| 作品番号:6 | 1999/7/10登録, 99/7/25, 99/9/5加筆 |
| 村上春樹 |
「螢」 (短編集『螢・納屋を焼く』に収録) |
| 作品情報 | テキスト : 村上春樹『螢・納屋を焼く』、新潮社(1984) |
この作品について
以前に大ヒットした『ノルウェイの森』のプロトタイプとも言える作品であるが、『ノルウェイの森』は読んでも「螢」は読んだことがない人が多いのではなかろうか。新潮文庫から出版されている(現在でも入手可能)ので興味のある方は是非お読みください。
物語は語り手「僕」が14,5年前の出来事を回想する形で展開する。語り手が語るのは過去の出来事だけであり、現在の「僕」へのつながりはない。単行本で40頁程度の短編小説であるが、強く惹きつけられる割には解釈が難解で、ここで紹介する読み解きもかなり不完全なものとなってしまった。この作品は『ノルウェイの森』とセットで語られるべきものであるのかもしれない。
(追記) 99年9月4日に『ノルウェイの森』の作品解釈をupしました(こちらです)。『ノルウェイの森』は「螢」をほぼ完全な形で含んでいますが『ノルウェイの森』の物語の流れの中で解釈をするとここで紹介した解釈とは異なった点が出てきます。これは『ノルウェイの森』の中では「螢」の内容が発展的に扱われているからであると考えています。比較してみると面白いので是非ご覧ください。
作品の構成と特徴
現在の語り手「僕」が14,5年前の、大学生の時の記憶をたどる形で物語が進行する。そして大学生の時の「僕」は高校生の「僕」につながり、「彼女」と「僕の親友」の関係へと展開していく。高校生の時に「僕の親友」が理由不明のまま自殺を遂げ、「僕」と「彼女」が受けた精神的な打撃が明確な形を取らないままジワジワと忍び寄るような形になっている。精神的な打撃の中身は恐らく「死」に対する意識であり、この「死」に対する意識はおそらく現在の「僕」をも捕らえている。「死は生の一部として存在する」という一文がこの作品のプロットを支える構造として機能していると思われる。
この作品の際だった特徴として、出来事の必然性、理由が明確に語られないところがある。「僕の親友」は何故自殺したのか、「彼女」は何故大学を退学して施設へ入ったのか、そしてその理由を「上手く言えない」のは何故なのだろうか。作品中のeventとその理由という明確な筋をこの作品の中に見いだすのは困難であった。わたしの感覚では『ノルウェイの森』を読んでも筋を見いだすことは難しいであろうと思っている。
また、ここで語られている「僕」と「彼女」の関係はいわゆる恋愛関係にあるとは考えられない。作品中には「僕」側の気持ちが冷静に語られているが、相手を想うことの喜び、一緒にいることで生じる生の喜びが2人の関係には欠落していると思われるのである。このような関係を中心に置いて展開される作品世界が描き出しているものは、「親友の死」によりもたらされた計り知れない恐怖、そしてその恐怖により世界の一部が不可逆的に変質してしまった(「彼女」の方は本当に精神に異常を来してしまった)人物についてのプロットである。
作品の解釈
作品構造図を以下に挙げる(Inspiration Ver5.0で作成しました。)
現在の語り手「僕」が大学生の時の出来事を回想する形を取るが、その大学生の時の「僕」は高校生の時の「僕」につながっている構造を取っている。そして作品全体を見渡すと、過去の「僕」の位置づけを3段階で分けることができると考えられる。1)高校生の時の僕 2)僕の親友が自殺したときの僕 3)寮生活を営む18歳の僕 である。そしてその「僕」に対応して「彼女」が存在する(図参照)。「彼女」も基本的には3段階だが、施設への入所という動きがある関係上4段階に分けて考えた。
「僕」と「彼女」の関係は高校生の当時から恋愛と呼べるものではなかった。「僕の親友」が突然自殺することで「僕」と「彼女」に対して「死」というものが急に身近になってくる。それは「死は生の一部として存在する」という一文に集約されている。この言葉が大学生の「僕」に影響を及ぼしていることは明らかで、だから「あらゆることを深刻に考えすぎないようにする」生活態度をモットーとしたのだと思われる。しかしその「僕」にも自分自身が「親友の死」からどのような影響を受けたのかを明確に意識することはできなかった。これは「彼女」とのやりとり、そして「彼女」への手紙の中にも書かれている。一方「彼女」の方でも同様に自分自身がどのような影響を受けたのかはわからなかった。「僕」に宛てた最後の手紙で「その時にはもっといろんなことがきちんと話せるようになっているんじゃないかと思います」の一文、それから誕生日の時に「彼女」のアパートで過ごした時の「彼女」の態度から「僕」よりずっと深刻な影響を受けていたのは確かであるが、その中身については明確に語られない。作品構造図の中で?マークで示しているところがそれである。明確に語られない部分が読者の想像力に任されているのかといえばおそらくそれは違うと思う。この小説は作者が強要する方向性が比較的強く、読者が自らの想像の翼を広げる余地はほとんどないと思われる。それは「彼女」の手紙の中にある、「たとえ何が起こっていたとしても、何が起こっていなかったとしても、結局はこうなったんだという気がします」という一文にも現れており、登場人物にはどうすることもできない別次元の力が強く働いていることを伺わせる。そしておそらく作者もその力を明確な文章の形で提示することができなかったのではなかろうか、と思われるのである。
「彼女」からの手紙を読んだ後、「僕」は同居人から1匹の螢をもらう。「僕」はそれを寮の屋上から外へ放す。螢の淡い光のイメージと「彼女」のイメージが重なり、今後おそらく「彼女」が回復することはないだろうと思われるのである。
今後の解釈について