曽我梅林(小田原)
2008年02月23日(土)晴れ

保土ヶ谷駅8:16〜8:28戸塚駅8:33〜9:06国府津駅9:09〜9:15下曽我駅
下曽我駅13:26〜13:31国府津駅13:33〜14:15保土ヶ谷駅


天気予報だと、天気が良く今日は春一番が吹く予報なので、梅の開花も満開だろうと思い、関東で一番の曽我梅林と里山コースを歩きに行く。

東海道線の15両編成の熱海行きに乗り、国府津駅に下りると、御殿場線の2両編成の開閉手動式の電車が、待っていた。車内は、曽我梅林に行くハイカーで満員である。電車は、我々が乗り換えると間もなく発車した。

間もなく走ると、厚木小田原道路の高架を潜り、右手方向に、白梅の軍団が見えてきた。下曽我は、一駅でアッと言う間に到着した。殆どの乗客は、ここで下車したので、2編成の車両は、ガラガラ状態になった。下曽我駅は、JR東海なのでスイカが使えない。我々も、他の客も殆どが、東京方面からの客で、JR東日本のスイカなので使えなく、精算所で、現金精算と、スイカ不使用の証明書をもらう。

小さい駅で、こんなに大勢押し寄せて来たので、駅員も大慌てである。漸く外に出て見ると,中高年のボランテイアガイドが、旗を持って下車してくる人を待っていた。何人か集まると、ボランテイアガイドは、旗を振り上げつつ、自慢げに先頭たって案内して行った。妻が駅前のこざっぱりしたトイレに行っている間、駅前の案内板で、これから行くコースを見ていると、ボランテイアガイドが近づいてきて、これから、どのコースに行くのですかと尋ねてきた。

いろいろなコースが有るらしく、丘陵コース8km、里山コース6kmなど、、、。トイレの前に集まり、人数が揃うと出発します。貴方もいかがですかと誘われるが、、、ゾロゾロ歩くのは、いまいち苦手ので断わるが、ガイドが持っている、ピンク色のコース案内書だけ欲しかったのでいただきませんかと言うと、ボランテイアガイドに参加した人のみ渡しているとのこと、、、、残念無念。

とりあえず、簡易案内書があるので、それを頼りに、ガイド団体の後を一定距離をおいてついて行く。その内すぐ、我々が追い越してしまう。後ろから来た、二人組の老夫婦に、ピンク色の案内書を貰いそれを頼りに行く。我々の前に、何組ものボランテイアガイドがいて、説明を聞きつつ行くので遅く、すぐに我々は追い越す。

仲河原梅林は、御殿場線のすぐ側にあり、ここから、矢倉岳越しに、薄っすらと冨士山が見える。まだ、時間が早い為か売店も開店準備だんかいである。ベンチで2両編成の御殿場線を見送っていると、ほのかに梅の香りが漂ってくる。県道72号線を渡り瑞雲寺(1492年建立、足柄平野唯一の私学自修学校の跡地)に向かう。入口のしだれ梅が満開だとさぞ見事である。

歩くコースは、皆一緒で、早いか遅いかの違いで、、、宗我神社、法輪時、曽我氏館跡、城前寺、二宮尊徳遺髪塚、満江御前の墓を経て県道72号線を再び渡り、別所梅林に向かうと、今まで静かな山里梅林が一変して、車と、人人の波で景色が激変した。うめの里食堂も人で一杯。屋台の出店も大繁盛である。梅林でゴザを敷いて皆お弁当を食べている。我々も、空いた所を探して、保土ヶ谷駅で買ってきた、シュウマイ弁当と、鯛めし弁当を広げる。ゴザは、会場入り口で50円で貸し出していた。

現地の食堂を利用するより、お弁当を用意するのが正解である。現地即売会のみかんはお買い得で、、20個100円は安い。又、レモン、キュウイも非常に安い。午後の13時頃から、急に暖かい春一番の風が吹き出し、砂煙で目を開けている事が出来なく、早々に下曽我駅に戻る。
駅のホームには、溢れんばかりの人人で一杯である。これ以上入り込むと危険である。

心配に反して、4両編成の電車が来たので全員車内に収容出来て、国府津駅までお客を運ぶ事が出来た。しかし、東海道線は、強風のため、国府津〜二宮間が徐行運転のため、大分送れが出ているみたいである。、、家に着くころには、風は北風に変わり又冬に戻った。

「参考」曽我兄弟の仇討ち

鎌倉幕府成立の翌1193年(建久4年)5月28日。鎌倉に幕府を構えた源頼朝は、東国武士の力を京都の公家たちに認めさせるために富士の裾野で大軍事演習を行う。世に言われた将軍の大巻狩り。それは将軍頼朝が武家政権を発展させていこうと実力を天下に示す機会となるはずだった、大巻狩りで起きた事件。こと1176年に起きた。同族間の領土争いで、工藤祐経(くどうすけつね)が家来に河津祐泰(かわずすけやす)を弓で討つ。

河津祐泰の遺児である、曽我十郎祐成(じゅうろうすけなり)と曽我五郎時致(ごろうときむね)の兄弟が母の反対を押し切り、17年のときを経て、仇である工藤祐経を富士の裾野での大巻狩りで追いつめる!曾我兄弟の仇討ち〜親子愛、兄弟愛〜「曾我(そが)兄弟の仇討ち」は「赤穂浪士の討ち入り」と「伊賀越えの仇討ち」に並ぶ日本三大仇討ちの1つとして今もなお伝えられています。

また、歌舞伎の世界では「曽我物」として江戸時代からジャンルとして確立されています。なぜ曾我兄弟の物語がここまで愛されると言えば、いつの時代にも通じる親を思う気持ち、兄弟で力を合わせる、目的を達成する強い気持ち、こういった精神を伝えてくれるからでしょう。








































瑞雲寺











レモン畑











曽我五郎時致の足跡と言われている。














宗我神社
















法輪寺










曽我氏館跡












城前寺











二宮尊徳遺髪塚











満江御前の墓
(曽我兄弟の母)





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