大いなる音楽の効用

 

    ダンスキャプテン


1984年オープンを控えた東京ディズニーランドのリハーサルルームでは、
連日「フープ・ディー・ドゥー」のリハーサルが行われていた。
東西線浦安駅で電車を降り、5分ほど歩いてバス停へ。
グランド・オープンに向けて、商店街もにわかに活気付いている。
中でも「ミッキーまんじゅう」はほほえましかった。
ここを通るのは今はスタッフ達だけなのに。
バスも専用の路線はなく、○○行きの「オリエンタルランド本社前」で降りるのであった。
いたるところまだ工事中の、仮設感ただよう社屋のはるか向こうに
建設中のディズニーランド、そしてそこへ向かう道の途中、
広大なバックステージに格納庫、オペレーションセンター、ワードローブ、
リハーサルルーム等が点在しているのだ。
朝10:00時本社入り口でI.D.を見せ、自社バスに乗り換えいざリハーサルへ。
バスを降りようとしたその時、マジ兄に後ろから声を掛けられた。

「おはようアキラさん、今日もよろしくね」

マジ兄は日米合同キャストの中でも一番キャリアが豊富な一人であった。
誰も見たことのないショーを一から作るのだから、期待感と不安感が常にともなう。
稽古ピアノ兼アレンジャーとして入っている弱冠22歳の私から見れば、
マジ兄は頼りになるダンスキャプテンだった。

ショーは古き良きアメリカの田舎芝居を再現したものだ。
日本で言えば髷物コメディー。
日本語英語織り交ぜての寸劇、カントリーソング、お客をまじえての歌遊び、
ダンス、楽しい食後のひと時を・・・という趣向。
カントリーディナーショーである。
日米合作なので全員が初体験のことばかり。

たとえば、英語の早口ソングを覚えなくてはならない。
譜面を見て閉口する日本人キャスト達、
しばらくにらめっこの後に全員のエンジンをかけるのがマジ兄だった。
「うんも〜う、めんどくさいから全部覚えちゃいましょ、こんなの!
はーいみんなマル暗記マル暗記!」

はじめは伴奏する私も吹き出してしまうほどのカタカナ英語。
しかも早口だからとても意味などわからない。
それが人間くり返し復唱することでなんとかサマになって来る。
一週間後にはすっかり体に入ってしまいもう止まらない。
アメリカ人演出家の前で得意げに早口ソングを練習する日本人キャスト達。

こうしてコメディータッチの「デイビー・クロケット」や「シャナンドゥ」などの
カントリーソングメドレーなどいくつかのシーンが出来上がった。
演奏はピアノ、トランペット、ドラム、バンジョーという至ってシンプル。
いびつな編成だが、「アメリカ」+「いなか」+「ショー」というコンセプトには
ぴったりなサウンドを出す。
私はスタッフとして参加しつつも、なんとかアメリカのショー作りの感性を吸収しようと
アンテナを広げた。私達はいわば東京ディズニーランド一期生なのであった。

一ヶ月の稽古を終え、無事初日を迎えた。
二階隅のテーブルをスタッフで囲み、ディナーからいただいて、
自分たちの作ったショーを見守った。
そこにシャープな身のこなしと笑顔でひときわ輝いていた
マジ兄の姿をハッキリと覚えている。

実はマジ兄を知ったのは、それが初めではなかった。
私が稽古ピアノを弾く「スタジオ一番街」で
小川亜矢子先生のバレエレッスンを、彼は受けに来ていたのだ。
亜矢子先生のもとで、ひとつひとつの「パ」を確かめるように
気持ちのいい汗を毎週流していたのがマジ兄だった。

真島茂樹=マツケンサンバIIの振り付け師であり、今なお日本のトップダンサーの一人。

20年後、NHKホールのロビーで再会したときも、
マジ兄の存在になんら変わりはなかった。

「うんも〜う、白組の人たちに一人ずつ教えなきゃなんなかったの、もうダメ、疲れはてたワァ」
と、言いつつ次の打ち合わせ。
「TBSの方は、こうでこうで、こう出てきて、こっちに行って・・・」
「マジ!会いたかったァ!」
「アーラ、アキラさ〜ん!!」

私もマジ兄も、この日再会できることを楽しみにしていたのだ。

すでに「上様」松平健さんとの再会をはたした私と、
マジ兄とのさらに古い再会を健さんは無言で見つめておられた。

『そうかマジ兄は今でもスターの影にピッタリとはりついて、
みんなを乗せたり、引っ張ったりしているんだなァ・・・』
そうやってショーは作られる。それぞれが役目をはたし、生み出されていく。

ダンスキャプテン。
一流振り付け師となった真島さんだけど、
彼には今でもそんな称号がよく似合う。


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