「再読」について−繰り返し読むという楽しみ



本ウェブサイトをご覧になってくださっている方々は、複数の作家の作品を数多く読まれておられる方も多いでしょう。好きな作家やジャンルは人それぞれでしょうが、読書をする人のスタイルは、以下のように大きく2つに分かれるように思います。

Aタイプ たくさんの作家の作品を読む、乱読に近いタイプ
Bタイプ 少数あるいは1人の作家の作品を、繰り返し読むタイプ
あるいは1冊の本を繰り返し読むタイプ
 

自分の周りを見渡しますと、Bタイプの人は意外に少なくて、大部分の人がAのタイプに属します。自分もどちらかというとAのタイプです。

時間の有効活用という観点から、ハマトンはその著書『知的生活』の中でAタイプに警告を鳴らし、Bタイプとなるよう勧めています。そして、これは読書だけに限らず、広く知識を取得すること一般についても当てはまるとしています。

なぜかというと、何か学ぶ(吸収する)ことにより、その人格や知性が必ずや影響を受けるからだそうです。すなわち、あまりにも無秩序にいろいろな知識を身につけてしまうと、その人の統一性を破壊ししてしまうということです。もっともこうなるには、広範な知識をかなり深くまできちんと理解した上での話で、大部分の人はここまでは至らないでしょうから、心配しなくてもよいのかもしれません。 ※ハマトンの本には、ラテン語を学んだおじい様を引き合いに出し、学ぶことを制限することで統一された人格が形成されることがわかりやすく解説されています。この部分は面白いので、ここだけでも読んでおく価値があるように思います。

むしろ、気をつけなければならないのは、興味が分散してしまうと個々のアイテムの理解の程度が落ちてしまうことかもしれません。非常に単純化した例を挙げると、1週間かけて1人の作家の著作を数冊読むのと、同じ時間をかけて3,4人の作家の著作を1冊ずつ読むのをイメージするのがわかりやすかもしれません。理解の程度は必ずしも量に比例はしませんが、一人の作家と過ごす時間(=読書に充てる時間)が増えれば増えるほど、その作家と作品のことを知ることができるでしょう。たくさんの作家の作品を味わいながら読むというスタイルを決して否定しているわけではありませんが、「作品の解釈」を楽しもうと考えるのであれば、(少なくとも作品解釈を行う)作家の数はある程度に絞ったほうが賢明なのかもしれませんが・・これについては私の中でもまだ結論は出ていません。

ハマトンは、「危険なのはまさに下手な勉強」、「読書については我々は幻想を抱きやすい」と指摘しています。実際の所、本屋に行くといろいろな分野の面白そうな新刊書がたくさん並んでいます。あれもこれも読んでみたい!と思って、気持ちのおもむくままに買ってしまっても時間は有限、そんなにたくさんは読めません。悲しいですが、これが現実です。 (実は、自分は読もうと思って単行本を購入したが、ずっと放置して文庫本が出版されたり、以前に購入した本をもう一度購入したことがあります。現在は出版されて直ぐに絶版になってしまうことも多いので、面白そうな本を見つけたらすぐに買ってしまうのは決して悪いことではないのですが、それでもムダしたなぁと感じてしまうことはなるべく避けたいものです)

それから、自分が気に入った作品を繰り返し読む、そのたび事に作中人物と対話するという楽しみがありますが、”広く浅く”を続けているとこの楽しみを味わうことができません。私は、以前に福永武彦『草の花』と『風のかたみ』の作品解釈を作っているときに、小説の再読の楽しみというのを初めて実感しました。ある一人の作家について、このような再読をいくつも行うことが出来れば(たったひとつの作品でも悪くないかもしれませんが)、作品解釈を目指した読み解きとしては最高のものなのかもしれません。



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