私の読書ノート

読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。

中島義道著『続・ウィーン愛憎−ヨーロッパ、家族、そして私』、中公新書(1994), \740

前出『ウィーン愛憎』の続編で、今回は家族を軸にしたウィーンでの生活録のような内容に仕上がっている。

<目次>
1.10年ぶりのドナウ川
2.ウィーン半移住生活
3.フンガーベルグ通りの家
4.妻の大事故
5.アメリカン・インターナショナル・スクール
6.あたかも大学生のように
7.ウィーン街の物語
8.ウィーン家族

10年ぶりに家族を引き連れてウィーンへ渡るところから物語は始まる。初めてウィーンの土を踏んだときには私費留学生、将来の見通しは全く不明確であったのに比べると、安定した職業に就いて妻子もいて、しかも夏休みにぶらりとウィーンに行っているというこの差はなんだと(本人が)まず宣言する。中島氏独特のユーモアか(笑)。

家庭内のごたごたから家族が常に一緒に暮らすことを諦め(自分たちの主張を譲らなかった結果として、当然こうなった)、ウィーンに家を探す行動に出る。一方で妻が事故で足を骨折、息子のアメリカン・インターナショナル・スクールへの入学のイベントを経験、日本でさえも大変だと思うのだが、異国の地ウィーンで(人の手を借りたとは言え)何もかも自分で対処しなければならなかった、その綿密な記録簿である。

読了してから改めて考えてみると、中島氏はページの大部分を家族の記述に充てている(妻の写真はないが、息子さんの後ろ姿の写真が1枚掲載されている)。私生活を淡々とレポートしていると取れなくもないが、もし自分だったらここまで書かないんじゃないかなあ。。まあ、ここまで書かないと物語の真実味や迫力が湧かないというのはあるかもしれないけれど・・異国で暮らすのがいかに大変かがひしひしと伝わってくるのだが、悲壮感や苦労が前面に出てこないのが不思議である。中島氏の書いた文章はたいていそうだ。

私が最も面白く読んだのは、ウィーン人気質に関して。中島氏は10年前に比べて町中は格段に「うるさく」なっていて、「おせっかい」が激増したと報告する。中島氏は、ウィーンの人々は特別の思想や美学で騒音をシャットアウトしていたと思っていたが、実はそうではなかったらしいと述べていて、単に音響製品の発達が遅れていただけだと指摘する。こう言ってしまっては元も子もないが、そう考えなければ観察事実は説明できない。ついでに言うと携帯電話のマナー(公共の場ではマナーモードにする)は日本の方がずっとよく守られており、欧米のバスや電車中で彼等は平気で電話する(規制自体が無いのかもしれない)。

10年前に経験した古典的ヨーロッパの面影を濃く残したウィーンは、生活が便利になり、ウィーンのグローバル化(他の民族が入ってきたということ)により徐々に衰退していったと中島氏は観察する。これと平行して非ヨーロッパ民族に対する差別の意識も衰退し、ウィーンは活気があり(外国人にとって)住みやすい町となったと氏は結論する。そしてそれは日本人である我々にとっては歓迎すべきことである(と私も思う)。私たち日本人は、観念的にヨーロッパに憧れていると氏は指摘しているが、そのような「憧れ」の実態は消失しつつある、と言えるのかもしれない。

通読して私が一番強く思ったのは、「外国で腰を据えて暮らすって、大変なんだな−っ」ということである。病気あり、事故あり、大使館や役所との交渉ありと日本でも結構面倒くさいことなのに、異国でしかも効率が著しく悪いとこうも苦労しなければならないのかと、背筋が寒くなった(^^; まあ、そうなったらそうなったである臨界点を超えれば開き直りが来るのかもしれないが、自分の努力や理性だけでどーしょーもない問題というのは確かに存在するんだなぁ。。


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中島義道著
『続・ウィーン愛憎』
(2004)


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読書ノート No.48 2010/01/23

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