| 私の読書ノート |
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読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。
宮沢賢治『銀河鉄道の夜』NOKTO DE LA GALAKSIA FERVOJO 1985年に作成された、『銀河鉄道の夜』のアニメ映画である。私も遥か昔にTV放送された時に観た記憶があって、ジョバンニとカムパネルラがネコだったのは覚えていたのだが、再度観たくなって購入。 既に朗読(朗読の紹介はこちら)を何回も聞いて、私の頭の中には作品のイメージが出来上がってしまっているので、それと比較して感想を述べていくことにする。 朗読でははっきりとはわからないのだが、ジョバンニの家庭は貧しく、彼は放課後に活版所で働いて収入を得ている。学校の先生がジョバンニに「君は働いているんだったな」と声をかける場面も挿入されていて、わかりやすい。 ザネリのキャラクターについて、ザネリはいわゆる「悪ガキ」の類だ。映画では「悪ガキ」を強調すべく、表情が工夫されている。ザネリが「ジョバンニ、お父さんからラッコの上着が来るよ」という場面は実に憎たらしい(笑)。 ジョバンニが銀河鉄道に乗る場面、朗読では何度聞いてもその部分が頭に残らないのであるが、映画では草原で寝転がっていると汽車がやってきて、気がついたらいつの間に客車の中にいるという設定だ。ここは現実と幻想が交錯する場面なので、朗読の曖昧な雰囲気を大切にしたい。それから銀河軽便鉄道のはずなのに、牽引している機関車はとても立派でちっとも軽便ではないように感じた。私の頭の中には松本零士の「銀河鉄道999」があるので、さほど大きな違和感はなかったのだが、人によっては「ん?」と思うかもしれない。客車の中でカンパネルラが自分に付いた水滴を払い、「お母さんは自分のやったことを許してくれるだろうか」という下りは、カンパネルラの運命を示唆する伏線として機能する。 この物語の山場の一つ、沈没した船から乗り込んできた家庭教師の青年と幼い姉弟とのやりとりの部分。この3人は人間として描かれている。船が氷山に衝突して沈没していくシーンで賛美歌306番(320番)が流れるが、これはこの世にある出来事で最も悲しいことの一つとして描かれているように思う。ここは是非、朗読と映像の両方で味わうことをお勧めする。朗読も素晴らしいが、映像もそれに匹敵するくらい素晴らしい。客車の中に沈没する船の映像が出現し、氷山にぶつかった船の悲劇が投影される。BGMでエスペラント語の賛美歌306番(320番)が流れ、3人が海の底に沈んでいくところまでが(そして銀河鉄道の客車の中に出現する)描き出されている。映像の絵は(現代のアニメに比べると)単純で、技巧的には劣るのであるが、この場面は非常によくできている。家庭教師の青年の記憶をフラッシュバックしたように、映像が次々と切り替わりって悲劇を描き出している。このような悲劇のシーンを提示し、子供に人生の悲しみを明確に示しているという点でも、この作品の価値は高い。(このようなことを文学作品で行うのは、相手が子供の場合は通常とても難しい)蛇足であるが、朗読CDでは弟は少々やんちゃで元気なイメージであったが、映画ではおとなしい坊やという印象だ。ジョバンニたちと3人の別れの場面は、朗読の方が想像力をかき立てるのでよいように思う。映画は少々味気なかった。 汽車が草原の駅に止まり、新世界交響楽(正確には、ドボルザーク交響曲第9番ホ短調作品95『新世界より』第2楽章 Largo)が流れてくる場面。映画では、「グリーングリーン」が似合いそうな夏の草原といったところで、朗読のイメージと全く違う(^^; ここは夕暮れ時で、一番星が輝き始めるくらいの場面であってほしかったというのが正直なところ。 そして、カムパネルラとの別れの場面。朗読ではカムパネルラは突如として消え去るが、映画ではジョバンニに別れを告げる。私としては、カムパネルラは突如として消え去る方がイメージ的にはぴったりと来る。そしてジョバンニが眼を覚まして、カムパネルラがこの世を去ったことを知る、という流れが物語のプロットとしては美しいと思っている。 それから、映画ではジョバンニが牛乳をもらいにいった農家、朗読には出てこない盲目の無線技士の雰囲気が怪しいのは作品に良い意味でひと味加えている。全体を通してやや暗めのトーンで統一されていて(新世界交響曲が流れる場面は除く)、幻想と現実の交錯を映像技術からも上手く描き出しているように思う。また、作品中に出てくる言語は全てエスペラント語であるというのも不思議な雰囲気を醸し出していて良い。(やはり横文字が似合うなあ。もし仮にハングル文字が並んでいたら合わないだろうなあ) Wikipediaによると、この映画を観て原作の登場人物も猫だと思っている人がいるらしい(Wikipediaによる『銀河鉄道の夜』の説明文はこちら)。その点ではこの映画は原作を曲解させているわけで、それは決して良いことではないのだが(笑えるような気もするが)、ジョバンニとカムパネルラを猫にすることで表情がマスクされ、鑑賞者が映像に引っ張られすぎないようになっているとも思われるのである。猫以外の部分は総じて申し分無く、既に本や朗読でこの作品に親しまれている方にこそお勧めしたい作品だ。 以上
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読書ノート No.50 2010/02/16 |
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