作品番号:2 1999/5/11登録
福永武彦

 「風花」(短編集『廃市・飛ぶ男』収録)

作品情報 テキスト : 福永武彦 『廃市・飛ぶ男』、新潮文庫(1971)
このページの出典: 福永武彦研究会 第6回月例研究会発表 「風花」論〜過去との対話

この作品について


私が初めて出会った福永武彦の作品で、記念すべき短編。中学校三年生の、会場テストの国語の問題の中にこの「風花」が使用されていた。早速出典を探し、運良く新潮文庫に収録されていた(^-^)。オリジナルを読んで会場テストに使用されていた部分はほんの冒頭だけで、その続きがあるのを知った。この作品を出発としてその後延々20年間にわたり福永作品と付き合うことになった。ちなみにこの時の会場テストの出来はよく、「風花」部分の設問はもちろん全問正解だった(笑)。

この作品から受けた印象は、「描写が美しい」ということであったと思う。まあ、作品自体が現状打破、革新、革命といった積極的思考の類からはもっとも遠い存在ではあるが。。今から考えるとこの作品に惹かれたのは現実と幻想が渾然一体となった世界に魅了されたということ、それから絶望、過去、失意といった自分が今まで否定的な意味でしか捉えたことのなかった世界の中に、健全な世界には存在し得ない魅力を見いだしたのである。

作品の構成と特徴


主人公(名前は明かされていない)が入院している現在の場面と主人公が過去を回想する2つの要素から構成されている。回想部分はさらに複数の要素に分解できて、三年前、四年前、八年前、少年時代と時を遡る。最後に再び療養所の病室の場面に戻り、主人公は回想から醒める。風花により触発された過去への回想がほんのひとときの心の充足感を主人公に与えるという、いわば生の一瞬の断片を福永の人生観により鋭く記述した作品と言えるのではないか。

・作品の解釈(福永武彦研究会 第6回月例研究会発表資料を一部改変)

1.診療所の病室(現在:冬)

現在の彼、病室の風景
たとえ何を考えても無駄であるとしても、考えることの他に彼に何が出来ただろう
彼は声に出してそう呟いた。「ああ風花か」 →回想部分とリンク
 そう呟くと同時に、何かが彼の魂の上を羽ばたいて過ぎた →「何か」とは?
 それでいて彼の心の中で何かが呼びかけ歌いかけているのだ

彼の状況〜妻と子供と父親と →客観的な状況から幸福な状態とは言えない
妻は別れたいと言いだした
 この一度だけの人生をもう一度やり直してみる権利がある
 多くの人はどんなに望んでも、自分の権利を用いられないでいる
 人生が選び取られてしまい、あとはただ自分の蒔いた種子を刈り入れることだけが残っている

彼の想像は過去ばかりへ向かった。現在も過去もない空虚感が彼を襲う
不可解な理由によってこの空虚感が一挙に埋められ、心の中に激しい陶酔のようなものが満ちあふれてくることがあった

2.入院前/北海道の自宅(三年前:四月の初め) → 2-5は回想部分
27歳の彼の描写

3.東京から北海道へ帰省(四年前の終戦の翌年の一月)
職を求めに東京に来ていた(二十六歳)
何の得るところもなく、疎開先に残した妻子の許へ帰っていく

4.若い看護婦との会話(八年前:晩秋)
母親じみた、あるいは姉さんじみた態度を見せ、非番で遊びに来たときには甘えたような少女らしい口を利いた
 しかし彼の心は一種の憐憫と同情に埋められたまま、愛するまでには至らなかった
 この晩秋の午後、病院の屋上で彼の魂の上を何かが羽ばたいて過ぎた →「何か」とは?

白衣の裾をはためかせていた若い看護婦とを見ることが出来た
 そして、無限の可能性を持っていた彼自身の過去をも

5.少年時代・父(小学校五年生:冬)
空は蒼く晴れ、凧の唸る音がひっきりなしに聞こえてきた
 「あら、父ちゃん何か降ってきたよ」
  「雪だよ。これは風花っていうのだ。」 →リンク
   子供の心は晴れ晴れとして豊かだった。西田さんも、凧も、風花も、彼の心の中に溶け込み一種の爽快な感じを作っていた

6.再び療養所の病室(現在)
窓の外に目を移すと、風花はとうにやみ、蒼空がまぶしかった
 幾つかの歌はこの時の彼の心の風景を刻んでいるに違いない

彼の踏んできた道のあとには、かすかながら足跡がついているに違いない
 風花のようにはかなくても、人は自分の選んだ道を踏んで生きて行く他はないだろう →リンクの回収(結論)

<考察>
この小説全体には2つのキーワードが走っていると思われる。ひとつは“風花”、もうひとつは“運命、人生、(過去)である。この2つのキーワードが小説全体のバックボーンとなり、ここにからめて全ての事象が展開していると考えられる。

まず一つ目のキーワードである“風花”は、主人公を詩的興奮から充足感、陶酔の世界へと導いて、彼の記憶を過去へと押しやっている。また、“風花”が現在の彼と小学校五年生の彼を引き合わせる橋渡しになっており、2-5章の回想部分は現在から過去へと向かうように記述されているが小学校五年生の回想がいちばん最後に来ていてここで風花が出てくることにより物語全体が風花が舞い散る中で記述されているような効果を出している。6で再び療養所の病室に記述が戻る。ここの部分の記述からも1章の「ああ風花か」から5章の最後までは風花が舞い散っていたことが示唆されており、この物語の主人公が小学校五年生の時に初めて風花を知り、その興奮、壮快感が現在の主人公の心にリンクしていることがわかる。風花が与える明るい印象は、この小学校五年生の彼が感じた興奮、壮快感に由来しているのが伺え、彼が回想する父親、妻、看護婦の想いと共に風花も過去との対話になっている。

それから二つ目のキーワードである“運命、人生、(過去)”は物語の語り手の解説の中に含まれる形になっている。彼が「ああ、風花か」とつぶやいた後で語り手が彼の現在の境遇について次々と語り、健康が芳しくないどころか家族からの愛も満足に受けられないような状態であることが明らかにされる。語り手により主人公はもう未来に生きることはできないのだ、と設定されている。総じて彼の境遇はペシミスティックな調子で語られており、主人公に一言も語らせることなく語り手が淡々と事実を記述することでその悲惨さがかえって情け容赦なく心に響いてくるように思われる。1章の部分で福永は彼の置かれた立場を明確にしてその印象を読者に固定しようとしているように思われるが、未来を絶たれた人間がひたすらその想像を過去へと向かわせる様を意識して描いている節が伺える。そして2章以下で過去との対話が本格的に行われるがその時の橋渡しとして「風花」が使われてる。

作品に込められた謎: 「彼の魂の上を羽ばたいていった」ものはいったい何だったのだろうか?
1章では「ああ風花か」とつぶやくと同時にはばたき、4章では晩秋の秋の午後に若い看護婦と一緒にいるときにはばたいた。ここで福永はいったい何を「羽ばたいた」と述べたのか。4章について推測するのは比較的考えやすく、若い看護婦との愛が実らなかったことから考えて「未来、青春、希望、愛」等々いくつかの可能性を考えることが可能である。具体的な言葉はともかく、未来に向かって開いた積極的なものが「羽ばたいて」いったと考えるのが一番妥当なのではないかと思われる。しかし1章で「羽ばたいていった」ものは難解である。記述は、「ああ風花か」とつぶやいた時に羽ばたいていったのだから、4章と同様に未来に向かって開いた積極的な可能性が羽ばたいていったと考えることは困難であるいろいろ考えた末にこの部分は彼自身の運命を握っているもの、それに逆らうことは絶対に不可能な何かで、それが羽ばたいてしまうと、すなわち自分の中から抜け出てしまうと人は過去にしか生きられなくなる、といったものであると解釈した。すると「風花」プラス「羽ばたく」ことの2つがdriving forceとなって彼の心を過去へと運んでいく、というプロットが成立する。1章と4章で「羽ばたいたもの」が同一であるかどうか確信は持てないが、物語の展開を考えると両者は同一であって、これが抜け出てしまうと過去にしか生きられなくなるといった類の何かであると解釈すると、どちらの「羽ばたき」も主人公の生を未来ではなく過去へ向ける(あるいは、未来への積極的なイメージの可能性を逃がす)という視点で統一して解釈が可能である。

5章で再び病室の風景に戻る。回想が終わると同時に風花も止み、蒼空がのぞいているという記述になっており、風花が終わる=現実の世界に舞い戻るという設定になっている。しかし主人公の心の中には明らかに変化が見られ、1章の「文字にして書き留めたい、久しぶりに歌でもつくろう」の記述に対応し、短歌が五首ばかり掲載されている。この、短歌を作りたいという気持ちは、「心の中に涌いた激しい陶酔感、形のない感情、嬉しいのか悲しいのかわからないような或る充足感」であったと記述されている。とすると、その気持ちがこの五首の歌の中に込められていると考えることができる。五つの歌を読んで筆者が感じたことは、どれも風花によって触発された主人公の心の素直な気持ちーこれは理性ではなくて思ったままということであるがーがダイレクトに表現されており、語り手ではなくて主人公が発した気持ちが露出していると考えられる。そして主人公の気持ちというのは、未来に向かって明るく開いているようなものではない。むしろ「たまゆらにし消えてしまう」ような、はかなき夢のようなものであると考えられる。この短歌の後に続く、語り手の説明は主人公に対して暖かいものとなっている。語られている状況は何一つ明るいものはないが、「ただ自分ひとりの命をいとおしんて生きていく」観点から見れば状況なんてものはどうでもよいのだと語っているように思われる。また、「人を愛し、人に愛された記憶を持ち」といった記述があることから、この二つを人生における重要な点だと認識していることは確かであると思われる。作品をここまで読んできて、結局筆者がひきつけられたのは、風花といろいろな記述―それは病室や、過去の回想や、短歌のことを指すーが組み合わされ、繊細かつはかない世界を構築している、その美しさだろうと思われ、ここが筆者の感動の源泉である。現実と幻想の区別をあいまいにしているタイプの作品は、「夢見る少年の昼と夜」、「未来都市」、「飛ぶ男」、「世界の終わり」、「冥府」があるが「風花」では、現実と幻想の間を橋渡しするキーワードが明確であり、かつ小説自体も短いことからその特色を調べるには良い作品であると言えるかもしれない。

今後の解釈の方向


「風花」は『草の花』と並んで病室の中から話が展開する作品であるが、病室の風景および主人公の描き方には著しい差がある。「風花」では主人公の境遇は悪いものの、風花に触発された過去との対話を通して一瞬の鋭い命の高揚が描かれていると思われる。ここで描かれている命の高揚は自然の摂理とも言うべきものでそれ自体追求することにはあまり意味がないのかもしれない。

現実と幻想の区別があいまいになる作品は他にもあるが、この作品は橋渡しをするキーワードが明確に設定されており小説を構成するバックボーンが比較的わかりやすくできているのではないかと思われる。今後は他の現実と幻想が入り交じった作品と比較検討することによりその特性を明らかにすることができるかもしれない。さらに小説に込められた謎「羽ばたいたのは何か?」についても今後再考していきたい。


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