読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。
紹介のスタイルとして、読んでくださっている皆さんに手紙を出すという想定で文章を作っています。
該当作品にはAMAZON書店へリンクを貼りましたので、興味を持たれた方は手に取ってみてください。
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拝啓
関東では蒸し暑い日が続いています。私の勤務地では、夜6時になると空調が止まるという信じられない環境なのですが(-.-)、周りから顰蹙の雨霰が降ったせいか7月からは夜の8時まで空調が動くことになりました。でもまあ、なるべくだったら朝早くから仕事を始めて夜は早く帰った方がいいですよね。
さて、今回ご紹介するのは企業の労働組合活動をベースにした苦悩小説です。文庫本は昭和四十六年に刊行されているので、日本の高度成長時代をバックに、人間関係の綾に焦点を当てた小説であると言えるでしょう。
地方にある精機工場の研究室に勤務し、労働組合の幹部を勤める信藤誠を中心として話は展開します。優秀な若者が大都会へ流れ出てしまうのを防ぐため、地元の企業が合同で奨学会を作って優秀な学生に奨学金を出し、地元の発展に貢献してもらおうという意図は上手く回っているかのように見えました。事実、奨学生は一種の名士として扱われ、企業の幹部候補生と見なされ、様々な特典が与えられているのです。主人公の信藤氏もその奨学生の一人ですが、彼は企業内の昇進よりも組合活動(労働運動)に力を注ぎます。ここに描かれている彼の姿は、ここだけ取り出せば理想的な労働のあり方を純粋に追求したものであると言えるでしょう。
信藤が理想を持って組合活動をしていることは、敢えて出世を断り組合活動に専念している様から窺えます。奨学会のOB,OGは「銅の会」と呼ばれる組織を作り、街の商工会議所に出入り出来る特権を持っていますし、企業の幹部にも顔がききます。しかし信藤はそのような特権に溺れることをよしとせず、労働活動に専念する姿勢は立派です。
彼は、奨学会の後輩でやはり組合活動に熱心である久米洋子と共に理想を追求していきますが、二人の関係は仕事上の付き合いだけでなく、一線を越えるようになります。物語は、信藤が関わっている組合活動と、久米との逢瀬が絡み合いながら進行し、どちらにも救いが感じられず、かなり大きな閉塞感を感じるものです。 信藤は組合と企業の間に挟まれた格好となりながら苦しい交渉を強いられます。状況は彼にとって次第に劣勢となって、最後には彼は組合活動から離れる決意をしますが、「ここまで頑張ってどうしようもないのだったら、完全にお手上げだろう」ときっと誰しもが思うことでしょう。何か抜本的な解決策とか、妙案といった類は全くと言ってよいほど見いだせず、状況が次々に悪くなっていく様が如実に描かれています。オセロゲームで自分の持ちコマが次々とひっくり返されていくようなイメージですね。
それから、久米洋子と信藤の関係もこの物語を閉塞的なものにするのに一役買っています。信藤には妻子がいるので、久米との関係は不倫なのですが、信藤と久米の関係は方向性が定まるわけではなく淡々と続き、小さなトラブルはあるものの大きな修羅場は無く、そして最後に久米は信藤の子供を身ごもります。この先二人の関係が淡々と続くことは(現実的な感覚からは)あり得ないと思うのですが、物語は信藤が組み合いを離れると決意するところまでで終わっています。久米と信藤の関係だけを切り取ってみれば、信藤は妻子を捨てて久米に走るわけでなく、かと言って久米との関係を解消して妻子の方に目を向けるでもなく、中途半端な終わり方なのですが、それだけに一層閉塞感は解消しないままとなって物語の読み手に迫ってきますね。(おそらく、修羅場や喜びといったクライマックスはほんの一瞬で、大部分がこのような閉塞感に包まれたものであるということを作者は描きたかったのかもしれません。)
この話を読むと、理想と現実のギャップ−実際に人間関係が絡んだ場合の物事の難しさ−というのが大変良く伝わってきます。物語全体が閉塞感に包まれているため、理想に向かう美しさや信念の強さというのは一見分かりにくいですが、信藤誠のような人物が目立たず地味に頑張っているというのが現実の姿なのでしょう。
この本は、”不倫”が実際の小説の中でどのように描かれているかを知るにも良い題材になります。梅田みかは著書「愛人の掟」の中で不倫について触れ、女磨きの一過程として積極的に捉えることを勧めているように思いますが、ここに描かれているような姿も間違いなく不倫の一形態であり、私たちが見る愛のひとつの形であると言えるでしょう。 読者ターゲットとしては、企業に10年以上お勤めの方にお勧めです。
敬具
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高橋和巳
『我が心は石にあらず』
新潮文庫刊
文庫・単行本 |
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| 読書ノート No.9 2007/7/1 |

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