| 作品番号:12 |
2002/12/30登録 |
| 福永武彦 |
「冥府」 |
| 作品情報 |
テキスト:新潮社『福永武彦全集』第3巻 |
この作品について
「冥府」は夜の三部作のうちで私が一番好きな作品である。死後の街がリアルに描かれていて、自分も死んだらこういうことになるのかなあといった気持ちを持った。「冥府」では人は二つの名前を持つとか、突然裁判が始まるとか、新生するとか、考えようによってはSFチックな作品とも取れる。実際にはあり得ない(もしかしたらあるかもしれないが、我々の住んでいる世界からは検証できない)世界を描いている点で「未来都市」と似ている点があるため、この二作品を比較検討した。なお、本作品解釈は再考して論文化されており、会誌『福永武彦研究』第6号に掲載された。
作品の構成と特徴
気が付くと、主人公「僕」は見知らぬ街にいる。そこでは<暗黒意識>が世界律を決定しており、自らの意志を持ち、希望を持って行動することは許されていない。この作品は主人公「僕」が<暗黒意識>により押しつぶされていく過程を詳細に描いた物語である。自分は、「冥府」の世界律を規定する<暗黒意識>と「未来都市」に登場する<神性放射>の類似点に着目し、両者を比較しながら作品の読み解きを行った。
作品の解釈

図1:「冥府」の作品構造図その1

図2 「冥府」の作品構造図その2
図1では、冥府にいる「僕」が他の人々とどのような関わりを持っているのかを整理した。図の下部には「冥府」世界の住人との関わりが、上部には秩序での僕の様子が描かれている。「僕」はまだ冥府世界では新参者であり、事情がよくわからない。過去の記憶(=秩序での記憶)は全て夢を見る形で思い出され、それは義務となっている。面白いのが、教授夫人の声や苦いコーヒー、蝋燭の炎といったもので秩序にいたころの「僕」が想起されていることである。これはプルースト「失われた時を求めて」のマドレーヌ現象と同一であり、福永がこの手法を取り入れていることが窺える。
図2では、裁判を中心にして「僕」との関係をまとめた。筆者は冥府には明確な<悪意>が存在すると考えており、この<悪意>が作品中にどのように構造化されているのか分析を試みた。<悪意>は人間対人間のやりとりと一個人の内面との二側面から捉えることが必要で、前者は人間同士のコミュニケーションの禁止(孤独化)、後者は絶望感のだめ押しと希望のうち砕きである。
<暗黒意識>の実態は、「冥府」の住人おのおのが持つ「無意識」であり、これがすなわち「無意識の悪夢」ということになる。裁判は常に七人の裁判官により行われ、各人の<暗黒意識>により別個に<新生>か<却下>かの判決が出る。このように考えると、「冥府」の住人一人一人に<無意識の悪夢>が分散するという構図が見えてくる。筆者はこれが裁判という形で世界律を規定していると考えた。
「冥府」と「未来都市」に描かれた幻想世界の比較表を作成しました。こちらをクリック。エクセルファイルをWebページとして保存したもので、2つのタブから成っています。1つは、裁判の一覧表、もうひとつは「未来都市」との比較表です。
<筆者の結論>
- 「未来都市」では神性放射を発見した「哲学者」との対決はそのまま超越存在との対立を意味し、個人のための芸術が勝利を収めている。このような対立は超越存在=神性放射という構図により可能で、超越存在が各人の意識に分散化された世界として描かれた「冥府」は構図が異なる。
- 「冥府」には明らかな<悪意>が感じられる。この<悪意>の実態は永遠に近い時間にわたって未知の可能性を閉塞すること、その間ずっと「秩序」での愚劣な人生を味わわせることである。上記1に示したように、この<悪意>をもたらす超越存在は各人の無意識であるため、そこから逃げることはできない。この点から「冥府」は人間の意思に苦しみを与える世界、すなわち“地獄”であると考えられる。
- 人間が死んだら、何故このような<悪意>に曝されなければならないのか、それについて明確なメッセージを読み取ることはできなかった(今後の検討課題)。

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