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謹賀新年 2012.1.1 ご挨拶、遅れてすみません! 実生活の私は、このお正月は喪中です。でも、Web上のKumiは----魔女の一族はもちろん不死ですから、喪中なんかありませんよ。 |
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魔女は不死だと書きましたけれど、不老不死はともかく、不死だけでは困りますよね。
トシをとることの良さは、働かなくて良くなることだと、なんとなく昔は思っておりました。でも、働けない=遊べない、では困るわけで。
「老後」ってなんだろうなって、この頃思います。生涯現役とか、そんなあつかましいことは思っていません。健康に、事故を起こさずに老いたいなあって思うこのごろです。
というわけで、本年もどうぞよろしくお願いします。
From KUMI 










2011春
地震、津波、原発事故・・・・・・
本当になんと申しあげたらいいのか、わかりません。
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あの世も今頃、ごった返していることでしょうね。 そしてこの世・・・・ 被災された方々、冷酷な寒さのぶり返しの中で不自由な暮らしを送っておられる皆様・・・・・・ あの災害を契機に、防災が進んだ、原子力発電所がなくなった・・・・・ そう犠牲者の皆様に言えるようなそういう日が来ることを! そのためにできることをしたいのです。 合掌 Kumi |
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賀2011 2011.1.1 走ったり休んだりしながら、 うさぎになったりかめになったりしながら、 2011年もやってまいります。 2011年もKumi's Websiteをどうぞよろしく
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| 家の中を片付けようと一念発起した。 きっかけは、やました ひでこさんの「断捨離」、飯田久恵さんの一連の書物、そしてきわめつけが、たまたま読んだ畑中 恵氏の小説だった。 やましたさんは、片づけられない人=ものを「捨てられない人」を3つに分類している。 ✔現実逃避型 ✔過去執着型 ✔未来不安型 である。 私が片づけられなかったのは、出発点は
そこまで気がついたら、止まらなくなった。夜寝ていても、ああ、あれを捨てて、あそこも片づけようと考えている。睡眠時間がどうしても減る。週2回のゴミの日に、10袋近いごみを出し、自分で自分を躁病ではないかと疑ったりもした。 やましたさんの本への批判もネット上で見た。片づけの方法論は飯田久恵さんの本の方がいいというのもよく聞く。 |
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そんな時、ひょんなことで畑中 恵氏の「つくもがみ貸します」を読んだ。つくも神は、作られて100年を超す名品がなる(名品に憑く?)妖(あやかし)なのだが、そのつくも神たちの会話は、ものに心があるならばさもあらんという思いを私に濃くさせた。
片づけているうちに、包を開けていなかった頂きものが出てきた。幾重もの厳重な包装をとくと、黒い丸盆だった。じっと見入った。
しまっておくのでも、飾るのでもなく、ここに茶卓にのせた茶碗をおいて茶を出したい、そう思わせるお盆だった。私は凍りそうになった。
この丸盆に、心底、申し訳ない。そう思った。
では、どうしたらいいのか。今の私に、この盆を使える日が1年に何日(何年に1日?)あるだろう? それなら、差し上げる人と言ってすぐには思いつけないから、リサイクルショップにでも旅立つのが、この丸盆には幸せなのかも知れない。でもそこで、本当にこの丸盆を愛する人と出会えるのだろうか?
丸盆は箱に戻して、まだそのままにしてある。
とうとうWindows! 2010. 2. 27
気になりながらホームページの変更が稀になっていたのは、実は、多忙とか肩こりがひどいとか、そういう理由だけではない。
私は元来MAC userで、仕事でやむを得ない時しかWindowsを使ってこなかった。HPの作成もアップロードも、すべてMACだった。ところが自宅のインターネット環境でちょっとした問題が生じ、メールが送信できなくなってしまった。
原因はプロバイダと当時使っていたインターネット環境の相性の問題であり、MACが悪いわけではなかったのだが、その解決策がWindowsでみつかり、MACではなかなかみつからなかった。それだけの理由で、私は毎夕Windowsのパソコンを開き、Macは数週間に一回しか開かなくなってしまった。
先日、私のHPを読まれたという方からメールをいただいた。5年前と2年前に私が書いた内容に対してである。自分が配信してきたこと、それを継続する責任というようなことを、ぼんやりと考えた。
そして今日、WinのHP作成ソフトを買った!たぶん新しくページをつくるのは簡単なのだろうと思うが、今までMacのGoLiveでつくってきたものの更新がうまくいくかどうかはわからない。しかし、とにかくやってみようと思う。
では・・・・ 今度はあまりご無沙汰にならないように・・・ 少しがんばります! Kumi
という魔女の絵が気に入って、私の印にしようかと思っている。この絵を使いたくなったわけについては、魔女先生は何歳??をごらんいただきたい。 |
無事2010年を迎えられました幸福を噛みしめて、新年のご挨拶を申し上げます。 え、おおげさですか?でも今の自分があるのは、いろんな幸せな偶然の組み合わせのおかげだと、最近つくづく思います。 皆さま、2009年中はおせわになりました。2010年も、どうかよろしくお願いします。 追伸 今年の年賀状は、もちろん、見目うるわしいトラ・・なんですが・・・ 私は犬も好きですが、猫も大好き。猫はとりわけトラ猫が。(ただし、犬や猫を幸せにする自信がないので長いこと飼っていません。)だから、年賀状ソフトの挿し絵から選んだこのトラも、なんだかトラというよりはトラ猫ですが。 |
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亥年の2007年が終わるにはまだ1月余りある。しかし、あまりにいろいろなことがあったこの半年(=2007年後半)を振り返り、しみじみした思いに浸りたい晩秋ではある。 私は今年の年賀状に書いた。 2007年は、(左図の)イノシシのようにではなくて、(右図のウシのように)ウシ年の自分らしく(?!?)頑張りたいと思っております。 |
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その半年後・・・7月13日に、私は思いもかけず、病気を経験した(随想11)。良性疾患で原因不詳。しかし、ストレスが原因かも知れないし、体力的に無理を重ねていた結果かも知れない。・・・ 私はやはり多かれ少なかれ猪突猛進していたのだろう、だから、ウシにもどろう、と、もう一度決めた。とはいえ、仕事を制限することは不可能に近い。趣味の領域で、例えばこれまで続けていたフランス語の通信講座の受講をやめる、あるいは、BLS、ACLS関係の協力をいっさいやめることなどを決心し、実行した。 ところが、自分の体力の回復を実感できた頃に、身内の病気入院という突発事態が2度まで生じた。私は、仮にウシだとしても「忙しいウシ」でいなければならなかった。 しかし、その事態も、どちらも全快退院というありがたい形で終わった。天に感謝。 |
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さて、来年ネズミ年の年賀状にはなんと書こうか。 2008年は、 走り過ぎて転ばないように(猪と競走したりしないで)、(鼠のように)しっかり嗅いで、現状(例えば自分の年齢?)認識しながら、確実に、しっかりと、歩んでいきたいと思っております。 これではなんだか、今年の「ふりだしにもどる」である。・・・しかも、人生ではスゴロクのように、本当に元にもどるということはありえない、加齢は確実に進んでいるのだから(涙!?)・・・・ でも、まあ、いいではないか。 あいもかわらずの楽天性で、私にはできない永遠の課題・・・ゆとりのある生き方、糸の張り過ぎない生き方を夢見ながら、2007年から2008年へ、小さい鼠が全力で走り続けている・・・それがいちばん私らしい私のような気もする。 |
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2006.12.25
私には兄弟がない。親が老いて行けば、自分の幼い日の思い出の大部分は、私自身の心にしか残らなくなって行く。
そのことに、つい最近気がついた。そこに、例えようのない寂しさを覚えた。
例えば、私の生まれた家はとうの昔に取り壊されている。家族の記憶の中にしか存在しない、と今までは考えていた。しかし、おそらく、母、私と年齢の順に、あの家、あの家での家族の思い出の記憶を失って行くであろう。
そんな当たり前のことに、何をこだわっているのか・・・不思議に思われる方のほうが多いであろう。しかし最近そんなことが寒気のように心を覆っていた。
そんなある晩、空を見上げたら、オリオン座が見えた。
私は小学生の時から近視だったので、星座の観察は昔から苦手だった。プラネタリウム(東京渋谷の五島プラネタリウム)によく行っていたのに、実際の星空では、オリオン座くらいしか見つけられない。
しかし、そのオリオンが、私が子供の頃と同じように、星雲を脚で挟むように立っているのを見つけた夜、急に気持ちが落ちつき始めた。
オリオン座は変わらない。そして、オリオン座を見つめる自分の心も、根底では、あの小学生の日のままではないか。
人は老い、万物は流転する・・・それでも、私の大好きな星は変わらない・・・・星雲に、宇宙の大きさ、自分の小ささを思う私の心も、50年前と変わっていない。
2007.3.7
東京で4時間ほど、時間が余った。めったにないことなのだから、足の向くまま行き先も決めずに・・・と、JRに。出発点は信濃町だったのだが、そこから足が勝手に動いた。代々木で乗り換え、渋谷で降りる。目的地は五島プラネタリウム。・・・・ところが、プラネタリウムどころか、東急文化会館そのものが解体工事中だった。
道玄坂を上がる。・・・覚えのある建物が何もない・・・・仕方がないので渋谷駅にもどろうと思った。その途中、渋谷付近の航空写真を展示している店があった。写真の説明をたどると、「菅刈」という文字。私の出身小学校は菅刈小学校。しかし文字は「公園」と続いた。
そのあと、偶然、「大井町行き」の東急バスが停留所にとまっているのを見つけた。・・・このバスに乗れば行ける。・・・小銭入れを開いてみる。100円玉は十分ある、時間もまだある。
・・・・私は動けなかった。・・・引き返すのは嫌だ、しかし、行って見て失望するのも怖い。・・・バスが出発しそうになった時やっとバスに飛び乗った。100円玉を2つ料金箱に入れて。・・・・このバスは昔は、子供10円、大人15円だった。大橋の次は「東急修学旅行会館前」もっと前の名は「目黒橋」・・・それが今は「菅刈」・・・・バス代は200円。
私が昔住んでいた家の向かいは、西郷山と呼ばれていた。西郷従道(西郷隆盛の弟)の屋敷跡で国鉄の官舎や会議所になっていたが、庭園は荒れるに任されていた。そこが近所のこどもたちの格好の遊び場だった。男の子たちは、洋館(その後明治村に移築された)のあたりでも遊んでいたが、私は庭園跡の枯れ山水とおぼしきところや、その裏の斜面をすべって遊んでいた。
その「西郷山」が今はなんと「菅刈公園」という名の公園になっていた。なんという僥倖だろう、子供の頃毎日見ていた大木(今でもときどき夢に見る)が、昔のまま残っていた。そして、私が大好きだった枯山水の池のあたりは、本当に水をたたえ、鯉が泳いでいた。
私は、多分父にそう教わったのだろう、そこをこれまでずっと枯山水と思っていた。ところが、そこは本当は枯山水ではなく、西郷邸であった頃には水があったのだ、だからそれを復元したのだという。・・・・私は子供の頃、そこで遊んで、そこに(当時は実在はしなかった)水を心で見ていた。・・・それが今、そこが本当に水をたたえた池になっている・・・・・
東京生まれにふるさとなどない、とあきらめていたのに、自分のふるさとが残っていることがわかった、のである。あの大木も、あの庭園跡も。・・・・
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今年も桜が咲いた。 去年、私は桜を魔力を持った花だと書いた。なぜ、私は桜に魔性を感じるのか、なぜほかの花ではないのか。 桜以外に魔性を感じる花があるとしたら、なんだろうか。チューリップも菜の花も、一面に咲いていても、その花が人間を変えてしまう魔力を持っているとは感じない。菊にも感じない。梅や桃も違う。藤も、藤の精=藤娘が舞い出てくるのだから、魔性なのかも知れないが、普通に恐怖を感じさせる花は、やはり桜だけではないかと思う。 なぜなのか・・・まず、「かすみも空も」の立体的な大きさ。その前に人間は自分の小ささを感じる。そして、その美しい巨大なものによって、自分が変えられてしまうのではないかという恐怖を感じる。 そして、夜桜。たった一本でも、夜桜の大木は私に恐怖を感じさせる。夜桜はこの世のものではないのではないか、夜桜の世界である異界に自分が吸い込まれはしないかという恐怖である。 |
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2006.3.10 HPをあまり更新していなくても、季節ごとの壁紙の張り替えは、これはきちんとしているつもりだ。しかしおかしいことに、毎年同じ季節に同じ壁紙という気になれない。 どうしようもなく心が落ち込んだ時には、迷いなく明るい壁紙を使ってきた。しかし、心がそれなりに落ち着いている時は、かえってそういう壁紙に反発してしまう自分がいる。いつもお世話になっている素材提供サイトに行っても、使う気になれるものがみつからない。 今年は桜の壁紙は要らない、そんな気持ちにはなれない・・・そう思う。しかし、実際に桜が咲いたら・・・・あっさりと桜の壁紙にしていたりして。桜は魔力を持った花だから、意外に心変わりして、そうなってしまうかも知れない。 |
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2006.4.15
右上は先週末に携帯のカメラにおさめた今年の桜。デジカメを持ち合わせていなくても、こんな写真がすぐ撮れてしまう。私のデジカメは、古いフィルム用のカメラ("アナログカメラ"というのもおかしな命名だと思うが、かといってなんと呼ぶのがいいのかわからない)と一緒に、最近は引き出しに入ったままになっている。
私の小学校(菅刈小学校という名だった)では、4月には皆で列をつくって近く(目黒川)の桜を見に行った。戦時中切られかけたというこの桜並木が校区内にあることを私は当時とても誇りに思っていたけれど、しかしそれでいて、桜が「きれいだ」と思った記憶がない。木々の緑や青空は大好きだったし、花でもほかの花はきれいだと感嘆する心を十分に持っていたのに。4月の新学期というストレスが、私の花をめでる気持ちを抑制していたのではないだろうかと今にして思う。
私が心から桜を好きになったのは、自分が学校の進級と無縁になり、さらに自分の子供たちも大きくなってからのような気がする。
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このKumi's Websiteに、はじめて来られた方に、ひとことだけ、ごあいさつ。
ホームページを作り始めて4年あまり・・・その間にいつのまにかページがふえて「そんなに読めませんよ」という声も。・・・
では、今日はちょっとだけ見てお帰り下さい。
順番はありませんから、どこからでも、気の向かれたところから。
そして、どうぞまた来て下さいね。
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私のホームページにはカウンターがついていないからアクセス数がわからない・・・某麻酔関連雑誌の中に、S先生がそう書いておられる・・・そんな話を聞いた。・・・S先生とは、これ以上有名な麻酔科医がいるかというような人物のひとりとご理解いただきたい。・・・
カウンターは、私も最初にこのHPの原形を作った時にはつけた。
でも、ばからしくなってはずした。
はじめての読者がこられてもカウンターはひとつ上がるけれど、私自身が確認のためにアクセスしてもひとつあがる。
さらに、実は、カウンターの初期設定は自分で変更できるのである。
ばかげている・・・
一度そう思ったことも事実である。しかしその後頑としてカウンターをつけていないのには、ほかにも理由があるのかも知れない。・・・数字を見るのが怖いのである。
小さくても大きくても、このHPに何人来たかを見るのは怖すぎる・・・小さかったら少し悔しいかも知れないけれど、それより、まさかと思うけれど、もしも思っているより大きかったら、こわくて外を歩けなくなる・・・
このホームページには、別に大勢の人に来てもらう必要はない。
私の書いていることのどこかに共鳴して下さる方が少しだけ来て下さったらいいと私は思っている。
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若い麻酔科医に説教する。「転ぶときもある。それは仕方ない。でも、手ぶらで起きたらだめ。なんか拾って起きなさい」
え? 何を拾うんですか? 「転んだ教訓から、自分が転ばないようになること。もしもめずらしい転び方だったら、その教訓をみんなに語ること。」
どうやって? 「学会報告でしょう? それから論文でしょう?」
こんな説教をして、(私より)若い人たちにさせた学会報告、書かせた論文を数えてみてちょっと驚いた。論文・学会報告のリスト(われわれの世界ではそれを「業績」という)は実は以前HPに載せていたのだが、いつのまにか入り口をつぶしてしまって、リストの更新も忘れていた。
今回1998年以降に限定して更新した。ただし、どこに入り口があるかは・ひ・み・つ・・・・(気になる方があつたら、Dr. Witchのワル知恵あたりをさがすか、このネズミ
にマウスで尋ねてみて下さい。多分、すぐ連れていってくれます。)
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KUDOH写真館 (リンゴジュースはいかが--メル友考--参照)
須郷岬(青森・秋田県境)
鰺ヶ沢湾の夕陽(線路は五能線)