私の読書ノート

読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。

曽野綾子は時々、以前に出版された著作の中からテーマ別に切り出してまとめた本を出す。本作品は「貧困」に関してまとめられた一冊で、著者がJOMAS(海外邦人宣教者活動援助講演会)で働いていた時の調査旅行や経験を基にして書かれた22本のエッセイが収められ、インドやアフリカの貧困の実態が客観的な「現場の眼」で描かれている。

<目次>
餌をくれない飼主
貧乏人の粉袋ほど穴が大きい
石入りご飯
美しき天然
できるだけ、できる時に
螢の森
侵入区
サラエボ建材街道
まだしっとりと濡れている墓
骸骨の皮の微笑
神の招待席
学校に行けない理由
身を守る闘い
ワイパーは重機のつけまつげ
菊とワニ
ぶら下がり現象
原生林の中の闘い
母子手帳は白蟻に喰われた
赤線の町にさす朝日
三百五十万円を運ぶ
一杯の水で生きる

この本の中で曽野は、「人間は本来、自分の人生で見たこともない状況を想像することはできなくて当然」と述べている。この部分を読んで、私は千葉敦子のことを思った。千葉は著書『いのちの手紙』(箙田鶴子と共著、ちくま文庫)の中で、知性の最も重要な働きとして、「会ったこともない人々の痛みをわが痛みと感じ、見ず知らずの人々の喜びをわが喜びと感じることのできる能力」であると述べている。また、「知性は決して冷たいものではなく、人間が人間だからこそ持てる、あたたかさの源泉であるはずだ」と、自分自身が見たことも経験したこともない体験に対して喜んだり、悲しんだりすることは可能だ、と述べている。これは曽野と非常に対照的である。千葉と曽根のface-to-face対談があれば面白いと思うのだが、私が知るか限りでは行われていない。ただし、前述の著書の中で曽野の著作に触れているが、曽野のことをどのように思っていたかの記述はない。千葉があくまでも理念を追い求めるのに対し、曽野はあくまでも現実的に物事を捉えていく。この本の中にも、「できるだけ、できる時に」というエッセイが収められているが曽根の考え方を代表するような内容である。

アフリカやインドの貧困さを、できるだけ感情を交えずに淡々と記録していく、その作業が心的に大変であろうと推察する。このような視点から見ると、現状の「日本の貧困」は貧困とは言わないという感覚になるのも理解できる(ただし、日本で問題になっている貧困や格差は日本国内での比較の上に立った話であるので、視点が違う)。私は、貧困そのものよりも、人間は動物の一員であることを強く感じ、それと共に文明の力がいかに素晴らしいかを強く感じざるを得ない。この本に書かれた状況のひとつひとつから、道徳性というのは、ある程度生や生活を保証された状態でないと生じないというのがよくわかる。

以前に読んだ(確か)心理学の本には、親が子供を保護するのは本能であるが子供が親をいたわるのは教育の結果(人工的に作り上げられた”得”)であると書かれていた。しかし、この本には極度の貧困状態(=食べ物がない状態)では母親は子供に食べ物を与えないことがあると述べられている。自分自身の命を犠牲にしても子供を守るというのは、多少は知性が働かないとできないのかもしれない。また、子供がHIVに感染して生きる望みがないとその子供には食事を与えない(死ぬことが確実な子供に食べさせるだけの余裕がない)こともあるらしい。本書にはインドやアフリカで見かける様々な貧困がたくさん詰まっており、千葉敦子が言うところの「知性」に訴えかけるような内容である。道徳や倫理を敢えて強く意識せず、記述されていることをありのままに味わうようにしたい。

著者はJOMASの宣伝をしているつもりはないようであるが、結果的にこの組織がよい仕事をしているのを紹介することになっている。途上国では援助は、必ず物資や資金の横流しや汚職の問題とセットになっているとされ、実例を挙げて詳しく報告されている。現場で様々な問題に日々取り組みながら、それでも援助活動を続けている人たちがいる、のは素晴らしいことであり、その素晴らしさを充分に味わわせてもらうことができる本でもある。そして、私たちの感覚からすればすさまじい貧困の社会で生きる人々であるが、彼等もまた非常に逞しく生きていることに、どこか安堵する気持ちを感じることができる。

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曽野綾子 著
『貧困の光景』
(2009)


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読書ノート No.45 2010/01/06
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