Title

PMDDで休職中


休職してから 心の状態
毎日の生活 アイにツイテ
これからどうしよう



休職してから
ひどい状態だった。何もする気になれず、ただ食べて寝るだけの生活。ぼけーっとTVくらい眺めるけど、何をアナウンスされているか、ちっとも聞き取れていない。同じものを見ているのに、同居人が、ふーんって関心しても、私は何が話されているのかの記憶が飛んでいる。そんなことが何度もあった。つまり興味関心が全く失せてしまったのだ。
昼なのか夜なのか。いったい今日が何月何日の何曜日なのかということさえ、心に留めることはできなかった。
これは、もう既にPMDDを超えて、単なるうつ病だったと思う。
月に一度、コンスタントに通院していたが、病院さえ行く気力が残されていなかった。病院で抗うつ薬を処方されたが、飲むことさえ怖くてできない。
不安とか恐怖とかいうものが、それと認識できないまま鉛色の重たい雲となって自分の心に立ち込めていたような感じだった。
料理、洗い物、買い物は全て同居人任せ。洗濯、掃除だけ本当に必要に迫られた時だけしていた。よく生きていたと思う。


心の状態
さて、ひどい状態ではあったのだけど、自分の心の中は、以外に落ち着いていた。これ以上ひどくなることはないだろう、という安心感なのか。自分のためのワガママを自分のために叶えてあげているという満足感からだったのか。自分の生き方についてを冷静に省みてもいた。
私は立派なACで、共依存的傾向があった。そして元気な頃は、あきらかに仕事と恋愛にアディクションしていた。

仕事は誰にも負けないという自負をもってこなしていたつもりだ。人から物を頼まれば嫌といえない性格だし、困っている同僚を見かければ放っておけない性格でもあった。だから自分の事よりもまず周りのために、会社のために動いてしまう傾向があったのは確かだ。
そして生理前心が不安定になってくると、それらをフォローしきれなくて憤りを感じたり。そして何よりも半端な仕事をしている他人に対しての怒りが抑えきれなくていらいらしたり。仕事の優先順位も自分のエゴを優先する同僚にはものすごくムカついていた。ひどい時はそんな感情に支配されて自分の仕事さえ手につかなくなっていた。冷静に考えれば自分は何様よ? なのだが。
自分のために何かをするというのがとんでもない贅沢だと思っていたから、自分のためにストレスを解消するなんて考える余裕もなかった。だからその頃は休日といっても出勤してみたり、一週間分の家事をしてぐったりしてたりという過ごし方。いつの間にか、それが苦しくなっていたのに、ものすごく疲れていたのに、自分ではそんなことも気づくことができなくなっていたらしい。たとえば肩こりさえ気づくことができない程。
心にしっかり蓋をして隠し続けたもの。それはそんな風な怒りだったし、先の見えない不安だったし、言葉にできない悲しみでもあった。
そんな事にようやく気づくことができて、敢えてリラックスするための努力を始める。


毎日の生活
私は、それまで誰にも話していなかったのだけれど、うつ病を発病するきっかけになるストレスは山ほど抱えていた。大切な人と生前に会うことも叶わず死に別れていた。長年の恋人とつらい恋をしていた。毎日を共にする同居人から別居を宣告されていた。そのため長年働いてようやく手に入れた都心のマンションを売りに出さなくてはならなかった。新しい住まいのために莫大な借金を新たに作ることに。仕事環境も変化していた。それまでは個人レベルで気づいたものを個人レベルで処理するだけでいいというものから、組織レベルで未来のリスクを考慮し、組織レベルの新しいルールを策定していくというものに変化していた。そのわりに身分や報酬が上がるわけでもない。何でも気軽に話せる歳の近い同僚は周りからは消えて、ずっと年上の上司やら、年下の男性とかとうまくつきあわなくてはならなくなったり。ジェンダーコンプレックスをもっている私には辛い境遇だった。
そして今、長年に渡るつらい恋を終わりにして、海辺の街に移り住み、子犬と一緒に暮らし始めた。仕事もとりあえず長期休暇ということにしている。
毎日海を眺め、ベランダのグリーンに手を入れる。犬のウンコを拾い、シッコを拭き、抜け毛を掃除する。料理して食べて、洗い物して、洗濯して、本を読み考える暮らしを続けている。夜になれば犬を散歩させ、温泉につかり、ネットで情報を得る。というひきこもりの生活。一日誰とも話さない日もあるのだけれど、寂しい人恋しいという感じは困ったことに全くない。もしかすると初めて経験する充実した生活なのかもしれない。
その証拠に朝起きてすっきり気持ちいいと感じた思い出がこの歳になるまでほとんど無かったのだ。自分は夜行性だからしかたないと思っていたのだけれど、生き方のどこかが間違っていたに違いない。
最近、ようやく趣味のピアノを再開できるようになった。大好きだった音楽を聴くことさえ、しばらくできなかった。うるさいというか心にまったく響かなかったのだ。けれどようやく音に心を耳を傾けることができ始めた。ほぼ毎日指を動かし、小さい頃から憧れだったショパンと向き合えるようになっている。


アイにツイテ
そう、ようやく回復の兆しが見えてきたのかもしれない。今はこの引きこもり生活を維持するのが精一杯なのだけど、無理すればそろそろ復帰できるかもしれない、という気がする。
ここまで来るのに私はいろんな人に支えられた。
悲しいかな他人に対して臆病になってしまっている私は直接人と話しをしたわけではないのだけれど、本を読み、サイトを巡り、新しい考え方を受け入れ、言葉のない動物と心を通わせることによって、今までとは違う何かが掴めたと思っている。
自分の過去を振り返り、誰かを恨んでみても何も始まらなくて、でも心に溜まりきった感情の処理がうまくいかなくて、一時は絶望してしまっていた。
宗教みたいだけど、そこにはアイがあったのだ。そしてそのアイに導かれて私は回復しだしたのかもしれない。


これからどうしよう
絶望して身動きさえできなくなった私を魅了したもの。
それは、自分への愛。いや自分たちへの愛。「たち」というのは、これが私の身の上だけに起きた災難だとは言い切れないということが解ったから。
私の病気はうつ病に限りなく近いのだけど、女性ホルモンが重要な鍵になっている。PMDDという病名さえ、最近になってようやく認知され始めたようなものだし、現在でも理解できるという人は少ないかも知れない。お医者様でさえ人によっては認めない場合さえあるという。女性というマイノリティ。このせいで婦人科系の医療が軽視されている、もしくは遅れているとも言われているらしい。確かに会社に休職を申請するにあたり診断書は「うつ病」にしてもらった。私の状態を説明するのにも男性上司には理解が難しかったようだ。もちろん同じ女性でも女性の生理がここまで仕事に悪影響するなんて事を明らかにしないで欲しいという人もいるかもしれない。女性全員がこんなに非能率的な生理を持っているなんて宣伝されたら困るという言い分もわからなくはない。私自身、こうなるまでは生理で調子が悪いとか、いまどき生理休暇を取るとかいう女性に対して、軽い差別を感じたことについて否定はしない。

女性という社会的立場、女性自身の心と身体のバランス。身の回りの環境を考えた時、何が安全か。食べるもの、身にまとうもの、住む場所、仕事環境などその全てを快適にキープしたいと今は心から願う。

田舎に引っ越して気付いた事。美味しい空気と美味しい水。これがどんなに生きていることを豊かにしてくれることか。静かな波音と澄んだ月影がどんなに心を癒すのか。なぜそれがわからなかったのか。
水を汚す洗濯や洗い物、住む環境を悪くする洗剤を始めとする化学物質たち。味のしない農薬だらけの野菜。成長ホルモン付けになった家畜の肉。どうしてそんなことを気にすることができなかったんだろう。
私の今の病気は、ホルモンのバランスを崩すことが原因だとされている。そしてバランスを崩す一つの要因としては環境ホルモンがあるのではないかと疑っている。もちろん専門家ではないので医学的な、科学的な根拠は全くない。けれど自分の基本的な生活を省みるにつれて、ますますこの問題が気にかかるのだ。内分泌かく乱物質。化学物質過敏症。実は私は新築マニアで、90年から新築物件ばかりを6軒も住み替えしているのだ。シックハウスである可能性も高そうだ

春になるとひどい花粉症になる。これは70年代に新築の戸建に引っ越してすぐに発症しているからもう30年近くのキャリア。これは杉花粉のせいだけではなくて、シックハウスも関係していそうだけれど、排ガスのせいかも知れないと想像している。聞いたところによるとガソリンから排出される化学物質は、かなりひどいものらしい。しかもガソリンに含まれている添加剤に何が使われているか、それらが燃焼して排出されるとどんな有害物質に変化しているのかさえ誰も把握できていないという。

私の子供時代の愛犬は特定のドッグフードしか食べなかったのだけど、前立腺のガンで死んだ。今実家で飼っている犬もまだ若いのに、前立腺に腫瘍ができて去勢した。どうして同じ生殖器が病に冒されるのか。調べるとドッグフードに法的な規制はほとんどなくて、原料となる肉も何が使われているのか、明らかではないらしい。犬の食性はヒトと被るので、ヒトの食料が優先されれば犬の食材はヒトの食べないものをまわされるのは当たり前ではないか。とするとどんなものが犬にまわされるかは、想像がつく。
ちなみに私は結婚して子供が欲しいと思ったことが一度もない。赤ちゃんがかわいいと感じた事もない。そういう私でも犬は心からかわいいと思う。自分の子犬を育ててみてはじめてこれが親心? っていう気分を味わった。ましてこれが自分のコピーを育てているのだと思えば子育ての気持ちはもっと真剣なものになるのだろうなと思う。

医療の問題も似たような構造なのだ。私が病気になり医者にかかる。医者は製薬会社の製品を処方する。薬品に副作用はないのか。薬だけ服用していれば病気が治るのか。医者にかかる前にヒトとしての基本を見直す方が重要なのに、いつのまにか病気は医者が治すもの。薬で治すものだと妄信していた。そうそれだけでは直るわけなどない。

一体四十年もかけて、生きることの何を学んできたのだろう。私に必要なのは、自分のエゴのためにお金を稼ぐ事ではもはやない。今まで自分のより良い生活をするために仕事にアディクションしてきたのだけれど、仕事は単純に自分の時間をお金に変えるだけで、何かに貢献するようなものではちっともなかった。もちろん仕事を通して鍛えられた部分はあるし、今の会社に社会的意義はあるのだろうけれど、今の私にとっては過去の依存の対象としてしか見えなくなってしまったのだ。営利目的の企業が今まで何をしてきたのか。
いや偉そうなことは言えない。いままで私のような病気持ちに雇用機会を与えてくれていたのだから。ということで、これからどうやって暮らしていくか思案中なのである。


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