作品番号:1 1999/5/11登録, 1999/7/31, 2004/8/19, 2009/8/14加筆
福永武彦

 『草の花』

作品情報 テキスト:福永武彦 『草の花』、新潮文庫(1956)
このページの出典: 福永武彦研究会 第22回月例研究会発表 『草の花』を読む〜<孤独な魂>が消滅するまで、「福永武彦研究」第4号 『草の花』再考〜孤独な魂が消滅するまで

この作品について


作品番号1ということは、私の一番のお気に入りの作品。
「藤木、と僕は心の中で呼び掛けた。藤木、君は僕を愛してくれなかった。そして君の妹は、僕を愛してはくれなかった。僕は一人きりで死ぬだろう・・・」という科白、この科白を読まれて皆様はどのような印象を受けるであろうか。一人の知的な青年が、孤独をあまりにも強く意識しすぎたために愛を成就させることが出来ず、その孤独な魂を自ら消滅させていく物語である。愛と死、それから人間の孤独について深い洞察に満ちており、作品自体は「重い」と言えるが、福永作品の特徴でもある綺麗な文章でとても美しく仕上がっている。割と若い女性に人気のある作品。

主人公こと汐見茂思は旧制高等学校の弓術部(いわゆる弓道部)に属し、この作品にはその合宿の様子が描かれている。福永武彦自身も弓術部にいたとのことで、同じ弓道をたしなむ者として親近感がある。弓道部員の方は読まれると面白いかもしれない。


・作品の構成(以下の4章から構成されている)
1.「冬」
この作品の語り手である「私」と汐見茂思の出会い。サナトリウムの風景の描写。
汐見茂思に対する謎の投げかけ。

汐見が肺摘手術を受けて死に至る過程の描写。汐見が残した二冊のノート。
「あれは自殺ではなかったか」謎の投げかけ。

2.第一の手帳
第一の手帳最初の部分で汐見の意識の説明
高等学校時代。H村での弓術部合宿。藤木忍の描写。
藤木忍の死の場面

3.第二の手帳
藤木千枝子との交流。キリスト教に関するやりとり。
戦争の恐怖。孤独の意識の深化(「英雄の孤独」)

4.春
石井(藤木)千枝子からの手紙。


・作品の解釈(福永武彦研究会 第22回月例研究会発表資料をmodify)
作品解釈のポイント1: 汐見の肺摘手術は自殺行為か?
慢性自殺行為であると考えられる〜自己破壊行動の一種
  → ”私”との対話で、後ろ向き(過去)の発言が目立つ
  → (前のサナトリウムにて)自殺未遂の経験がある
  → 看護婦に対する発言:「あの看護婦たちは生きているんだ」
 汐見の現在の生き様は、”死”と対局しているという捉え方は正しいか?
 生きる力が抑えられたときにそれは死の力となる(絶対値は変化なし)

決して日常かけ離れた事象が彼を慢性自殺へと追いやったのではない
 → 汐見がもともと有していた内在的なクライシスを刺激しただけ。
 → 自己完結した一生:”孤独な魂”が消滅するまで
 → 2度のクライシスにより、内在した孤独が汐見を危険な自己閉鎖世界へ導く
外部(友人等)との接触頻度低下、自己内部孤独意識の顕著化

作品解釈のポイント2: 汐見の自己破壊行動はどのような過程を経て形成され、自殺に至ったか?
『草の花』の特徴:汐見の自己破壊行動が形成されていく全過程をこの小説の中に読みとることができる
藤木との交流:親しかった時には汐見に自己破壊行動は見られなかった
 → 具体的には汐見が藤木の自宅に遊びに行くようになってしばらくの期間(<1年)
達磨越えの計画が中止になったあたりから汐見と藤木の間がおかしくなりはじめた

藤木との感情交流成立しなかったこと(ただし自己破壊行動は見られず、無念の思い強い)
 → 藤木は汐見に対して愛を返すことができない、と訴える
   → あまりにも汐見からの働きかけが強いことによる(生理的な?)とまどい
   → 自分が違うものに見られているのではないかという恐れ(千枝子と共通)
藤木との間には交渉がなくなり、藤木は逝ってしまう
 → 汐見の心には不完全な、やりきれない思いが残ったに違いない
  → ここの時点で自己破壊行動がスタートしたと認識(1度目のクライシス到来)

千枝子との感情交流が成立しなかったこと(内面の孤独が強調/自己破壊行動が動きだす)
 → ”孤独”という単語が頻出していることに注目
 → 千枝子の肖像が鮮明に描けない
  → 孤独が不健全な形で表出してきたと考えられる

孤独を感じれば感じるほど千枝子を愛している→自己破壊が強まるという悪循環
愛のきわまりとしての幸福感ではなく、一種の精神的な死の観念
 → このようなものを千枝子が理解できるはずはない

汐見は千枝子に愛されていなかったと思っていた。自己破壊傾向のfix
 → 「別れた方がいいと思う」という千枝子からの手紙
 → 千枝子の婚約(汐見に2度目の精神クライシス到来)
  → しかし周りから見て千枝子と汐見がお似合いの二人だと思われていたことは確実
   → 汐見側には愛がなかったとは思えない→孤独との葛藤
   → 千枝子の「私、ついていけない」という叫び
    → 汐見が孤独を旗印にして現実から逃げている側面(脆弱な精神)

作品解釈のポイント3:藤木忍/藤木千枝子は汐見を理解できていなかったか?
藤木忍は汐見が”孤独”を重ね合わせようとしていたと解釈
藤木千枝子は汐見が自分を通して”美しいもの”を見ていた(見ようとしていた)と解釈
 → どちらも汐見との本格的な付き合いが始まる前に判断されて拒絶されていることに注目
 → この、誤解されたという気持ちが心の奥深く傷になって残る。
   汐見の内面的な性格とシンクロナイズしてますます孤独の井戸に落ち込む

(まとめ)
この作品に描かれている汐見茂思の術中死は、彼の自殺行為であり、慢性自殺と呼ばれる類のものであると思われる。その原因として汐見の中に内在していた要素が2つのクライシス(藤木忍の死、藤木千枝子との別れ)により刺激されたからだと考える。ここで筆者が重視した方向性は慢性自殺、魂の死、感情的な交流の失敗などであった。キリスト教および戦争の影響に関しては、筆者の捉え方からは大きな影響は及ぼしていないと思われたので大きく取り上げることはしなかった。


・今後の作品の解釈について
本作品は福永武彦の作品の中でもっとも読まれているものの一つであり、今までにもたくさんのコメントやご意見をいただいた。以下にまとめた表を挙げるが、今後はこれらのコメントも加味してさらに福永作品全体の中での位置づけを考えていかなければならないと考えている。特に汐見の術中死については多くのコメントをいただき、これを自殺と解釈できないという意見を複数いただいた。作品をもう一度読み直してみると確かに自殺ではなくて生死の「賭け」をやったとする読みも成立しそうだが、作品全体から受ける印象から私はやはり自殺だと考えている。この問題については今後引き続き議論を行いたい。

このページを作成してから更に複数の方からコメントやご意見をいただいた。コメントをくださった方に深謝いたしますm(__)m
以下にその内容を紹介させていただき、私自身の解釈についても触れたいと思う。
なお、いただいたコメントのうち特に重要だと思われたもの2つについては表中に注記して表下部に考察を挙げた。いずれも蒼霖の柳さんからいただいたコメントである。

『草の花』の読み解きに寄せられたコメント、ご意見(990731 revised)
アプローチ コメントまたはご意見 解説(青字は高野のコメント)
汐見の術中死
人物像
心的要素考察
・汐見の死は自殺と解釈して良いか
・命を閉ざすのではなくて、積極的な生への充電状態と 解釈できないか
・特に第一の手帳冒頭に書かれている、生への不満 状態ということをどう考えるか
・自殺か否かは解釈上あまり重要ではないと思われる。なぜそういう行為に至ったかを考えることが重要で、この物語の言わんとしていることは何かを捉えるのが最終目標
・心理学の立場から、慢性自殺と合致する(概念再調査の必要あり)
・作品全体から受ける印象から自殺と読みとる のが妥当と考える。
汐見の死が自殺か否かについては『草の花』解釈においてFAQらしいが、それが作品の解釈に重要か否かについては各個人によると思われる。
・自分の読みでは「魂の消滅」を主題としたので、葛藤の末に汐見が選んだ行動について詳細を把握するのは読みとして重要である。
・「生きる」という言葉の解釈をめぐって(重要1) 1.生命が維持されている状態(肉体の生)
2.「燃焼する」という積極的な要素を持つ生
→2は空しく過ぎる人生はどうすれば真に自覚してひきとめられるだろうか」という部分の解釈として己に対する不満状態、そしてそれを解消しようとする生のあり方の模索の提示されていると読める。
→生命維持に関して汐見は無関心(検査で悪い値が出ようとも「そうかい」で済ます)。だから汐見は過去へ目を向けた。
汐見の心的要素の考察(重要2)
汐見の心的要素を3つに分けて考察
1.Physical(情動行動を引き起こす生)
  第一/第二の手帳に表出
2.Ideal(芸術家としての汐見の理想/普遍的なもの)
  第一/第二の手帳に表出
  バックグラウンドとして「冬」にも存在
3.Logical(意志的で自分を突き詰める生)
  忍の死から術中死の間に表出
・千枝子に対しては3つの感情を行き来するが、physicalとidealをしばしば混同していて、physicalな想いに対する後ろめたさに苛まれてidealな要素まで切ろうとする。そしてひたすらlogicalに自分自身の孤独を深めていく。
・「冬」では汐見の中に自覚的に残っていたのはlogical素のみ。後は「殺してしまった」。logicalな心の働きとして「生も死も自らの理性的な意志で選び取っていく」姿勢につながる。
病気で毎日の不安に怯えるのは汐見が心底嫌った「周囲に翻弄される生き方」。汐見は死ぬにしても死なないにしても自分でそれを選び取りたかった。
→「冬」の行為をlogicalであると考えるのならば、ここで肺摘手術を選択するのが果たしてlogicalであると言えるのか?
「過去に生きる」汐見の姿勢(第一の手帳の冒頭部分)から考察すると積極的に魂を燃焼させるという捉え方には疑問が残る。
・「肉体」と「精神」を分けて考えている点に着目する必要があるのではないか。自己破壊的な人間像は出てこないのではないか 汐見にとって「生きる」というのがどういうことであったのか、またどうすることが「生きる」ことであったのかについて再考する必要があるのでは、というコメント。
→自己破壊は絶望によって魂を消滅させる働きで、いわば一種の心の状態のことである。「自己破壊的な人間像」という像が存在するわけではない。
慢性自殺・自己破壊行動について ・「慢性自殺」の定義は?(心理学の世界で確立された概念か?)
・「自己破壊」および「死」の本能」という言葉の使用についての配慮が不足している
心理学の用語についての検証不十分の可能性あり。この論考を作成したときの参考文献は以下(注1)の本を参考にしているが、それ以上の調査をしていないため用語の使用が不適切である可能性はある(要再調査)
キリスト教および
戦争の問題
時代の特殊性
・キリスト教および戦争の問題の扱いが軽いようだが それだと作品解釈が成立しないのではないか ・あくまで汐見がもともと有していた孤独の意識に焦点を当てて解釈した。この二者の扱いが軽くても読みは成立する。
・戦争およびキリスト教による影響を考慮しなければならない箇所は見いだせなかった(注2)
孤独/精神の性質について 「英雄の孤独」とは何だと考えるか?
自殺することも脆弱な精神ではないか?
「英雄の孤独」=何者にも動じない孤独。しかしこういうものが本当に存在しているかは怪しい。
自殺=自分の魂を殺すことで本能に反する。脆弱とは思えないが、生よりも死の方がましという立場に立つと再考を要する。
汐見の中にある孤独を時間で区切って捉え直す作業は今後必要かもしれない。

(注1)小田晋『魔がさす瞬間』、河出書房新社(1997)、高橋祥友『自殺の心理学』、講談社現代新書(1997)
(注2)戦争は時代背景として非常に重要なイベントであるため、戦争による影響を見いだせないとしてこれを省くことは作品の読みとして正しくないし、キリスト教の問題についての然りであるとの見方の方がむしろ優勢である。が、私にはどうしてもそれを重要な問題として組み入れた読みを作ることはできず、「私にとっての『草の花』」はこのページで紹介しているようになったわけである。

(重要1):「生きる」という言葉の解釈をめぐって
「冬」における汐見は、現在の自分が「死」というものをかなり身近に感じていてそこから対比して「生」というものが強く意識されていると捉えることができる。第一の手帳の冒頭に「僕は現在も未来もない人間で、ただ過去を持っているばかりだ。そんな僕がいったいどうしたならば真に生きることができるだろうか。空しく過ぎる人生はどうすれば真に自覚してひきとめられるだろうか」とあるが、これは己に対する不満状態、そしてそれを解消しようとする生のあり方の模索があると考えられないか(柳さんコメント)。
→これに対して、私は「だから汐見は過去へ目を向けたのだ」と考える。過去を再び生きることに汐見は自分の時間を使ったわけで、私には「積極的な生への燃焼」とは捉えられなかった。ここで言う「積極的」とは未来に向かって開いていることを意味しており、病院での汐見の態度は未来へ向かっては開かれていないように思われるのである。「冬」で語り手「私」の眼が捉えている汐見の像として「運命の門を憤ろしく押したに違いないと思う」、「彼は他人の死という観念に憑かれていた」の2つがあるが、ここから考えると未来に開いた汐見の像は出てこない。ところで過去に目を向けること、過去に生きることは果たして積極的な生を生きることになるのであろうか。これは私たち読者が「生」の側にある人間である場合、感覚的には受け入れがたいように思うが、汐見の場合は過去に生きること=積極的な生が成立していたと考えられる。ただし肺摘手術への執拗な嘆願を含む生への無関心の態度から、その生は閉じたものであり、汐見の客観的な状態は慢性自殺の流れの中で捉えるべきものだと考えている。

(重要2):汐見の心的要素についての考察

蒼霖の柳さんからいただいた汐見の心的要素についての考察。
冬に至る時にはLogicalな心の働きが強くなり、「自らの生死は自らで決める」という思想が強くなっていると考察している。

§大林宣彦監督映画「なごり雪」との関連について考察: こちらをご覧下さい。
2002年に角川大映映画から配給され、現在ではパイオニアからDVDとして発売されている。
パイオニア株式会社、PIBD-7284, 本編111分、大林恭子プロディューサー、第22回藤本賞・特別賞受賞作品

§大津秀一『死ぬときに後悔すること25』、致知出版を読んで
人が死ぬ間際に後悔することを、緩和ケアの医師が1000人あまりの人の死に立ち会って感じたところをまとめたものである。この中に、”自分が生きた証として何を残すか”というテーマがある。汐見茂思が残した2冊のノート、そこに書かれた2つの手記で塩見は自分自身の存在を残し、それを発信したと言える。詳細はこちらをご覧下さい。


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