私の読書ノート

読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。

マイケル・ポランニー著、高橋訳『暗黙知の次元』、ちくま学芸文庫(2003), \900

マーケッティングの本を読んでいて、引用文献として挙げられていたので興味を持ち購入した。言語的に伝えることができない知についての哲学的な考察で、自分にとっては結構難解だった一冊(^^;

<目次>
第1章 暗黙知
第2章 創発
第3章 探求者たちの社会

著者のポランニーは医学を修め、その後物理化学の研究に従事して、それから社会科学へ転向した経歴を持つ。科学を哲学的に考察したような内容で、所々にきらりとした鋭い文言が光っている。一度さっと読むだけではなくて、折に触れて参照し、考えるようにすると味が出てくるのだと思う。まずは、読了して一番心に残った点を自分なりに解釈して紹介してみたい。

人間が人文諸科学を認識するための方法として、十九世紀末のドイツでは「内在化」や「感情移入」が適切だと仮定されていたという。ある人の精神を理解するためには、その活動を「追体験」することによってのみ、理解されうるとされていた。つまり、それを理解したければ実際にそれをやってみる、体験してみることが必要だというわけだ。当初この考え方は人文科学と自然科学を截然と区別すると考えられていたようだが、ポランニーによるとこれは間違っているという。

ポランニーは、暗黙知の構造に由来するものとしての「内在化」は、「感情移入」よりもはるかに厳密に定義される行為であると指摘する。「感情移入」は個人的な問題であるのに対し、「内在化」は普遍的な現象で、自然科学を理解する上でも欠かせないものであるとポランニーは考えているようだ。例として、数学理論の理解には実際に応用することでのみ体得されることを挙げている。つまりは、理論を学んでそれを実際に使ってみて初めて理論が”腹に落ち”て、自分のものになる。理論が自分のものになればその理論を通じて世界を捉えられるようになるので、その理論は「内在化」されたと考えられるというわけである。

ポランニーによれば、暗黙知と内在化は密接な関係があるという。物事は複数の諸要素により構成されているが、諸要素を統合(→諸要素を意味あるまとまりにくくること)することが、暗黙知の構成に他ならない。「統合」により、「意味」が生起されるわけである。

物事の存在を構成する個々の諸要素を事細かに吟味すれば、「統合」の概念は破壊されてしまう。これは、文学作品の解釈上でも割と重要な問題であり、時代背景等のディティールを細かく分析することと、優れた作品解釈を出せるかは別次元の話というわけである(ただし、作品をよりよく理解するためにディティールの分析は必要である)。部分を念入りに分析するだけでは不足で、全体構成を見るための分析は別途必要ということだろう。

特に自然科学を指向する人たちを対象にしたものではなく、文学作品の解釈等、広く普遍的に使える考え方が紹介されている。本来の哲学というのは、人文科学や自然科学といった区分を離れたところでの普遍性を求めるものなのかもしれない。

以上

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『暗黙知の次元

(2003)


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読書ノート No.52 2010/03/22

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