私の読書ノート

読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。

外山滋比古『ライフワークの思想』、ちくま文庫(2009)

外山滋比古先生のエッセイ風論説文である。ライフワークに関して書かれてはいるが、ハウツー的な要素は少ない。むしろ、外山先生のエッセイを楽しむ感覚で読まれた方がよいかもしれない。ここに集められている文章自体は三十年前のものばかりであるが、話のテーマは普遍的なものであるので古くさい感じは受けない。インターネットやグローバリゼーションといった言葉は出てこないのがかえって新鮮。

<目次>
第1章 フィナーレの思想
第2章 知的生活考
第3章 島国考
第4章 教育とことば

第1章は、ライフワークに関するエッセイ。自分の時間を作ること、人生の収穫期にきちんと収穫できるようなものがあるように今から考えておくことといった内容が続いていて、精神論である。人生の折り返し点とか、時間を有効に使わなければいけないといった、割とどこにでもあるような話が続いていて、正直言ってこの章は読むに値しない。題名が『ライフワークの思想』であるのに、肝腎の「ワイフワーク」について真正面から取り扱った章がダメダメというのは、信じがたいことである。

第2章では、知的生活のスケッチである。人の頭にある話(や経験)が残るのは、あらかじめその人の頭の中にその話や経験を受け取るための仕組みがなければならない、そのしくみのことをモデルと呼んでいる。おとぎ話がモデル形成の重要な役割を果たしているという考察は面白い。通俗小説やゴシップを楽しむ大人が多いのは、ストーリーのモデルはしっかりと身についているからだと説明している。確かに、論説文と小説では日本語で書いてあっても人によって食いつきが違う。論説文を楽しむには、小説を楽しむのとは異なったトレーニングが必要というのは理解できる。

第3章では、日本とイギリスの比較で、学校教育のシステムについて書かれている。イギリスのパブリックスクールを取り上げ、ヒルトン『チップス先生さようなら』を紹介し、イギリスの教育システムとその特徴を論じている。この章は結構読みごたえがあって、イギリスの伝統的教育とその効果について優れた考察が載っている。十年一日のごとく黙々として生きる、その繰り返しの中から伝統が作られ、そしてそれは飛躍につながるという指摘は非常に面白い。外山先生は、日本は島国であることを意識するためにこの章を作られたとのことであるが、インターネットができて世界がグローバル化した現在ではこの続編に興味があるところである。

第4章で面白いのは、文学青年に関する考察だ。芸術作品の中の世界(現実、人間関係)に興味を示し、解釈できるからといってそれがそのまま実生活(浮世)に活きるとは限らないということ。むしろそれが実生活では障害になることすらあるという。外山先生は、これは文学が現実との関係をあいまいにしているからだと指摘し、文学は空虚な言葉の遊びに堕する危険があるという。私は、文学どっぷりで実生活が全然ダメという人を実際に見たことがないのでなんとも言えないのだが、文学の世界の知識で実生活が豊になっている人というのは(自分の予想以上に)少ないように思う。まあ、虚構と実生活は切り離されて当たり前と言われれば、それまでのような気もする。

「私の読書ノート」には、外山滋比古が著した下記の本の感想文もアップロードされています。
男の神話学
言葉のある暮し

以上

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『ライフワークの思想

(2009)


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読書ノート No.51 2010/03/07

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