キナバル山(マレーシア、ボルネオ島)
                            (1994.4.29〜5.4)

4/29静岡から義母と隆広がきて、君江と義母は横浜のランドマークタワーヘ、隆広は横浜のパチンコ屋へ、わたしは、一路成田へ向かった.保土ヶ谷から直通で成田空港へ行こうと思ったのであるが、4/29は休日なので13:34の電車はないのである。しかたなく日暮里まで行き、京成で空港まで行く.JRでも京成でも区間変更すれば料金は同じである事を初めてしった. 成田空港第二ターミナルビルは、成田空港駅の一つ手前の駅であった15:30着16:00集合なので少し早目に着いたので、まだメンバーはNKKの福山の人、鳥海さん、高木さん、宮宗さんとチームリーダの佐藤さんしか来てなった。 NKKのメンバーは50才代と思われる.

まだあと三人NKK京浜から来る予定で、元NKKの山岳部の人たちで、たまに同じメンバーで国内、海外の山へ行くとのことであった。16:30ごろ全員カウンターに集合し浅井氏から山行の注意と、ザックを預ける.19:05発のマレーシア航空093便B747−400に、乗り込み一路クアランプールに向けて出発である.やはり連休のためか満席であった.山の恰好をしている人は殆どいなく、みんなどこへいくのであろうか.マレーシアだからたぶんペナン島でもいくのであろうか。 途中沖縄上空なのか 梅雨前線の影響なのか随分飛行機が揺れ、コーヒーや、お茶がコップからこぼれる始末であった.私も、いろいろと飛行機に乗ったが、これだけ長く揺れたのは初めてであった。

4/30 2:00(日本時間1:00)着.空港から一歩外に出ると、南国特有の蒸し著さと、独特な匂いが私の体にまとわり着くようであった。荷物を受け取ろうと思って待っていたのであるが、待てどくらせど、でて来ない.係の人に聞くと直接コタキナバルヘ行くとのことであった.ツアーリーダーが殆めから云えば待たなくてもすんだのに、、、、ホテルは空港の目の前で歩いて1分の所にあった.くSUBANG AIRPOT HOTEL)着いてもすぐには、チックインすることはできなかった.まだ部屋の撮除が終わっていないとの事であった.こんな深夜2:30なのにまだ撮除が終わっていないとはさすがマレーシアである.へんなところで感心してしまった.結局3:00チェックインシワーを浴びて寝る.

朝6:30起床、7:30出発してシャトルバスで国際線夕ーミナルヘ向かう.クアランプール発8:30のMH−2608便にてコタキナバルヘ向かう予定だったのであるがトラブル発生14名中5名しか乗ることができず他の人9名は後の便13:30の飛行機しか乗れないとのことであった.その5名の中に私も入つていたのである。出発、5分前だったので走って行き、ようやく乗れた.機内をみて見るとまだ空席が7〜8席あった.どうしたものであろうか・11:10ごろ機内放送があり着陸する.我々4人もなんの疑いもなく降りて荷物の出てくるのを待っていたのである.他の乗客の荷勒は出てきたのであるが、・・ クアランプールで瀧上氏は、おこって、君の名前を聞かせろ、後でマレーシア航空に、苦情を云ってやると言うと3名は、ファーストクラスに乗る事が出来たとの事である.

その3名は、瀧上、青野兄弟だった.なかなか座席も良く、食事もエコノミークラスと違って随分良かったとの事であった.やはり怒る時は、しっかり怒らなくてはいけない.19:00ロビーに集合してマレーシア料理を食べに行く。玉子スープ、大きめな皿の中央にライスが盛ってあり、ターンティブルの上に、野菜イタメ、スブタ風イタメ物、魚料理、などなどがおかれてあって、各自、自分の好みの物を取るのである。ほとんど中国料理と変わらない.
 
 5/1 ハイヤットホテルに荷物を置いて、今日はボーリング温泉を経てパークベッドクオータ(pHQ)にあるアネックスに、泊まるだけなので海水パンツと温泉セットだけ持って、同室の瀧上君とバスに乗り込んだのであるバスから見える風景は、インドネシアのバリ島、タイのブーケット島とほとんど同じで、ヤシの木が繁り、バナナ、マンゴの木がそこらじゆうあり、食料の心配は、あまりしなくてもよさそうである.ただ家の造りは少し変っていて、みんな高床式で1Fは空いていて、ヘビ、ネズミの侵入を防ぐのと、毎日午後になると降るスコールの水の侵入を防ぐためであろう。しかし、お金が出来ると、日本では1Fから2Fに造り変えると思うが、マレーシアでは2Fを造ってから1Fを増築するそうである。

途中水上生活の部族の家を見学する.子供が我々が行くと、何処から湧き出てきたのか、我々の回りに集まってきた.ネパールに行った時もそうだったが、子供たちの瞳は純粋で美しかった.1軒家を造っている所があり、ガイドのユノスに聞いて見ると、場所は何処でも空いていれば、無料で建築費は3000M$(約日本円で12万円)だそうだ。材料費のみで、自分で造るので人件費はかから無いそうだ。 日本からみると、夢みたいな話である.ハイアットホテルから3時間ぐらいの所にあるボーリング温泉へ行く.ここは第2次世界大戦中、日本軍が発見した温泉である.温泉は天然硫黄温泉で49度〜60度ぐらいで温泉は熱くて手を入れる事が出来なかった.

しかし、温泉から少し下がった所にタイル張りの浴槽が20ばかりあり(5〜6人用)自分の好きな所に入る事が出来るのである.地球の歩き方の写真を見ると大きな露天風呂と思っていたのは、プールであってタイル張りの温泉には、少しがっかりした.しかし、これで海外の露天風呂を1つチェックしたわけであるからまあ良しとしよう.温泉の近くにジャングルがあり、入場は無料だが、カメラM$5、ビデオカメラM$30であった。運が良ければ世界最大の花ラフレシアを見る事が由来るかもしれないと期待していったのである.

すこし歩くと額から汗が流れ落ち、すごく蒸し暑い。思ったほど花も動物も少なかった.ただ真っすぐに伸びた30m以上はある大木につるがしっかりと、まとわりついていた.これがあればターザンが木から木へと移動出来ても不思議ではないとおもう.約10分ぐらいジャングルを歩いた所で行きどまったのである。これで金を取るとは、けしからんとみんな怒りだしたのだ.その行きどまりの先を見ると、展望台みたいな所が有ったので昇ってみた。なんとそこから木から木へと渡るつり橋がかけてあり、地上から20mはあるスリル満点であった。50mほどのつり橋が3〜4個かけてあり、この吊橋のためお金をとられたのかと、みんな納得した。

この地域は、熱帯のジャングルなので、午後ほ毎日スコールが降ると聞いていたが本当であった.雨のなか女性を除く男12名露天風呂に入ったのである・日本では、みんな裸で入るのであるが現地人は、みんな服を着たまま入るのにはびっくりした.夜は、アネックス・ルーム(ANNEX SUITE ROOMS)に宿泊する。国立公園管理事務所の本館ビルの別館に併設されている、一番新しい宿泊設で一部屋4人である.一部屋に1Fと2Fがあり、1Fは、シャワー、トイレ、シングルべッド2つあり、2Fにはトイレ、Wベッドが用意されていて、まるっきり2軒ある感じである.日本では信じられない山小屋である。

夜の食事も信じられないマレーシア料理のフルコースであった.夜のミーテングの時、この山小屋に置いていく荷物があれば置いて行ってくださいとのチームリーダの話であった。私と瀧上君はピックリしたのた・我々のザックは、みんなハイアットホテルに置いてきたのだ.登るのは明日なので我々二人は、温泉セットしか持ってこなかったのだ・ガイドのユノスにホテルに連絡を取ってもらう.明日の朝一番でアトラスのメンバーが登って来る車があったので、その車にザックをのっけてもらうことにした。一時はどうなることかと、心配したがこれでひと安心である。

 5/2 アネックスをバスで8:30出発約4KMでPS(発電所)の所で降ろされ、これからいよいよキナバル山に向けて出発だ。我々のチームと、今日の朝着いた、東さんチーム7名と一緒こ出発する.ガイド4人、ポータ8人、我々のチーム14人、東チーム7人の合計33人の大部隊である.2〜3分歩くと、すぐキナバル登山のゲートがあり、入山証明書をチックすることになっているのであるが、だれもいない.係員がいなければ、ガイド無し、ポータ無しで、もぐりで登山できそうである.10分程度、キチントと整備された道を下って行くと20mぐらいの滝があった。手で水をすくってみたが、余り冷たくなく、思ったほど美味しくしくなかった.そこからは、下りなしの登りばかりの登山道であった。

道は、階段状になっていて、谷側には手すりが設けてありなかなか立派な道であった.しかし、一段のスパンが大きいので、長く歩くと疲れる道である。約30分ぐらい登ると、シェルター付きの休憩所があり、水タンクも用意されていて、いたれりつくせりである。毎日午後になると、スコールが降るためこの様な設備が用意されているのであろう.登るペースがそれぞれ違うので、3グループに分かれて登ることになった・我々のグループは、私、宮宗、瀧上、吉野(弟)とガイドの5人のメンバーで登ることになったのである.途中真っ赤なシャクナゲ、10cm以上はあるウツボカヅラなどみることができた.もっといろんな花を見る事が出来るものと、期待していたのであるが、少しがっかりした.お昼頃からバラバラと雨が降り出してきた.ちょうどいい所にシェルターがあるものだ. 雨が降れば、たしかに階段を造っていなければ、道は川となってしまうだろう。

ラバン・ラタ小屋に14:00頃到着したころから雨が、本降りになりだした.キナバル山の頂上から始めちょろちょろの川だったのが、みるみる川の流れが、滝のようになりしまいにほ、300m以上もある大きな滝になったのである・他のメンバーは、この激しい雨の中どうしたのであろう.約1時間から2時間遅れで、ようやく山小屋に着いたのである.みんな、頑から足の先までずぶ濡れで、震えながら小屋に飛び込んできたのである.この山小屋は、なんとパネル式の電気唆房器が各部屋に備え付けてあり、共同の温水シャワーまで備わっていた。

部屋は2段ベッドが2個あり、定員以上は宿泊出来ないことになっている.だから一日に登る人数が自動的に制限されてくる・せいぜい一日に80人程度しか登ることが出来ないのである.日本の夏山に比べたら雲泥の差である.日本の山もこの様になれば最高なんだけれど、現実は不可能だろう。夕食もマレーシア料理のフルコースである.窓の外を見ると、スコールの後の、赤く染まった雲海の向うにしずむ夕日を見ながらたべる食事は最高であった.我々の部屋は、私、溝上、吉野兄為の4名で、明日2:30起床、3:00出発の予定だったので、早目に寝ることにした.しかし、寝て間もなく突然、急に、すごい地響きが発生した.

今の地響きは何だろうかと起きてみると、それは、吉野兄のイビキであった.私も、出張して、いろんな人のイビキを聞いた事があるが、こんな凄いイビキは、初めてである.連続的でなく急に来たかと思うと、止まり、今にも死にそうな音を出すのである。30分ぐらい辛抱していたが、堪忍袋の緒が切れ、とうとう瀧上君と私とで、枕と毛布を持ってロビーヘと避難した.そこで、朝まで辛抱したが、さすが熱帯といえ3300m以上の高地、寒くて余り寝る事ができなかった.青野弟も、兄のイビキで寝る事が出来なかったらしく目が真っ赤であった.窓の外を見ると、大きな三ケ月が出ていてその回りに、無数の星が出ていた.ふもとに目を移すと、PHQ、コタキナバルの街の明かりが見えるではないか.

3日前に登ったツアーの連中は、雨が激しくて登山出来なかったが、我々は天が味方したみたいである.ラバン・ラタ・レストハウス(3352m)のすぐ上のグンティグ・ラガダンのすぐ上から、ハシゴの連続で、ヘッドランプで足もとを照らしながら慎重に登る.約1:30ぐらいでサヤッ・サヤッ3804mの小屋で休む.これから上は、岩盤上の道で、木一つ生えていない溶岩の道で太いロープがピークまで続いているのである.右上方を見るとドンキーズ・イヤーズ(4054m)が見え、さらに右奥の岩の塊は、トウンク・アブドゥル・ラーマン峰(3948m)の鋭い岩峰を見る事が出来感激した。 6:00頃までにローズ・ピーク(4101m)に登らなくては、ご来光を見る事が出来ないので、パーティを2つに分けて登ることにする.私は先頭グループで登りはじめるが、だんだんパーティが、ばらばらになり私一人になってしまった。 さすが4000m峰だ、最後の1ピッチは、思ったよりきつく心臓が破裂しそうだった。

 雨が降れば、たしかに階段を造っていなければ、道は川となってしまうだろう。ラバン・ラタ小屋に14:00頃到着したころから雨が、本降りになりだした.キナバル山の頂上から始めちょろちょろの川だったのが、みるみる川の流れが、滝のようになりしまいにほ、300m以上もある大きな滝になったのである・他のメンバーは、この激しい雨の中どうしたのであろう.約1時間から2時間遅れで、ようやく山小屋に着いたのである.みんな、頭から足の先までずぶ濡れで、震えながら小屋に飛び込んできたのである.この山小屋は、なんとパネル式の電気唆房器が各部屋に備え付けてあり、共同の温水シャワーまで備わっていた。部屋は2段ベッドが2個あり、定員以上は宿泊出来ないことになっている.

だから一日に登る人数が自動的に制限されてくる・せいぜい一日に80人程度しか登ることが出来ないのである.日本の夏山に比べたら雲混の差である.日本の山もこの様になれば最高なんだけれど、現実は不可能だろう。夕食もマレーシア料理のフルコースである.窓の外を見ると、スコールの後の、赤く染まった雲海の向うにしずむ夕日を見ながらたべる食事は最高であった.我々の部屋は、私、溝上、吉野兄為の4名で、明日2:30起床、3:00出発の予定だったので、早目に寝ることにした.しかし、寝て間もなく突然、急に、すごい地響きが発生した.今の地響きは何だろうかと起きてみると、それは、吉野兄のイビキであった.私も、出張して、いろんな人のイビキを聞いた事があるが、こんな凄いイビキは、初めてである.連続的でなく急に来たかと思うと、止まり、今にも死にそうな音を出すのである。

30分ぐらい辛抱していたが、堪忍袋の緒が切れ、とうとう瀧上君と私とで、枕と毛布を持ってロビーヘと避難した。そこで、朝まで辛抱したが、さすが熱帯といえ3300m以上の高地、寒くて余り寝る事ができなかった.青野弟も、兄のイビキで寝る事が出来なかったらしく目が真っ赤であった.窓の外を見ると、大きな三ケ月が出ていてその回りに、無数の星が出ていた.ふもとに目を移すと、PHQ、コタキナバルの街の明かりが見えるではないか.3日前に登ったツアーの連中は、雨が激しくて登山出来なかったが、我々は天が味方したみたいである.ラバン・ラタ・レストハウス(3352m)のすぐ上のグンティグ・ラガダンのすぐ上から、ハシゴの連続で、ヘッドランプで足もとを照らしながら慎重に登る.







約1:30ぐらいでサヤッ・サヤッ3804mの小屋で休む.これから上は、岩盤上の道で、木一つ生えていない溶岩の道で太いロープがピークまで続いているのである.右上方を見るとドンキーズ・イヤーズ(4054m)が見え、さらに右奥の岩の塊は、トウンク・アブドゥル・ラーマン峰(3948m)の鋭い岩峰を見る事が出来感激した。 6:00頃までにローズ・ピーク(4101m)に登らなくては、ご来光を見る事が出来ないので、パーティを2つに分けて登ることにする.私は先頭グループで登りはじめるが、だんだんパーティが、ばらばらになり私一人になってしまった。 さすが4000m峰だ、最後の1ピッチは、思ったよりきつく心臓が破裂しそうだった。

 ローズピークに6:00到着.私が−番と思っていたが、ユノスと宮宗氏が、パーティを分ける前に私より先に登った様だ.6:10頃ようやく太陽が顔をだし、念願の頂上から日の出を見る事ができた.ピークに鉄の箱が置いてあって、登頂した人が記帳出来るノートがおいてあった.私は自分の名刺を置いてきた.ピークからは、南シナ海、コタキナバルの町並、サンダカン方面まで見る事ができ、おまけに逆さキナバル山まで見る事ができた。
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