パリ滞在レポート

Report No.3
2000.5.25/ 2004.8.19 revised.


Institut Pasteur(パスツール研究所)
私が働いていた職場、パスツール研究所についてご紹介します。
ここはフランスにおける生命科学研究の中心的な役割を担っている、
世界的にも名が知られた研究機関です。

パスツール研究所

最初に逗留したホテルから2,3分歩くとMetro6号線のBir Hakeim駅があり、Pasteur駅まで5つ乗ります。カルネ(carnet)と呼ばれる回数券を買って乗り込みます。初日は先生が付き合ってくれて回数券の買い方まで教えていただきました。Pasteur駅から徒歩で5分も歩くと研究所へ到着します。しばらく前に洗剤のジョイのCMでパスツール研究所が映っていたという話ですが、残念ながら私はそのCMを見たことがありません(もちろんこれは日本での話です)。研究所は道の左右にわたって広がり、Pasteur駅から歩いていくと向かって左側にパスツール美術館とパスツールの石像が、そして右側には食堂と図書館、それから管理部門を集めた建物が並んでいます。全体の敷地の大きさはわかりませんが結構たくさんのビルが建ち並んでいました。建物は煉瓦造りの重厚なものから割と近代的なビルまでありますが、どちらかというと煉瓦造りの古い建物が多いように思えます(免疫学部門の建物は近代的な造りでしたが)。パスツール研究所はフランスで唯一の大規模な生命科学の専門研究施設であり、複数のノーベル賞受賞者を輩出し、最近ではHIVウイルスの発見を巡ってアメリカのNIHと先陣争いをしたことで有名です。先生に「ほら、あそこを歩いている人がヤコブですよ」と教えてもらいました。生物学を習ったことのある人でしたらご存じでしょうが、ヤコブ・モノーの「遺伝子オペロン説」というのがあって(私はこれを高校生の時に習いました)、βーガラクトシダーゼの酵素発現誘導について、インディユーサーやサプレッサーといった概念を導入し、その物質的な実体を明らかにして遺伝子発現調節のメカニズムの解明の先駆けになったことは有名です(ノーベル賞受賞)。パスツール研究所にはヤコブ・モノー(J.Monod)棟という独立した建物があり、ここには分子生物学部門の研究室が入っていて、現在ヤコブはここのディレクターを務められているとのことです。なおヤコブ・モノーには『偶然と必然』(注1)という著書があり、みすず書房から日本語訳が出ています(私も読みました)。

私がお世話になった研究室はJ.Monod研究所の隣にあるCalmette棟(注2)という建物の中にあり、主に呼吸器アレルギー関係の仕事で多くの業績を出しています(注3)。Scienceのような超一流雑誌に投稿されるような業績もあり、活発に研究をしているようです。飛行機の中でこの部屋から出ている論文をいくつか読みました。B.C.G.感染させた動物のTh2由来免疫反応が低下するという発見やTh2タイプのアレルギー反応にγδT細胞が重要な役割をしているという発見(こちらはScinece誌に投稿)は面白いとともにこれらの疾患のメカニズム解明に重要な一石を投じた報告であり、学問的な価値も高い業績です。


パスツール研究所とパスツールの石像

パスツール美術館
Pasteur研究所の中にはMusee Pasteurと呼ばれる、Pasteurの美術館があります(ここは一般公開されているようです。研究所の入り口で申し出るとガイドがついて中を見学させてくれます)。何故美術館?と思ったのですが、Pasteur(家?)には科学的業績の他に美術品もたくさんあってそれらが集められて展示されているのです。美術品の見学を目当てに来る人もいるみたいで、肖像画をはじめとしていろいろありました。自分のお目当てはもちろん「白鳥の首フラスコ」(注4)でしたので、そこの見学エリアへ行くのがとても待ち遠しかったです。で、待望の展示室へ。とてもびっくりしたのが当時の肉汁がそのまま腐らずに保存されているのです。今から120年以上前のものが! まあよく考えてみると無菌状態が保たれていれば保存されていて当然で、それを証明した実験なのだから当たり前といえばその通りなのですが。

それからここではいろいろな絵はがき、それからパスツールグッズが売っています。パスツールの肖像画と実験室の風景の絵葉書を買いました。その他にも白鳥の首フラスコの模型、パスツールの顔が付いたキーホルダー、パスツールのサイン入りペン、ポストイットフォルダーがあり、研究所を訪れた土産としては最適でしょう。たぶんエルメスのスカーフやグッチの鞄よりも(もちろんあげる人によってはだけど)価値が高いと思われますね。

(注1)J.モノー、渡辺格・村上光彦訳『偶然と必然』、みすず書房(1972)
(注2)ここでは建物の名前に人の功績者の名前を付けるのが習わしらしい。また研究所の敷地内には墓や功績があった人の石像があったりする。
(注3)Calmetteというのも人の名前で、B.C.G.ワクチンの発明者の一人です。B.C.G.とはBacille de Calmette et Guerinの略で、A.CalmetteとC.Guerinがウシ型結核菌をウシ胆汁加馬鈴薯培地に十数年累代培養して得た弱毒生菌。B.C.G接種.は結核予防に有効。
(注4)生命の自然発生説にケリをつけた実験に使われた歴史的なフラスコ。フラスコの中で肉汁を煮沸した後、フラスコの先を火であぶって白鳥の首のように長く引き延ばす。空気中の微生物は首の部分から先に侵入できないためフラスコ内の肉汁は無菌状態が保たれて腐らない。これにより生命の自然発生説が実験的に否定された。


研究室の人々1
研究室は30名を超す大所帯です。日本の大学とはシステムが違いますが、パーマネント(永久就職を保証されている)の研究者とテクニシャン、秘書、動物飼育管理や器具洗浄などをこなしているスタッフの他、学生さん(ここは日本で言うところの大学院大学で、博士課程の学生さんがいます)、それからポスドク(ポストドクター、特定の研究プロジェクトのために雇われる非パーマネントの研究者のこと。比較的若い人が多い)といったメンバーで構成されています。この他にも短期の教育プログラムが実施されておりテクニシャン養成の機関から短期で学生さんが派遣されていたり、フランスの大学から卒業研究をやりに来ている学生さんがいたりと、いろいろな立場の人がいます。髪、肌、目の色、身長はそれこそ千差万別で、正直言って意外に思いました(というのは、フランスには”フランス人”という一種類の人間がいるのだと思っていて、髪や肌、目の色や身長は綺麗に揃っていると考えていましたので)。後から聞いた話によるとフランス自体がいろいろな民族の集まりだそうです。

自分から見た彼らの特徴はなんといってもコミニュケーションが良く取れていることでしょうか。1日は挨拶から始まると言いますが、会えば必ず「Bonjour!」。日本でも「朝は挨拶しよう」運動というのがありますが、やはりこのように挨拶をきちんと行うというのは気持ちがよいものです。そしてコーヒーを飲みながらの雑談も実に楽しそうにやっているように思えました(日本ではやもすると人のうわさ話や仕事の話に明け暮れますが、彼らの雑談の中身はワインの話とか、まあそんなようなことなんですね)。

研究室をざっと見て目に付いたこととしては 1)彼らの会議のやり方は非常に集中していて密度が濃い 2)グループ間に壁が全くない 3)コンピューターで遊んでいる人は皆無である 4)皆、物を大切にしている の4点でしょうか。あと5)ゴミの分別が日本に比べてルーズ だと思いましたね(^^;
1)は、皆熱心に討論していました。必ずしも全員が活発に討論しているというわけではないですが、無関心だったり寝ていたりしていた人は見ませんでした。
2)については目を見張ります。この研究室は大きく4つのサブグループに分かれていますが呼吸器という共通したテーマを扱っており、実験技術や考え方についてはサブグループを越えて教え合ったり一緒に考えたりしています(それどころか他研究室からも人が来て一緒に実験したり技術を習ったりしています。これは実に素晴らしいことなんです)。日本の組織でも壁を作るなとかよく言われますが、実際に実行に移すのは難しく(そう言っている人が長になってもやはり壁を作ったりするので、日本文化に根ざした独特の問題を含むのかも。もしかしたら日本人の場合はある程度壁を作って排他的になった方がグループの志気に良いのか?)、仕事の効率を上げることができません。それがここではごくあたりまえのように達成されていて非常に良い雰囲気です。しかも先生がとても気さくで、全く偉そうではないんです(フランスでの生活全体を通して見ても、偉そうな人の数は日本よりも遙かに少ないと思いました)。
3)は学生さんについてですが、日本では割とコンピューター(ゲーム、インターネット、メール)で遊ぶ人が多いように思います(会社でもそうです。時々新聞に出て問題になっていますよね)。しかしこの研究室では、時々私用のメールをやりとりしているのを目撃した他はWEBで遊んだりゲームをやっている人というのは最期まで見ませんでした。もともと研究室にはコンピューターの数が少ない(型も古いのを大事に使っているし)ので、そんなことしていたらヒンシュクを買うからやらないのか、というとそうではなくて、もともとコンピューターで遊ぶという考えがないようです。後から日本の友人に聞いたところ、コンピューターの使い方で「ゲーム」というのは日本独特の使い方だとか。。アメリカもコンピューターでゲームする人が多いという話ですが日本の輸出文化なのでは、とのことでした(^^;
4)は、実験装置やコンピューターを見ればわかります。企業の研究所と比べちゃいけませんが、ELISAに使うプレートウォッシャー(注5)はないしプレートリーダー(注6)は旧式の機械です。それで皆が文句を言っているかというとそうでもなくて、今ある装置を大事に使って仕事をしています(新しい装置を使う必要がある場合は他研究室で借りる)。しかも最新鋭の装置がないからといって文句を言うわけでもないんです(ただしこれが遺伝子工学などの最先端分野で、装置の有無がそのまま研究成果の鍵を握る場合はまた別なのでしょうが)。日本では単に旧式だからという理由で装置を更新したりしますが、そういうのは本当は無駄遣いなんでしょうかね。これは結構考えさせられた問題でした。
5)は日本では環境問題のこともあってやかましく言われていますが(うちの職場では今度からガラスと金属は厳密に分けることになった。つまりガラス容器に付いている金属は外して捨てなければならないということ)、ここの研究室ではそんなことはなんのその、血液が付着したペーパータオルも、チップ(注7)も、ファルコンチューブ(注8)も一緒くたにして捨てています(さすがにガラスは別。しかし金属はあまり厳密に分けてはいなかった)。フランスは環境問題やかましくないのかな。。。

それから仕事(実験)をしている風景。もともと人数に比して場所がない、つまり実験のためのスペースが十分に取れないため、実験台が混みあうときには思いっきり混みあいます。隣の人と腕が触れ合ったりするくらいに接近して実験をすることもしばしば。最初はすごく窮屈に感じたんですが、これがまた慣れてしまうものなのです。人口密度が高いと冗談を言いながら仕事ができるし、おしゃべり好きなフランス人にはむしろこの方が合っているのかも(?)しれません。彼らは冗談を言いながら仕事をしていますがその密度は濃く、だらだらとやることはしません。ここら辺の態度は見習うべきかなと思いました。

(注5)ELISAとはEnzyme-Labelled ImmunoSorbent Assayの略で抗体を使用した生理活性物質の定量法の一つ。生命科学分野では汎用されている方法。またプレートウォッシャーとはこのELISAに使う装置の一種で、洗浄器のようなものです。
(注6)ELISAの結果を測定するための装置。吸光度を測定する一種の分光光度計。最近の装置はパソコンとつながっていて装置の制御やデータ収集はすべてパソコン側から行うのが普通。しかし旧式の機械だと結果を紙にプリントアウトするだけで、データ解析はそれを見ながら手でやることになる。
(注7)微量の液体を計り取るためのピペットに取り付ける、使い捨ての先端部。プラスチック製。
(注8)一種の使い捨て試験管(プラスチック製)。これは商品名だがこの名前でどこでも通じる。


研究室の人々2〜送別会レポート(4/20)
筆者が研究室を去る日が近づいてまいりました。フランスにも送別会というものはあります。が、やり方は日本と全く逆で出ていく人がホストとなって皆をもてなすのです。つまり、自分で料理やお菓子を並べ、コップを用意し、飲み物をついで、準備ができたら「私の送別会の準備ができたので皆さん集まってください」と声をかけてまわります。これ、最初に見たときはすごく違和感がありました。なぜならば送別会というのは日本では去っていく母体が別れを惜しんで主催してくれるものだからです。またやる時間ですが、これまた日本と異なり終業時間後ということはなく通常はお茶か昼食の時間です。仕事が終わってから職場の皆で集まって飲みに行くというのは一般的ではないようです。
用意する品々はやはりそのお国柄が反映されたもの(つまり自分の場合でしたら日本のもの)が期待されます。当初は私が日本料理を作るのではないかと期待がかかっていたようですが(^^; それはご勘弁願って以下のようなものを用意しました。食べ物飲み物の選択にはパスツール研究所在職の日本人研究者および日本在住の友人の多大な協力をいただき、熟考の賜なんです。なおこれらの食べ物飲み物はPyramid近くにある日本食品や酒店で入手しました。

開催時間: 夕方(遅めのティータイム) 時間は1−1.5時間くらいを目処
留意点: 食べ物は量より種類、質。庶民的なものと伝統的なものの組み合わせ、甘辛をペアで出すこと。できる限り仏語の解説を付ける。折り紙を効果的に使って見た目がカラフルになるようにする。
一度に全部出さずにstep by stepでサービスする。また必ず解説をする(彼らにとってその食べ物の情報は味そのものと同じくらい重要!)

STEP 内容 コメント

(casual)
日本のお菓子および日本酒のサービス
柿ピー

醤油味の煎餅
梅シソ味の煎餅
かりんとう(4種類の味)
日本酒2種類(辛口、甘口各1種類)
コーヒー
折り紙で小箱を作りトレーとして使う
甘辛系をペアで出すこと。
なるべく多くの種類が味わえるようにする(量より種類)。日本の菓子を食べたことがある人は何人かいたが、少なくとも1種類以上はまだ食したことがないものがあったようで喜んでもらえた 。日本のお菓子は1袋の中に複数の味覚が入っていて便利です。
日本酒は好みがあるのでコーヒーも同時サービス。
なお柿ピーはフランス人に好評だという事前情報を入手したので入れました。
煎餅、酒についてはフランス語で書かれた解説を用意。
1−bis 濁り酒サービス 日本酒の生化学についての説明(プリント配布)
2段階発酵法および濁り酒の説明
濁り酒では酵素や酵母が生きた状態なのですが、それを説明すると「これ、飲んでも大丈夫か?」という質問が出ました。最終的には気に入ってもらえましたが(笑)。エキゾチックなものは喜ばれるようですがそれが彼らの口に合うかどうかはまた別問題なのであまり大量に用意しない方がベターなのでしょうね。まあ自分が酒が好きならばまた話は別なのかもしれませんが。

(traditional)
和菓子および日本茶サービス
虎屋の羊羹(4種類の味)
虎屋の砂糖菓子
日本茶2種類(緑茶、ほうじ茶)
コーヒー
折り紙を下敷きにして使う
虎屋の羊羹は正式な包装がされているのでその説明もする。wrapping methodは日本伝統文化の一部です。また羊羹が笹の葉に包まれているというもの彼らには面白かったらしい。また虎屋は日本の老舗で皇室の御用達であり、天皇も食べていると説明する。虎屋では仏語で書かれたパンフレットが入手できたのでこれを提示して説明。羊羹は喜んで食べてもらえましたが砂糖菓子はイマイチのようでした。彼らにとっては日本の和菓子は甘さが足りないのかもしれません。
あいさつ
土産として折り紙で作成したテーブルコースターを配る
あらかじめ作文しておく(英語)。
最後にお土産として折り紙で作成したテーブルコースターを配る→これは非常に好評で、多少多めに作成しておいたものが全部なくなりました!後から作り方を聞きに来た人もいて、自分の国の工芸品を改めて見直しました。普段は折り紙なんて作りませんからね。

感想: 研究室の大部分の人が集まってくれて、大いに盛り上がりました。間をおいて少しずつサービスするのは時間の使い方からしてもgoodだったようです。折り紙は人気で、小箱と羊羹の下に引く皿、それからテーブルコースターとカラフルなもので飾ったのは喜ばれたようです。
最後に一言挨拶をして、先生からも挨拶の言葉をもらいました。最後に「ヤスヒロサン、ドウモスイマセン」と言って、周りが一斉に拍手してくれました。。(^^; 先生はたぶん「ドウモアリガトウゴザイマシタ」と言いたかったのでしょう。僕が呆然としていると、「何かおかしいことを言ったか?」と聞かれたので、「ドウモスイマセンはフランス語ではExcusez-moiに相当するんですが。。」。。部屋は大爆笑の渦に包まれました。これがこのパーティで一番ウケたことです。
それから皆さんからはプレゼントをいただきました。1 STEP終わるごとに1品ずつくれるという、凝った方式(笑)。STEP 1ではPasteur美術館の記念グッズ、STEP 2ではパリの写真集、モノクロなんですがものすごく綺麗。夜のルーブル美術館とか、雪景色のセーヌ川とか、いくら見ても飽きない。パリは寒いと言われますが、雪景色のパリも是非訪れてみたくなりました。 そして真打ちはSTEP 2の後です。なんと、マルセル・プルーストの顔がプリントされたTシャツです!これにはたまげました(^^; いったいどこで手に入れたのだと聞くと、なんとアイロンプリントで作ったそうです。うーん、さすがフランス人です。ものすごくシャレっ気がありますね。

追記: 滞在中は折り紙で鶴やコースターが楽に折れたのですが、帰国してしばらく経つとさっぱりとできなくなってしまいました。当時は気合いが入っていたんだなあとつくづく思います(笑)。


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