Profile


ハンドルネーム:あらいっち
別号:蒼酔

1969年8月末日に男児として生を受ける。
出身は東京と千葉のあいの子。

小学校6年にてスタートレックにはまり、ミスタースポックに憧れ片眉毛上げを習得。

中学校(全寮制)に進学。
ここで、証拠隠滅、脱走、火災報知器の解除の仕方などを習得。

高校(全寮制)に進学。
南野陽子全盛期。みんな日曜の深夜には「ナンノこれしき!」を聞くためにラジオが奪い合いに。

大学に進学。
ビール部に入部する。濃いめ屋の常連となる。
濃いめ屋とは東十条の居酒屋のことで、頼むとサワーが濃いめでくる。しかも追加料金はなし。

医者になる。
t大学病院の何となくアウトローな13内科の医局にはいる。

2002年6月サンフランシスコに突然上陸。
詳細は下記に。

特技:ものを忘れること

好きなものごと:
バードウォッチング;特におおるり
建築を見ること;路上観察、トマソン観察、安藤忠雄
沖縄;特に文化と三線
スキューバダイビング
酔っぱらうこと;日本酒はちょっとうるさい。
西武ライオンズ;創設時より。辻発彦すきだったなぁ。
海軍;特に大日本帝国海軍
第13内科;ここは自由な気風とユーモアを理解する人々の集まるところ。
まさしくヤンが率いる13艦隊と言っていいだろう。
上野樹里;今イチオシ
YMO;未だにこれ以上の音楽はないと思っている。
ガンダムシリーズ;といってもゼータまで。
幕末明治維新;どんでん返しに次ぐどんでん返し。こんなに面白い時代はない。司馬遼太郎が取り憑かれるわけだ。
永井荷風、内田百間;どちらもアウトサイダーだなぁ。

嫌いな物事:
読売ジャイアンツ
納豆
いわゆる日本の左翼(朝日新聞を含む)
寒いところ:東京が生息できる北限
上戸彩、浜崎あゆみ:なぜ人気があるのか、理解できない。




サンフランシスコへ来たいきさつ

 そもそも僕は、都内の大学病院に勤める内科医だったのです。
それがひょっとしたきっかけから、サンフランシスコにあるUCSF(University of California, San Francisco)という大学へ
研究をするために2年の予定で渡米することになったのです。
 ことのきっかけは2001年の秋にうちの教授と一緒に学会で福岡に行ったときのことです。
このとき僕の立場は、大学院4年生という立場であり2002年の春には卒業することが決まっていました。
うちの大学のしきたりとして、大学院を卒業したならば一度他の病院にでなければいけないきまりがあったのですが、
なんとなくそれもつまらないと思っていました。
 また大学院生といっても、僕の場合研究と臨床の両方やっていました。そういうシチュエーションの時に、
福岡の酒の席で教授が僕に言ったのです。
どぉー?、アメリカの大学からちょうど1つポストが空くので、打診があったんだけども行く気があるかい?」
そのとき僕は、酒もまわっていたこともあり
「ちょうど大学院も終わるし区切りもいいから、行ってみるのもいいかな。」
と、このように軽く返事をしたのです。
東京に帰って、しばらくすると助教授からある言葉を聞いたのです。
ンーモー、彼は早く決めないかねぇー」って、教授が言っていたわよ。
そうです、教授にとっては福岡の酒の席で正式に申し入れをしたつもりだったんです。
そうこうしてるうちに、外来診察中に教授から直接電話があり
ンドウゥー、決心がついた?」
と言ってきたのです。外来が忙しく、早く電話を切りたいこともありここでハイと言ってしまったのです。
ここからがたいへんでした。
何せ僕は英語がからっきしだめなのです。
正式にアメリカ行きが決まったのが、2002年の正月でした。
そしてうちの教授いわく
ンゥー、春に行こうね、春ヨネェー
ということで、当初は春に行く予定だったんです。
決まってしまったものは仕方がないので、ベルリッツなる英会話教室にぼちぼち通うことにしました。
 しかし教授は会うたびに言うことが違うのです。
4月の予定が5月になり5月の予定が6月になりとだんだん伸びていったのです。
僕の手元には、5月にはvisaを申請するための書類がそろっていたのですが、教授がそういうので待っていたのです。
 6月初旬のある日に教授に書類が来てることメモに残しておいたところ、
ンーンー何で言わないの?、書類が来ているのなら来週にでも行くんヨー。」と言われたのです。
どうも教授の様子によると、渡米先の大学とは連絡をとっていなかったようなのです。
適当に4月だ5月と言っていたようなのです。
来週に行けと言われても、ビザを取らなければいけないし、
または引っ越しの準備もしなくてはいけないし、これはエライことだと思いました。
そして直接渡米先の大学連絡を取り、ビザを申請し、ようやく準備ができたのが6月の末になっていました。

そして単身アメリカに赴くことになったのです。

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