北鎌尾根

北 鎌 尾 根 山 行 記 録

2000年7月19日〜23日

7/19 (水)夜、ハイエースで、谷口君が、自宅まで迎えに来てくれた。そして川瀬さん宅経由で、これから中房温泉の登山口まで送ってもらうことにする。

自分が、運転しないことは、これ程楽なことはない。夜の中央高速を快調に進み、豊科ICで降り、国道148号線に沿って、穂高温泉郷を抜け、本格的な山道を突き進んで、中房温泉へと行った。

7/20 (木)
3:00頃到着。中房温泉の駐車場はタクシー専用で、一般の車は、そこより数百メータ下った所に駐車場があり、そこに車を止めて、登山に出かけるみたいである。7〜80台は、駐車出来る広さである。我々は、そこで5時まで仮眠して、6時に出発する事にする。しかし、おちおち寝ることが出来ず、5時前ぐらいからタクシーが頻繁に入り込んできて、うるさくて寝ていることが出来ず、そうそうに朝食のラーメンとバナナを食べて、定刻 6:00に出発することにする。


やはり、連休のせいか、北アルプス一番のコースか、学生たちが、夏休みに入ったせいか、なにせ人が多いのにはびっくりした。約数百人は居ると思われる。登山口の手前に、ログハウス風の立派なトイレがあってみんな列をなして、順番を待っているのである。私も、朝食のラーメンを食べて間がなかったので便意をもよおしたのであるが、この列を見たとたん、便意を強制的に、腸の奥に押しやって、登ることにした。

各自、思い思いの装備を肩に背負って、いざ燕岳に向けて出発である。人のお尻を見ながら登るのは、いつ以来だろうか、、、でも、最初は長い列を作っていても、だんだんと時間が経つに従い、それぞれのチームのペースが乱れてきて、徐々に、我々は、先頭の方になり、本来の静かな山登りになりつつあった。

しかし、みんな休憩するところは一緒で、そのポイントに来れば、相変わらず人の多さに驚く。第一ベンチ、第二ベンチ、第三ベンチと過ぎ、富士見ベンチを過ぎた辺りから、傾斜がだんだんと緩くなり始めた。この頃から、稜線がそろそろ見え始めてきた。その先少しガンバッタ先に合戦小屋があった。そこに、噂に聞いていたスイカが、1/8で700円で売られていて、ほとんどの登山客が、さきを争うように買い求めていた。我々もその一員になり、冷えたスイカにがぶりついていた。ほんと、今まで食べたスイカの中で、ここのスイカが一番美味しく感じた。


ここでしばらく休んで行きたい気持ちであるが、まだ燕山荘まで一時間以上あり、のんびりしているわけにはいかない。合戦小屋から上は、主稜線が見渡すことが出来、大天井岳を始め、槍ケ岳の尖った剣まではっきりと見ることが出来、すばらしい、登山日和であった。燕岳を始め、燕山荘も、手に取るように、間近に迫ってきて、小屋の右方に、ヨセミテのエルキャピタンみたいな、岩壁を目にすることが出来た。高さはさほど無いが、なかなかかっこいい岩である。


登山道の両脇に、高山植物が、コバイケソウ、イワカガミ、ミヤマキンバイ、などなどの花が、今が盛りみたいに咲き誇っていた。燕山荘はもうそこまで迫ってきていた。
燕山荘に、10:00前に、着いたので、燕岳まで往復する事にした。頂上までの高低差は、約60m程度で花崗岩の岩の間をぬっていくような、得意な山容で、なかなかこの様な、珍しい山は少ない。


頂上からの、展望がこれまたすばらしく、槍、穂高岳をはじめ黒部五郎岳、鷲羽岳、剣、立山の雪を戴いた、雄姿を、ただじっと眺めていた。昔、二十歳の頃、単独で槍ヶ岳の天井沢を詰めていって、最後、間の沢を詰めて殺生ヒュッテの上部に出たことを思い起こす。今ここから見て、よくあの沢を大きなキスリングを背負って登って行ったと感心した。


燕山荘に戻って来たが、まだ時間的に早いので、ここで少し仮眠する事にする。ちょうど、その頃からガスが発生し始め、今まで見えていた槍ヶ岳方面も、雲の中に隠れてしまった。道のそばで寝ていたので、人の通る気配が多く、この人たちがみんな、今夜の宿である。大天井ヒュッテに泊まることになると思うと、布団一枚に、三人は、覚悟しなければならない。

12:00に燕山荘を出て、花崗岩の砂地の稜線を行く。稜線の左右に、今までこんなに多くの駒草の群落を見たのは初めてであった。八ケ岳、白馬岳など行くと、駒草を見ることが出来るが、こんなに多く、それも今が満開の、一番すばらしい時期にぶち当たるとは、幸運であった。


そして、しばらくは起伏の少ない風化花崗岩の、気持ちのいい稜線を行く。途中大きな花崗岩の間をぬっていく所があり、ここが蛙岩と言われる所で、写真を撮るにはなかなか良いところである。その先しばらく下った所に、鎖が付けてある、切り通し岩があり、かの有名な小林喜作のレリーフが岩にはめ込まれていた。

ここから岩場の登りになり、ガラガラした岩の上を踏み越え大天井岳を巻いて行く、途中いかにも、我々でも登れそうな良い岩壁の所で、一本立てて、その岩壁をしばらく見いった。そこを過ぎると、鞍部に、大天井ヒュッテの屋根が見えてきた。

小屋にて、受付を済まし、12号という部屋を割り振られて入る事にしたが、もう先客がいて横になっていた。この部屋は、明日、北鎌尾根に行く連中ばかりで、我々入れて6人部屋で、11号の部屋も6人部屋であり合計 12名である。他の連中は、通称表銀座と言われる、燕から槍ヶ岳の主稜線の登山客ばかりであった。

部屋の連中の話を聞いていると、昔の話で、谷川岳、一の倉岳なんとかルートを登ったとか、日本山岳会のなんとかさんの話とか、ずいぶん我々とは、次元の違う話で盛り上がっていたので、会話に入っていけなかった。


7/21(金)3:00起床4:00出発する。今日は、天気が良さそうで、半月の月と都会では見られない星を見ることが出来た。ヘッドランプを付け、貧乏沢の分岐に向かった。しばらく行くと、女性を含む4人パーティを追い抜く、15分程度で、しっかりとした看板と、岩に赤いペンキの印が有る分岐点に到着した。ここで休んでいると、先ほど追い抜いたパーティも北鎌尾根を行くらしく、貧乏沢に入っていった。


道は、以外とハッキリしているが、ハイ松の枝を掴みつつ、岩のごろごろした急坂を転げるように下っていった。すぐ先ほど追い抜かれたパーティをまた追い抜いて下っていった。しばらく行くと、右手の方に本当の貧乏沢が現れてきて、岩がごろごろした下方に雪渓も出現してきた。雪渓の所に来ると他のメンバーも、アイゼンを付け始めたので、我々も付ける。私のアイゼンはワンタッチなので簡単に装着出来たが、川瀬さんのアイゼンは、紐なのでじゃかん時間がかかった。また、外すときも同様で、ワンタッチ方式の便利さを肌で感じた。

また、ザックに収容するのも、私のザックにアイゼン用ポケットがあり、たいへん便利であった。
大きな雪渓箇所が、二カ所あり、アイゼン装着が苦にならないので、すぐ装着したが、川瀬さんは、付けずに雪渓の縁を下っていたが、私は、アイゼンを付けているので雪渓の真ん中をなんなく下っていった。いったん雪渓が終わり又、小さな雪渓が現れてきたので、その雪渓の先端に乗ったとたん、そのブロックが崩れ、30〜40cm落ちた。この時期の雪渓の先端は気をつけなければいけないと思った。


そこを過ぎると、沢に入り込んだり、巻き道の樹林帯に入り込んだりしながら、約800m急激に下っていった。約二時間程度で、天井沢に下ることが出来、明るい広い河原に出て、15分程度上流に向かって登って行くと、右手にケルンが積まれてあり、棒の先に赤布が縛り付けてあった。天気の悪い日など、良く見ていないと見落としそうである。北鎌沢の登り口にて、朝食のラーメンを、食べていると、いままで抜かしたパーテイが、どんどん追い抜いていった。その中で女性1人で北鎌に来ているのには驚いた。

食事も済まし、これから本格的な登りの始まりである。稜線には、水がないので3Lの水を持っていくことにする。北鎌沢は、はじめ、ごろごろとした大きな石ばかりで、15分程度で二股に着く。本流は左俣で水量が多く、右俣は、それに比べると、極端に貧弱な水量であった。雪の状況を見て、左俣を行こうと計画していたが、右俣の方が無難なので、右俣に行くことにする。これからが本格的な沢登りで、荷が重いと大変である。

すぐ息が上がってしまって、又天気も良いので暑くてかなわなかった。以外と早い時点で、稜線を確認することが出来たがしかし、思ったほど易しくはなく、だんだんと上に行くほど傾斜もきつくなり、雪渓も出現仕始め、アイスバイルでカッティングしつつ登っていった。上部の嫌らしい草付きをトラバースしてようやく、北鎌のコルに到着した。テントが一張り張れる程度の所で、そこに、噂に聞いていた、アタックザックと、赤と白の変形したヘルメットが置かれてあった。なにか、気持ち悪い感じであった。しかし、これから長い稜線の岩登りに備えて、小屋の弁当をその側で、ヘルメットを見ながら食べた。

ここでようやく、行程の半分である。すぐ急なハイマツ帯の痩せ尾根で、木の根っこを掴みつつ登っていった。ピークを2個越すと、天狗の腰掛け(2700m)と言うところに出た。そこから見る独標は、威圧感が有り、あの岩峰を越して行かなくては、槍ヶ岳に行けないかと思うと、身の引き締まる思いがする。北鎌尾根は、ここから本格的な、荒々しい岩稜の始まりである。


あまりにも、天気が良いので、汗がしたたり落ち、又アップ、ダウンが続き、どうもペースが上がらない。川瀬さんに、アイゼンとアイスバイルを持ってもらって、少しは楽になった。アップダウンの激しい、岩稜を行くと、ようやく独標のコルに出た。先に二パーティ(4人)千丈沢の方に回り込んでトラバースしていた。様子をうかがっていると、斜面が崩れていて、危険そうで慎重にトラバースしていた。実際我々も後を追って行ってみたがそれ程危険な個所でもなかったので安心した。

基本的に千丈沢の方に巻き道が付いているが、まだ時期が早いためか、道が荒れていた。これがお盆過ぎに入山していればもっと、道が踏まれて明瞭になっていて安心して登ることが出来たかもしれない。独標の正面壁は、ここまで来るまで体力を相当使い果たしているので登る気にはならない。岩稜地帯を回り込みながら登っていくと、独標の先のピークに出た。先に行った2パーティに追いついた。ヘルメットのかぶっていないパーティは、昨日天井沢にテントを張って、今日下から登って来たという。オレンジ色のヘルメットを被ったパーティは、我々と一緒みたいである。

彼らが行った後、しばらくしてから、途中追い抜いた女性の混じったパーティが登ってきた。良く見ると相当年輩の女性でガイド登山であった。その女性は、ほとんど空身に近かったが、このコースを選ぶと言うことは、相当山をやっていないと参加しないと思う。しかし、その女性、相当へばっているみたいで、ヘリコプターを呼んでくれとガイドに言っていた。

独標から北鎌平まで休憩無しで2:30もあり、身を引き締めて出発する事にする。一応、登りの岩稜は終わりであるが、基本的に又アップダウンの激しい岩稜登りである。だいぶん時間が経過してきて、ガスが発生してきて今までの暑さは、何処かへ行ってしまい、顔に気持ちいい風が当たる、しかし、しんどさは変わりなかった。基本的に我々の採った、巻き道は千丈沢に回り込んで行ったが、岩に慣れていない人は、大変苦労しそうである。

途中、いったん千丈沢側に、急な岩場を、下ろうとしたとき、川瀬さんは、いったん下って右のルートを登り返そうとしたが、私は、左の急激に落ち込んだガリー状の岩場を、偵察に行きそこを下った。それが正解だった。その先のコルに、2 パーティが、苦労しながら、登攀していた。3級ぐらいの岩壁だったので、安全を喫して、ザイルを出す事にする。ザックからハーネスを出すとき、ハーケン6枚と、カラビナを、10m程度下の雪渓に落としてしまった。ヌンチャクはなんとか回収出来たが、ハーケン6枚と、カラビナは、寄付することにした。

川瀬さんのザックを軽くして、トップで行ってもらう。途中ハーケンが打ってあり、ここはザイル使用の所だと納得する。後続のガイド組は、我々の下ったルートを採らず、稜線越しに登り、その頭から直に懸垂下降で、下ろうとしていた。30m以上はあると思うが、あまり懸垂下降が慣れていなく、おっかなびっくり下っていた。石も派手にばんばん落としながら、、、、。


雲行きが少し怪しくなってきたので、先を急ぐことにする。基本的には千丈沢を巻くかたちでの岩稜のぼりであった。トラバース気味の鞍部に出たとき、先行のパーティが、稜線の手前でルートを見失ったのか、動きが、止まってしまった。結局左の岩稜つたいに、登っていった。我々はその動きをフルーツゼリーを食べながら見守っていた。先行パーティがいるとこんなにも楽出来るとは思っても見なかった。しかし、ガイド組は、その稜線を登ってこなくて、巻き道を通って、我々と時間的に変わりがなかった。そうこうしている内に、やっと北鎌平に到着した。(本当はもっと上であった。)広く、花崗岩の砂地で、テントが何張りも張れそうな場所であった。

天気も回復し、西鎌尾根を始め、赤岳、硫黄岳のゴツゴツした岩肌を間近に見ることが出来た。あと1時間で槍ヶ岳の頂上に立てると思うと、力がみなぎってきた。と言っても、急峻な岩場が連続して続き、少しがんばると息が上がる始末である。大きな岩の上を越していき、最後のチムニーを登ったと思ったら、本当のチムニーが現れてきた。途中何本かハーケンが打ってあり、スリングがぶら下がっていたが、それを使わず、右の岩のホールドを探したのであるが、岩が不安定だったが、掴むところが無く、それを掴んで登った。程度としては、4級ぐらいと思う。巻き道も左側にあり、

そこを過ぎるとすぐ、槍ヶ岳の祠の脇に這い上がる事が出来た。

頂上には、小屋で夕食を済まして夕日を見に来た、中高年登山者でいっぱいであった。人それぞれ登山のコースは違えども、感激は、皆共通する物があると思う。日本海に沈む夕日を見ながら、今日縦走してきた北鎌尾根の稜線をしみじみと見ながら、その雄姿を写真に収めた。もう慌てることはない、槍ケ岳山荘のビールを飲むだけである。

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