2007年05月分)  

美しくない国日本(2007/05/27更新)
保険市場について思う(その30:漂流する国の医療保険)(2007/05/20更新)
保険市場について思う(その29:高齢者を対象にするには)(2007/05/13更新)
保険市場について思う(その28:国際会計基準)(2007/05/06更新)


○ 美しくない国日本

 阿部総理は「美しい国日本」にしよう、と表明している。それは10年前、20年前と比べ
て、現在の日本が美しい国ではなくなってきたからだと言っているのか。
 いままでは表に現れていなかった諸々の弊害が、これでもかと続々報道されている。し
かし私は、昔の日本が清く正しく正常であったとは、決して思っていない。昔から存在し
たことが何故か、最近になって次から次へと明るみに出されてきたと思う。参議院選挙が
控えているから、意識的に体制を暴露する動きが活発になったのではなかろうか。
 例えば、最近報道されている緑保護機構におけるような官製談合などは、いまに始まっ
たことではない。20年、30年前から行われていたようである。私が大蔵省を退官してか
ら、建設省・運輸省関係のある公団(現在は任務終了して消滅している)の理事に天下った
ことがあるが、その時から談合の存在が感じられた。理事会の議題に落札企業をどこにす
るかが議題になったことはなかったけれど、担当の理事が企業による工事ごとの星取り表
を手にして、今後の工事入札のスケジュールを説明していたのを思い出す。また田中角栄
から公団の総裁に電話がかかり、どこそこの工事を○○会社に発注するよう要請してきた
の聞いたことがある。その時知ったのであるが、建設省の技官は、道路関係と橋梁関係と
に分かれ、それぞれが互いに交流がなく、財源が公共事業費だから税金であるのに、出来
るだけ事業費を節減しようとは全く考えず、逆に、どれほど金をかけても(技術の)世界に
誇れる工事を完成しようとしていた。さらに用地買収費や漁業補償費などには金に糸目を
付けずに支払っていたことを思い出す。いまでも同じと思うが建設省の技官には税金を使
って工事をしているという意識が全く希薄であった。
 最近、社会保険庁の組織改革が話題になっている。平成9年に基礎年金が導入された時
に、5千万件の内部記録が適切に処理されないまま放置されていた事態が報道され、社会
保険庁のずさんな運営が非難されている。その後始末に当たり5年の時効を改正してまで
適正な支払いを確保しようとすることが報道されている。それはそれでやむを得ないにし
ても、この数字の大きさに驚かされると同時に、何故か私には、保険会社の不払い問題と
の対比が思い浮かばれる。
 5千万件の記録を処理されないまま放置しされていた事実は、何とも弁解の余地がない
と思われるが、何故その様なことになってしまったかの理由が全く我々に聞かされていな
いのは不思議である。しかし何か処理が遅れた(処理が出来なかった)理由があったはずで
ある。40年ほど前に、私は主計局で社会保険庁の予算を担当していたことがあったが、
その当時の社会保険庁に対する私の印象は真面目な機構であったとの印象を思い出す。厚
生年金の財政にしても、最初の段階は、完全積立方式を貫こうと掛け金率の引き上げ案を
たびたび国会に提出したけれど、それが社会党の猛反撃に遭い国会を通らなかった。それ
を繰り返したあとで、諦めて修正積立方式に替わり、それが更に現在のペイ・アズ・ユー
・ゴーに切り替わると、もう掛け金を納めた国民と、年金を受け取る国民とを結び付ける
関係が失われ、希薄になり、狂ってしまい、社会保険庁は掛け金を徴収し、それを余裕資
金(?)として管理するだけの機構になり、その結果、不採算のグリーン・ピアーの建設に
走ってしまった。我々は結果だけで批判してはならない。それを生み出した原因をシッカ
リと見詰めなくてはならないと思う。
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○ 保険市場について思う(その30:漂流する国の医療保険)

 社会保障制度の公的年金と健康保険の制度は共に、少子高齢化の進展及び地方財政と国
家財政の悪化による財政危機・財政再建の動きによる影響を大きく受けているようだ。特
に、公的健康保険制度は増加する老人医療費を抑制するため、給付抑制を狙った患者負担
の引き上げを含む様々な改革の影響をもろに国民は受けている。しかもそれが不幸なこと
に、大都市部と地方との間で医療格差を生んでいる。
 最近出版された「患者漂流」(中野次郎著:祥伝社新書)の腰巻きに「老人では、地方にい
ては、金がなくては、医者にはかかれないのですか?」と訴え、この国の医療はここまで
荒廃していると問題を投げかけている。その実例の一つとして、財政再建団体に移行する
ことになってしまった北海道夕張市の市立病院では(民間では考えられないような放漫経
営から抜け出すため)今年の4月以降人工透析を行わないと市長が通知したことを挙げて
いる。人工透析を受けている33人の患者が「俺たちは10日も人工透析を受けなかったら
死ぬんだ」と訴えているのだ。しかもこの様な状況は夕張市だけのことではない、と著者
は問題を投げかけている。
 私のように、東京23区に住んでいる者には、周りの数百メートルの範囲内には各科の
診療所がひしめき、またバス・電車に乗って行けば(信頼できるかどうかの評判は別とし
て)大病院が沢山ある状態を享受している者にとっては、医療過疎地帯における住民の大
問題には全く実感がなかった。
 ところで民間の医療保険は、国の健康保険制度の健全で安定した運営と強く結び付いて
いると思う。この点で、伝統的な生命保険(終身保険や養老保険)とは異なり第三分野の保
険商品は、国の社会保険制度が崩壊したら(社会保険制度における患者の自己負担をカバ
ーすることで発足したのだから)絵に描いた餅になり、加入しようとする消費者は地域的
に限定されてしまうだろう。このように、国の制度と(強く)結び付いている民間の保険は、
他にないことに留意しておきたい。
 それだけに、民間の保険会社は医療保険の開発やセールスに当たり、国の社会保険制度
の推移を注意深く観察して行く必要がある。この様な環境にある民間の保険は、他に例が
ない。国の社会保険制度は、夕張市とは違っていても、財政難から消費者の利用可能性を
次第に抑制し始めていることに、民間の保険会社は注意しなくてはならない。マスコミに
おいて派手な売り込みをかけた広告の展開に血の道をあげているのは、ここいらで少しば
かり反省すべき時期になっているのではないか。
 その意味で、多岐多様な医療給付をぶら下げた医療保険へと近年になって展開してきて
いることは、第一に、医療の地域格差の存在が顕著化しはてきた現状に鑑み、消費者の公
平な扱いの点で問題になる可能性があり、また第二に、それが保険給付の不払い問題の大
きな原因となっているのではないか、と私は疑問に感じている。
 そこでもう一度考え直したらと考える点は、第三分野の保険商品の仕組みを大きく簡素
化することと、被保険利益を明確化することである。30年前にアメファがガン保険で日
本に進出してきたとき、保険一課長として審査したのは私であるが、それが今日のような
状況に変化してきたのは感無量である。特約として多岐多様な保険給付を展開し、それが
テレビ・新聞広告を賑やかにして消費者に訴え、広告代理店やテレビ・新聞を儲けさせて
いる。更に、保険金・保険給付金の不払い問題で世間から不信の念を抱かれている。
 この点については、別の機会に意見を述べたい。なお、私が編著した「生命保険再生の
指針」の続編を出したいと希望したのは、現状の問題点の存在を漠然とは意識したのであ
ったが、賛同が得られなかったのは残念である。
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○ 保険市場について思う(その29:高齢者を対象にするには)

1)5月8日付の各紙に、明治安田生命が一頁大のお知らせ広告を出していた。・・・・
 ”「確かなお支払い」のために。明治安田生命からの大切な案内です”、と大きな活字で
訴えている。伝統的な保険会社がこんなに大きな広告を出したのは初めてのことだろう。
 最近の新聞記事で国民は、各保険会社が保険金・給付金の不払問題で阿漕な業務をして
いるのではとの印象を強く抱いてきたことは間違いなく、それを解消するため、「お客様
から、診断書や請求書等を提出して頂くようダイレクトメールでご案内を差し上げており
ます」、と訴えている。
 この広告費用を含め、膨大な経費と人員とをかけて不払い問題の解消に、各社は全力を
挙げている。早く問題が解決されるのを期待している。
2)高齢者とは、どうも最近では65歳以上の人を指すらしい。80歳になった私に言わせ
れば、60歳代はまだまだ若い。もちろん、人により個人差はあるのだが、私の乏しい体
験から見れば、運動能力、理解力は、加齢と共に大きく低下してゆく。だから保険市場の
対象者として高齢者を考慮する業界関係者や監督規制当局者が、単に高齢者と一括して取
り扱うのは問題である。何歳以上だと決めるのは難しいが、本当の高齢者には特別な配慮
が必要で、保険商品や特約により、販売対象外とすべきだと思う。ただいたずらに、保険
給付の種類の多い商品に加入できる年齢の範囲を高めて、80歳までとするのは−−如何
なものか!。私の旧制高校時代のクラスメイトが、ここ半年間で6名も死亡した。まだ病
に戦っている人も多い。彼らにしたら、保険金・給付金の請求問題などは後回しである。
 私は、6年前に前立腺の摘出手術を受けた後、現在に至るまで、毎月一回病院に通院し
て、高い高い女性ホルモンの注射(一本5万円もするが、3割負担なので1.5万円)をして
貰っている。5年経過したので、そろそろお終いにしたらどうかと医師に相談したら、マ
ーカーであるASPの数値は非常に低いのだが、徐々に高くなっているので、暫くはこの
まま経過を観察したいというのが医師の(恣意的な?)判断である。こんな場合に、医療保
険に加入しておれば、通院給付金は出るのかどうかと考えたくなる。給付から外したらど
うかと思う。
 また女性を対象とする医療保険の発売が目立つ。夫に先立たれた一人ぐらしの妻が重大
な疾病にかかった場合、保険金や給付金の請求がうやむやになる可能性が大きいのではな
いか。これなどはよけいな心配であろうか。
 (注)私は20年前に、60歳満期の養老保険が満期になって以来、保険への契約はしてい
   ない。加入している保険は、火災保険だけである。
3) 暫く前から、70歳から80歳の高齢者を保険市場の対象者にしてきたコマーシャル
が目についてきた。そこで本屋で目についた「定年後」(岩波新書:加藤仁著)を買ってパラ
パラめくってみた。この本の副題に「−−豊かに生きるための知恵」とある。
 2007年問題として定年を迎える団塊の世代、余裕のある資金を抱えた人達向けに、今
後どの様な生き方をすれば良いか、定年後の選択肢が無数にあることを、数々の例を挙げ
ながら解説している本であった。どうも60歳−65歳の人を対象としているようで、私に
はお門違いな本だった。
 定年後にどの様な生き方をするかは、それぞれの者の定年までの歴史・経歴に相当左右
されるであろうが、既に80歳に達した者にとっては、新型の保険に加入することなど考
えずに、ただ静かに余生を楽しむことが出来れば最高であると考えなくてはならないだろ
うか。
 いま本屋では、五木寛之さんの「林住期」という珍しい題名の本が平積みされている。興
味あるがまだ買ってもないし、読んでもない。
 副題に、林住期にある人々へ。そしてやがて林住期を迎える若い世代のために。全く新
しい革命的人生のすすめ!とある。
 解説によると、古代インドでは生涯を四つの時期分けて考えて、林住期とは50−75歳
の時期であり、仕事を離れ、真の生き甲斐を探す時期だという。これを過ぎると遊行期に
は入り、自らの死に方について考えるだという。私は80歳だから、遊行期にあり、死の
準備・心構えを考える時期だと言うことになる。そうであるなら、私のようにHPを立ち
上げて、保険市場の現状を論じるのは、業界にとって迷惑なことになろう。これまた失礼
しています。
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○ 保険市場について思う(その28:国際会計基準)

 どうも我が国の各種報道を読むと、国際会計基準は世界的に統一された優れたものであ
り、我が国にその導入は必至であり望ましいと考えている印象を私は受ける。果たしてそ
うなのであろうか、我が国の商品構成・内容にマッチした独自の会計基準は検討すること
なく放棄するのであろうか。保険市場が相当に異なるのに、統一的な基準を受け入れるの
は疑問ではないか。この疑問は解明されるべきである。
 戦前の我が国の保険市場は、保険発祥の国であるイギリスに習って成長してきたと思う。
第一に累加配当はイギリスのレバーショナリ・ボーナスを真似たものであった。それが敗
戦により、戦後GHQの強力な指導により、相互会社への組織変更を強いられ、また契約
者配当もアメリカ方式であるコントリビューション・プラン(利源別配当方式)を採用して
きた。それが、金融危機の失われた十年の間に、またその後の外資系生保会社の進出によ
り、契約者配当の適正な実施は失われ軽視され、毎年の剰余金の内9割以上は契約者配当
実施の財源に回すという古き良き慣習は失われ、9割以上という財源配分の比率は経営危
機の故に無視され、契約者にとって訳の分からない配当方式に切り替わってしまってきた
と思われる。その間でも、契約者からの意向の強い、団体年金は手厚い配当を継続して来
たのに対し、(ソルベンシー確保という名目の故に)個人向け契約への配当は見るも無惨な
水準にまで低下してきた。それともに、保険料の算定方法が乱れてきたようだ。安全割増
の観念は、純保険料の算定基礎率にも、また付加保険料部分にも導入されてきたようであ
る。最近の外資系の参入により、それぞれの出身国でのやり方を、どうやら規制緩和の流
れの中で侵入し我が国でも導入されてきたようだ。船団行政の時代までの付加保険料は、
戦前からのやり方であるドイツ風のαβγ方式(αは新契約費、βは集金費、γは維持費)
で構成されてきたが、どうも最近では、付加保険料の構成は企業秘密になっており、その
中に安全割増が含まれるようになっているようである。純保険料の算定基礎率にも、例え
ば予定死亡表に安全割増部分が含まれているから、一見してダブっているようだ。保険料
算定などには、昔のやり方と、新しい(?)やり方とが混在している。昔のやり方は、監督
当局が実態を監視しやすい利点があったが、いまの状況は、監督当局の監視が行き届かな
い、行き届け難い状況になっている。監督当局が新しい監視方法を考案するいとまもなく、
規制緩和の流れの中で訳が分からなくなってしまったようだ。その経過で監督当局にはガ
バメント・アクチュアリーが不在だったのが致命的な結果をもたらしたのだと云えよう。
 このな状況の下で、10年間の放置されてきた欠陥ソルベンシー・マージン比率の改正
の他に、国際会計基準の議論が起こっているのだ。EU諸国とは抱える問題よりも、我が
国の方が遥かに難問だと思う。
 欧州を中心とする国際的な検討部会の方向は、現実的な時価会計・経済価値評価の方向
に向かっているようだ。果たしてそれが国際会計基準として制定されると、どうも国際基
準という言葉に弱い我が国は、何らの検討・反省もなしにその方向に向かっていくような
気がしてならない。我が国の保険市場は、EUとはハッキリ異なり、どちらかというとア
メリカに近いと思うのだが。
 2007/4/23日付の週刊金融財政事情が、「2010年の生保リスク管理」と題する大変興味深
い特集記事を掲載している。
 その第一の記事は、「ソルベンシー・マージン比率 10年ぶりの抜本改正に向けた議論
が本格化・・・・負債の経済価値評価を迫られる生保」であり、第二の記事は、「ソフトランデ
ィングのために、規制・会計の早急な手直しが不可欠」であり、第三の記事は、「欧州保険
市場でのソルベンシー規制見直しとリスク管理高度化の意義」である。
 その何れの解説も、かなりの問題・疑問点を含んでいるように私は感じる。
 第一に、ソルベンシー・マージン比率とは、純粋に監督当局の監視のための手段である
のに、それが論文に明示されていないことだ。またその開発手法・手順がハッキリと書か
れていないことだ。
 第二に、負債の経済価値評価が迫られると書いているけれど、これも監督当局が生保会
社の負債を監視するのに、またそれと同時に生保会社の会計を一般にディスクローズする
のに、経済価値評価が何故必要なのかを書いていないことだ。
 あくまでも、ここで検討を急がなくてはならないのは、当局に提出し一般に公開する会
計システムである。第二の記事の中に松山氏は、「経済価値評価は必ずしも一意的な評価
を意味するものではない。経済価値評価は、本来は内部モデルとして、あるいはルールベ
ースではない原則ベースの規制に相応しい(この意味はハッキリと分からない)ものと考え
られる」と述べているように、監督官庁が公式に徴求し、一般にディスクローズし、法人
税の課税基準となるものではないのではないか?とにかく、会社内部にだけ通用するモデ
ルではなく、公的な会計システムの議論を進めてもらいたいが、先程書いたように、現状
はバラバラで混乱しているのだから、先ずどの様に、どの程度、規制し整理するかの議論
を急がなくてはならないと考えるのは私の思い過ごしでないことを祈るだけである。

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