モロッコ紀行
2000年12月26日〜2001年1月4日
12月26日(火)保土ヶ谷駅8:35のエアーポート成田に、乗り込んだので有るが、通勤時間帯で、グリーン車も満席で、通路に立ったまま、品川近くで、ようやく、座ることが出来た。まだ、年末の26日は、まだ休みに入っていなくて、通勤客が多い。成田第二空港に着いて、3FのGカウンターに、行ったのであるが、思ったほど混んでなく、簡単に手続きを、済ますことが出来た。11:50に、出国手続き前に、集合したのであるが、なんと、17名中、男性、私含めて、2名である。20〜30才代の0Lばかりである。

 出発は、13:00 (81番ゲート)でアエロフロートロシア国際航空(SU)576便である。昔、アエロフートで、キリマンジャロに行ったとき、乗った飛行機も、機内食も不味い、印象しかなかったのであるが、今回の飛行機は、A310 エアーバスで機内も新しく、きれいで食事も成田から積み込んだせいもあって、日本食のソバ、ウナギ飯などが出てなかなか美味しくいただけた。

17:25 モスクワ空港に、到着した。昔、来たときは、薄暗くて土産物屋も少なくて陰気臭かったが、今は、トランジトも明るく、免税店も数多くあり、品数も多く置いてあって明るい雰囲気であった。ロシア娘の超ミニスタイルのタンタクロースがいた(なかなか美人の娘さんである)。モスクワ空港の外の気温-7度で、以外と思っていたほど寒く無く、札幌より暖かい。

モスクワ空港19:15発SU-427便で、一路カサブランカに向かった。機種は、ロシア製の140名程度しか乗れないジェット機で、これから5時間のフライトである。しかし、到着現地時間は、21:55の予定である。日本時間だと朝の8:55である。到着して、トランクが出てくるまで、以外と寒く、若干震ながら待っていた。日本の冬と変わらない寒さであった。外には、真新しいバスが待機していて、現地のエージントのネルー氏、ドライバーのモハメッド氏、助手のアーメッド氏である。添乗員の小川さん含めて18名は、一路雨の中、ホテルEL カンダーラに向かった。時間にして、夜の23:00頃にも関わらず、物乞いの婦人がいた。余り経済状態が良くないのであろうか。

12月27日(水)
朝、6:00きっかりに、外から、イスラム教のコーランが聞こえてきた。ここは、イスラムの国であることを実感した。カーテンを明けてみると、今曇っているかと思うと、急に、みぞれが、降り始め、雪まで降り始めた。その後雨に変わり、曇りになった。変わりやすい不安定な天気であった。これが北アフリカなのか?まずは、カサブランカの市内観光である。ハッサン二世モスクの見学。モスクの敷地が9ヘクタールの敷地に8万人、内が2ヘクタール、2万人収容出来る規模で、モロッコ全土から、4000人の職人を集めて作られたそうである。ミナレットの高さは、200Mもあり、世界一の高さで、なかなか見応えのあるモスクである。

モハメッド五世広場に、水売りがいて、その格好がなかなかユニークで、写真の被写体になっていた。モデル料として5DH(約50円)支払う。なかなか水売りだけでは、大変みたいである。昼食は、海辺のレストランにて、魚のフライ料理である。小魚中心であるが、なかなかいい味であった。そこで、カサブランカビールとローカルビールを注文したのであるが、カサは、以外と味に深みが有り、なかなか美味しかった。ローカルの方は、味が薄くいまいちだった。その後、映画のカサブランカの撮影現場になった、ハイアットホテルの喫茶ルームを、訪れたのであるが、昔のまま、保存してあり、映画の趣が今だにあった。

町中は、いたる所に、ゲゲゲの鬼太郎に出てくるネズミ男風のコート姿の男が、町中氾濫していた。しかし、女性の姿が見あたらず、男同士、町中、喫茶店、レストランなどに、ただ、たむろしていた。なにを、話ししているのであろうか、不思議である。少し、町をはずれると、すぐ、なにもない砂漠地帯で、所々に、泥と土で作った、家が有るだけで、家の前に、情けなさそうな、ロバが繋がれていていた。しかし、荷物を担いだしっかりと仕事をしているロバが殆どであった。今夜は、マラケッシュで、かの有名なジャマ・エル・フナ広場のあるところである。今夜のホテル、マリアムスで、プール付きの高級ホテルである。各自部屋の鍵をもらって、開けようとしたのであるが、なかなか開かないのである。開け方にコツがあり、平野さんが、悪戦苦闘していた。ある程度、引っ張るように力を入れて左に回しながら押すと、開くのであった。各ホテルで、開け方が違うので苦労する。

12月28日(木)
まず始めに、メナラ庭園に行く。そこは、庭園いっぱい、オリーブの木が植えてあり、その中心には、真四角な、200m四方の池があり、鯉が優雅に泳いでいた。昔、ここで兵隊に、泳ぎの訓練をさせたようである。こんな砂漠地帯の場所に、こんな立派な池を作るとはたいした物である。バヒーア宮殿の入口の両側にびっしりと、オレンジの木々が植えられていて、実が鈴なりになっていた。その宮殿の中に、殆ど日本ネコに似ているトラネコ、三毛ネコ、日本の野良ネコと同じ種類であった。ここの王様もネコが、好きだったのか、ドアの下に、ネコ専用の出入り口があり、15〜16世紀頃創られたドアだそうだ。町中は、観光用、二頭馬車が、観光客を乗せて走り回っていた。以外と繁盛していた。ひとり一時間150DH(1500円)で、決して安くはない。そのそばをロバが、荷車一杯にビンのケースを積んで、一生懸命、引張っている姿に、ロバも生きるために頑張っているのだと感心した。

その後、世界でも有名な大道芸とスークの町、ジャマ・エル・フナ広場に行ってみた。そこは、今まで、世界各地行ったのであるが、この雑踏、混雑さ、人混、市場の混雑は類を見ない、騒がしさであった。フナ広場では、ヘビ使い(コブラ)の芸、刺青をしてくれる女性、1/5DHのコインを、2M程度の樽に、5cm程度丸い木を浮かべて、ある円からコインを投げて乗っける、その木をひっくり返すと倍率が現れて、もらえる仕組みのゲームである。私も挑戦して、乗ったのであるが、木と木間に乗り、どちらか一つ選ばなくてはならなく、観衆から、注目の的であった。私は、右を選択して、ひっくり返すと、なんと倍率は1倍だった。みんなから、やいのやいのの歓声があがった。

円の中に、コーラ、オレンジジュース、スプライトなどの瓶が置いてあって、円周の外から、釣り竿の先に、輪を付けてあり、それで、釣り上げるゲームである。見ていると、重たいためもあって、なかなか釣り上げる人は少ないみたいである。手相を見る人、トランプを三枚並べて、入れ替えて当てるゲーム、曲芸する人、民族舞踊を踊る人、子供同士ボクシングさせて、どっちが勝か、掛けているみたいで、子供も、必死で、鼻から血を流しながらも、戦っていた。

屋台は、オレンジジュースと各種ココナッツ、ナツメヤシの実、等の屋台、靴磨屋、各種雑貨商、果物屋、などありとあらゆる物が、そのスーク(市場)に行くとあるみたいである。私達も、そのスークに入っていった。ごちゃごちゃとした、迷路であったが、一応各、ブロックごとに、陶器、香辛料、等々のスークがあり、自分の買いたい物が有れば、自分のほしい値段まで交渉するしかない。だから、買い物に時間がかかって仕方がない。

ホテルの帰る時間がきたので、フナ広場の先から、タクシーを拾って、帰ろうと思った。しかし、時間帯が18:30と、帰宅時間と重なって、大変な混雑である。人の多さ、車の渋滞は、日本の繁華街よりひどいぐらいである。フナ広場から、帰る車ばかりで、殆どタクシーに人が乗っていて、乗れそうもない。反対車線はフナ広場に来る車なので、たまたま空いている車があり、そうそうに値段交渉する。20DHで交渉成立。しかし、フナ広場を、少し走ると今までの混雑は、なんだと思うぐらいの静けさになった。

12月29日(金)
バスにて、ティシカ峠に、向かう。道の両側に、オリーブ、ユーカリの木々がつづく街道を行く。バスは、だんだん高度を上げていき、アトラス山脈を越えて行くのである。普通は、ガードレールが有ると思うのであるが、この街道は、何もなく、高いバスの窓から下を見ると、だんだん高度が上がって行くと怖いぐらいである。今まで走ってきたマラケッシュの町波が、遙か彼方に見え、雪山が間近に迫ってきた。

峠手前の茶店にて、トイレ休憩になり降りてベルベル人の人家を撮っていると、村の子供達が寄ってきて、キンディーのチップで写真を撮らせてもらった。何でもギブANDテイクである。この街道が、ワルザザードへの、メン道路なのか、以外と交通量が多く、ランドローバーのツアーのお客が多い。一般の荷物を満載したトラックも、あえぎあえぎ登っていた。

モロッコで最高のティシカ峠に着く。標高2260Mで、立派な茶店、土産物屋があり、バスが停車すると、どこからか手に、土産物を持った少年達が寄ってきた。この地点の周りに、残雪が至る所にあり、これからまだまだ降雪があるのであろう。ここから見る風景は、ほんと、本場アルプスと変わらない迫力である。たしか、アトラストレックでアトラス山脈の最高峰4165M(トゥブカル山)に登るツアーがあった。この峠を境にして、砂漠地帯と入っていくのである。アメリカのモニメントバレー行く途中の道と、まさしく一緒で、真っ直ぐな何もない砂漠の道路である。こんな砂漠地帯に、ネズミ男が道端で寝そべっている。また男数人で、たむろしているのである。ほんと、何をしているのか不思議でならない。

「アラビアのローレンス」の映画の舞台になった。アイト・ベン・ハッドゥにて昼食を摂る。モロッコの家庭料理オムレツタジンを食べる。現地の煮込み料理であるが、その容器に特徴があり、厚い土鍋に、オムレツが入っていて、その蓋がなんともユニークで、とんがり帽子みたいな格好をしていたが、味はなかなか美味しかった。そのレストランの屋上から見る、アイト・ベン・ハッドゥは、私が思う、イメージ通りの風景であった。砂漠の中のオアシスで、ヤツメヤシの木々の茂るわずかな水の流れる川の側にカスバといわれる城壁があり、敵から攻めて来られないように、高い土壁で被われていて、なかなか外から進入出来ないようになっている。今は、殆ど、このレストランがある対岸に住んでいるが、まだ10家族程度、土産物屋などで生計をたてていた。その城壁に入ると、道は狭く、両側に土壁が迫り、洞穴みたいな、暗い住居に、山羊、羊などと一緒に生活しているみたいである。

カスバの頂上まで、登ってみると、そこから、遙か彼方に、雪を戴いたアトラス山脈が見え、その手前に広がる砂漠地帯と風景がマッチしていた。途中ティフルトのカスバにて、ミント、ティーのサービスがあり、砂糖を沢山入れるので甘すぎて、少し飲みずらい。そのカスバの屋上にコウノトリが巣を造っていた。近くの村から、小枝をくわえてきて、約2Mもの積み重ねてあって頑丈であった。我々が近づいていっても逃げず、人間に慣れているようである。カスバの部屋の中は、ひんやりしていて、湿気もないので寒いぐらいである。今日の宿泊場所は、砂漠の中に最近出来た新しい町(ワルザザード)にあるファラ・アル・ジャヌブ ホテルである。こんな砂漠の真ん中のホテルに、立派なプールがあるとは、驚きである。

12月30日(土)
バスにて、トドラ渓谷に向かう。まさしく、モロッコのグランドキャニオンである。渓谷の行ける所までバスで行き、10分程度歩いて、昼食場所のレストランに行く。そこは、ホテルとレストランがあり、各ツアーの昼食場所になっていて、イタリア、スペイン、日本(他のパーティ)が、同じ時間の昼食なので、大変混雑していて、なかなか、料理を持ってこなくて、トドラ渓谷のフリータイムが少なくなり、ガッカリした。高さ300Mはある岩壁が両側に迫っていて、数キロつづく。そこからは、グランドキャニオンの、まさしく谷底そっくりであった。抜けるような、真っ青な空と、赤茶けた岩壁。たたずむ私。

ヨーロッパから来た、クライマーファミリー、仲間で来たライマー、各それぞれ、自分達に合ったルートで、クライミングを楽しんでいた。岩そのものは、以外とスタンス、ホールドなどが結構豊富にありそうなので、見た目よりは、登りやすそうであるが、なにか、もろそうである。各ルートにボルトが打ち込んであり、それなりのルートがあるみたい。トドラ渓谷の手前に、ちっちゃな民宿が多くあり、各クライマーがテラスで、のんびりとくつろいでいた。

川瀬さんを連れてくればさぞ喜ぶだろう。トドラ渓谷は、奇麗な川が流れていて、その川岸には、ココナツヤシの林、畑に、青々とした、野菜が一杯になっていて、この青さに、今まで見てきた、茶色い砂漠の色から解放された思いで、ほっとした。水さえあれば、不毛の土地が、緑豊かな、肥沃な土地に生まれ変われることを実感として感じた。ここから数時間叉、何にもない砂漠の中の道を、走っていくのであるが、遠くに、蟻塚みたいに、一直線上に、小山が続いていた。バスを下車して見て見ると、なんと、井戸みたいな所に、川が流れていたのである。

昔の人は、トンネルを掘って地下水を流そうとしたのであるが、長い距離掘ることが出来なく、短い井戸のトンネルをつなぎ逢わせることにより、距離を延ばしたのである。(カーナ)サハラ砂漠近くのホテル エル アティに向かう途中、化石工場に案内される。工場内は、石ころが散らばっていて、少し割ると、貝の化石が、続々出てきた。化石で造ったテーブル、灰皿、お盆、人形など、豊富に置いてあったが、値段を見ると、ぼったくり値段である。買う気があれば、その値段から交渉が始まるのである。あまり、買っている客は少なかったようである。

ここに泊まる客は、殆ど、メルズーガ砂漠に、見学に行く客ばかりである。オプションにて、ラクダに乗って今世紀最後の日の出を、見に行くツアーに申し込んだ。ラクダに乗る格好として、アラビアのローレンス風のターバンを40DHで購入、店屋のオヤジに、ターバンの巻き方を習い、翌日に備えた。


12月31日(日)
早朝、4:00起床、5:00出発する。まだ空には、星が一杯で、カシオペア等々が輝いていた。さっそく、四駆のロールスロイス、ランドローバーに三台に分乗して乗り込む、添乗員入れて,総勢19名である。真っ暗な、砂漠の中を三台の車は、猛スピードでメルズーカ砂丘目指して、進んでいった。一時間程走った所に、茶店があり、そこに、ラクダがキープしてあり、うちのメンバーでラクダに乗るのは、添乗員の小川さん、君江、三橋姉、あと三人である。

一瘤ラクダ一頭に、二人である。私は、ラクダの付き添いである。まだ空は真っ暗で、まだ夜明けまで時間がある。歩いて日の出を見るグループは、さっさと歩いていった。私は、懐中電灯を頼りに、ラクダの側に付いて歩いていった。砂丘の稜線を歩いている時は、まだ歩きやすいのであるが、少し道から外れると、蟻地獄みたいに、砂丘が崩れて歩きづらい。

砂丘の山の頂上に、歩きグループが到着していた。ラクダグループは、手前で降りて、急斜面の砂丘を登っていったが、なかなか登りづらく苦労した。頂上からの初日の出の時間は、7:30過ぎで、まだ日の出まで時間があったので、他の砂丘の山に、足をのぼした。稜線は、あまり沈み込まなくて、以外と歩きやすいが、ちっと稜線から外れると、砂が崩れてきて、非常に歩きづらい。砂は、赤茶色で、砂時計に入っているような、超粒子の細かい砂であった。日の出前は、温度が下がって、寒かったが、今世紀最後の太陽が上がったとたん、ぐんぐん気温が上がり、今までの寒さは、何だったのであろうか。湿気が無い分、カラッとした暑さであった。

ホテルに帰る途中ベルベル人のテントに立ち寄り、ミントティをご馳走になり、四輪駆動車にて、道なき道、何処でも道を、三台の車は、土煙を上げ、ラリーさながら競争しながら、猛スピードで帰っていった。遅い朝食をとって、一路世界遺産の町フェズに向かった。途中ミデルトの町にて、昼食を摂ったのであるが、ここにモロッコ第四番目のエアシ山(3737M)が雪に覆われていて、真っ白であった。

今夜は、今世紀最後の夜で、シェラトンホテルにて、2万円のガラディナーパーティーである。期待できそうである。今までの洋服を、着替え、上は、丸首の紺のシックなシャツで、ズボンも、普通のスラックスのズボンで決めてみた。他の女性連中も、それなりに、決めてパーティにのぞんだ。我々のパーティではないが、着物を着た日本女性がいて、驚いた。ホテルの前庭にて、モロッコの軍隊の行進、ベルベル人の踊りと音楽、などが、立食パーティの合間に行われたのであるが、いまいち、寒く、ホテルが用意したマントを被り、見物したが、盛り上がりにじゃかん欠けていた。

場所をかえて、ホテルのレストランでの、パーティに期待が出来そうである。入り口にて、紙袋を渡され、中を確認すると、ダンボールで作った、粋な帽子、メガネ、音が鳴る小道具、テープなどなど入っていて、今世紀最後の瞬間、及び、新年を祝うための、演出がなされていた。料理は、フランス料理のフルコース(キャビア、ホアグラ等々)であったが、殆ど食べる暇がなく、ワインを飲んで、矢部さん、三橋姉妹達と、舞台中央の踊り場で、踊りまくって、もうくたくたであった。1:30頃私達は、部屋に引き上げたのであるが、他若い娘さん達は、まだ頑張って踊っていたみたいであった。

2001年1月1日(月)
今日は、フェズのメディナ(旧市街)観光である。郊外の山の上から、メディナを、見たのであるが、城壁の中にごちゃごちゃと、土と泥で作られた家々が、ぎっしりと詰まって造られていた様子が、しっかりと分かる。山を下っていき、世界一複雑な迷路の町、フェズ・エル・バリに入っていった。さすが、世界遺産である。道は狭く、起伏に富み、上がったり、下ったり、戻ったり。坂が多いため、いまだに輸送手段はロバである。そこを人々がすれ違う。

歩き回るうち、同じ場所をグルグル回ってしまうような錯覚に陥る。高い建物の間の細い道に、昼なお暗いトンネルがあり、太陽の方向も分からない。いったん広場に出てほっとしても、また挑戦したくなる所と、ガイドブックには書いてあったが、まさしくそうであった。(808年につくられた、古い町)そのバリは、ありと、あらゆる物が、家の両側に並べてあり、道が狭いのに、より狭くなっていて、人が通るのが、やっとさである。たしかに、ガイドなしで入り込むと、迷路になっているので、なかなか出てくるのに苦労する。

ガイドの紹介で絨毯屋に、連れて行かれる。ミント茶のサービスを受けながら、いろいろな絨毯を出してきた。内のグループは、旅慣れていて、余り土産を買わない人たちであった。君江が、玄関に敷く、絨毯がほしいと言っていたので、それなりの、青い柄のいい絨毯に目をつけ、値段交渉が始まった。店のオヤジは、US$で550だといい、君江は、US$100から、始まった。みんな、私達の交渉の行方を、興味深く見守っていた。あまり、欲しいそぶりをすると、向こうはつけ上がってくるので、興味なさそうそぶりで、交渉しなければならない。だいたい、言い値の、半分程度折り合えばいいところであったが、君江が、なかなか、値を釣り上げてこないのでオヤジは、しびれを切らして、ガイドを通じて、いったい幾らまでなら出せるのか聞いてきた。

君江は、US$で190を提示したが、オヤジは、一歩も、US$200以下、下げようとしなかった。時間も迫ってきたので、US$200で、手をうった。後で、日吉から来た椎野さんに聞いてみると、横浜そごうで、同じ様な絨毯が50,000円売られていたと言っていた。これは、なかなか良い買い物をしたようである。

その後、彫金屋に連れて行かれて、ここの店が、いかに有名(アメリカの大統領も来店した)店であることの)紹介。本物と偽物の区別の見分け方など披露した後、買い物が始まった。彫金の盆が、500DHから、始まって、交渉が始まった。静岡の議母に、堂の彫金を買うが、約半値で、落ち着いた。みんな、それぞれ、苦労して買い物しているみたいである。(シェラトンフェズホテル泊)

1月2日(火)
バスにて、ローマ時代の遺跡ヴォルビリス遺跡に向かう。ローマから距離的に近いのと、気候が、温暖で、オリーブや、葡萄、アーモンド(桜みたいな花)、菜の花、タンポポ、クローバ、日本の春先に咲いている花々と、殆ど変わりなかった。驚いたことに、ローマ時代から水洗便所があったとは、驚いた。また、ローマ時代のマンションもあり、坪面積30坪程度で、余り広くない。

聖都「ムーレイ・イドリス」を遠くから、望む。山のてっぺんに、ごちゃごちゃと、寄せ合う様に、重なり、崖淵に、造られていて、見るから外的から、身を守れそうな、聖都である。メクネスは、オリーブのメクネッサと言う意味である。10世紀頃、メクネッサ族が、都市を造り、果樹園や、オリーブ、ブドウなどの、農業地帯をつくった。ここは、標高552Mで、気候の良さと、水の美味しさで有名である。

マンスール門は、ルイ14世がつくった、ヴェルサイュ宮殿に対抗して、つくったと語り継がれている。門の両端の柱は、ローマ時代の宮殿の柱をわざわざ取り寄せてつくらしたみたいである。ラバトは、モロッコの首都で、町は、さすが首都らしく、町並木、フランスから、モロッコの独立を勝ち取った前王、ムハンマド五世の霊廟、現国王、ハッサン二世と、その家族が住む王宮など、観光後、カサブランカのホテル エルカンダーラに戻ってきた。これで今回の旅行は終わった。

1月3日(水)
カサブランカ9:20(SU-428)〜 17:40モスクワ着 1番ゲートより19:30 (SU-583)〜
1月4日(木)
〜 11:05 成田第二空港 14:05 (成田エアポート)市川まで、三橋姉妹と一緒〜16:00保土ヶ谷着

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