桜 島 の 大 正 大 噴 火 !!


今も活発な桜島南岳
 大正3年(1914年),いまだおとそ気分さめやらぬ正月12日の午前10時5分。

突如!!
桜島南岳が轟然として噴火を始め,1時間もしないうちに鹿児島市内に降灰が始まった。
 噴火は連続して起こり,次第に熾烈になり,11時半頃には岩石が噴出し始め, 昼過ぎには桜島全島が黒煙,白煙に包まれた。

さらに夕方6時半頃には,上下動の激しい地震が発生,鹿児島市内では家屋や石塀が倒壊した。
火影が拡大し,夜になって爆発音はさらに熾烈になってきた。
人々は混乱し,逃げ惑い「その状況は筆舌に尽くし能わざる」と記されている。

 だが中には,混乱が収まらぬ中,暖まった海水による天然の露天風呂に入るボッケモンの(肝っ玉の大きい)鹿児島人もいたという。

この爆発は数日続き,2月の中旬頃になってようやく下火になった。
 そして,この噴火で流出した溶岩は,それまで錦江湾に浮かぶ文字通り島だった桜島と大隅半島の間の 幅400m,深さ72mの海峡を埋め尽くし,桜島は陸続きとなった。
今も残る黒神地区の埋没した鳥居は,そのすさまじい降灰を端的に物語っている。
この時の噴煙は,上空8,000Kmに達し,遠くカムチャッカ半島にまで灰を降らせたという。
 この時の犠牲者は,死者35人,行方不明23人。

 この大正大噴火に関しては,噴火の状況,被害状況,災害後の復旧,被災後の全国・ 海外からの支援,噴火時に自己の危険を顧みず海上で人命を救助した人, 地震で生き埋めとなった人を助けた師範学校の生徒,噴火後の国内外の地震学者の調査, ……など当時の模様が「桜島大正噴火史(昭和2年3月発行・鹿児島県編集)」に詳細に 記されている。

 この年に生まれた人も既に86歳,当時の模様を目の当たりにした人も少なくなり, この時の恐怖は風化しつつある。鹿児島では毎年この日,桜島を中心に,実際に船舶を使った 大規模な避難訓練が行われる。神戸震災と同じ「これはいつかあったこと/これはいつかあること/ だからよく記憶すること/だから繰り返し記憶すること/このさき/わたしたちが生きのびるために。」 である。

  大正3年噴火で埋没した鳥居
黒神地区の埋没鳥居


★ 鹿児島市の混乱

★ 避難母子の悲劇

★ 近年の爆発とそのときの溶岩の分布

★ 桜島の現在の素顔(フォト)