ザ ビ エ ル 3 度 目 の 来 日

 日本に初めてキリスト教を伝えた,フランシスコ・ザビエル(聖腕)が,450年後の今年10月8日鹿児島に到着,新築なったザビエル教会で大勢の市民の歓迎を受けた。 
 鹿児島市では10月9日から11日の間崇敬の日が設けられ,この後,九州・沖縄・中国の教会を巡回する。
 
ザビエルの聖腕」について,この日配布されたパンフには,次のように記してある。
 
 超常識の現象
 聖人の腐敗しない遺体の話は奇怪なものではなく,しばしば聞かれる。2,3の例を挙げると,最もよく知られているのは,フランスのルルドで聖母マリアの出現に出会った 聖女ベルナデッタ(1879年没)の遺体であろう。アルスの聖なる神父ヴィアンネー(1859年没)の遺体も拝謁出来る。また,東京には,このように噂されている外国人宣教師の墓所がある。
 
 ザビエルの逝去と埋葬 
 日本での2年有余の伝道の後インドのゴアへ帰ったザビエルは,中国伝道を志し,中国の密貿易のサンチャン島に着いて中国渡航の機を窺うが,あらゆる期待を裏切られ,1552年12月3日,悲痛の中で死を迎えた。ザビエルの最期を見とった中国人アントニオ等は,遺体を早く腐敗させて骨を持ち帰るべく,棺に石灰を入れて埋葬した。翌年2月17日立ち寄ったら,ザビエルの遺骸が埋葬の時と全く同じ状態で少しも腐敗していないので,一同驚愕する。冷酷な仕打ちの中で出航したマラッカにザビエルの遺骸は凱旋将軍のように帰還し,マラッカにおけるその後の崇敬はよく知られている。
 
 遺骸崇敬の歴史
 ザビエルの遺体は,マラッカの丘の聖母教会にいったん埋葬されたが,4月には教会の中に保管され,12月にはインドへ運ばれた。
 遺体がインドのゴアに着いたのは,1554年3月14日,マラッカ同様大歓迎を受け,遺体崇敬の場所は,修練院聖堂,聖信学院聖堂と変わったが,1624年以降ボム・ジェズ大聖堂に移されて今日に至っている。 ザビエルはこの間,1619年福者に,1622年聖人の位に上げられた。1614年イエズス会総長の命令により,ザビエルの右腕は切断してローマのジェズ教会に安置された。
 今から50年前の400年祭のときも,2ヶ月半の間,来日し,崇敬される。鹿児島では1949年5月31日,ザビエル教会においてなされた。
 遺体公開は,1782年を第1回目として,最近は1994年第15回目が公開されている。
 今,ゴアへ行ってザビエルの遺体に会うと,背丈の小さいのに驚くだろう。明らかに縮小している。今日では生彩を失っているが,約150年間は奇跡的に新鮮さを保っていたと言われ,徐々に柔軟さを失っていったらしい。
 前回の遺体公開で評論家の立花隆氏が探訪しており,自然的な理解を期待していた彼にショックだったのは,遺体がエアコンも特別な措置も施されていない所に置かれていることだったらしい。遺体をガードしているインド人神父は 「これは奇跡なんだよ。信じないのか」と彼を諭した。
 遺体の現状はミイラ化していると言えようが,自然現象の(人の手による?)ミイラと混同してはなるまい。
 
 正しい理解
 聖人の遺体や遺物に対する崇敬は大事なことだが,信仰生活の本質とは関係がない。
マタイ福音書(25章31ー46節)には,何によって私たちは裁かれるかが明言されているが,それは,ひとえに隣人に愛を実行したか否かに他ならない。本質的でないものを過剰に重視してはならない。 絶対的な愛の掟をないがしろにするようなことが,ゆめあってはならない。
(ザビエル渡来450年祭実行委員会)

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新築されたザビエル教会で公開された「聖腕」 50年ぶり来日の「聖腕」崇敬に集まった人々