私の読書ノート

読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。

すばる文学賞受賞作家が描く、究極の恋愛小説という帯に惹かれて購入。2007年書店発ベストセラーとも書かれていて、丸善お茶の水店の店員がうずくまって泣いた、とも書かれている。

純愛小説と呼ばれているものにはいくつかのパターンがあるが、概ね相思相愛とはならず最後は結ばれない、あるいは死に別れるといったものが多いように感じている。この小説も例に漏れず、アンハッピーエンドである。

ヒロインは、在宅医療に携わる医師、藤原真紀という30過ぎの女性である。彼女の生い立ちには既にトラウマが存在し、両親不仲、母親は子供2人を残して入水自殺、そして仲の良かった姉は父親の暴力が元で死亡と、作者は主人公に大きな負荷を負わせて物語中に配置する。そしてもう一人の主役は真紀が学生時代に知り合った元恋人・倉橋克英ことヒデ、彼は天才気質のピアニストである。彼はオランダに留学すべく真紀の前から姿を消してしまうのだが、ヒデが不治の病を見舞って7年ぶりに真紀の前に現れるところから物語はスタートする。

真紀は、彼女が意識している囲で幸福ではなかったし、現在も幸福ではない。患者の命を助ける医師という職業も、「死ぬために選んだ」と考えるほどに心の中には生に対する前向きな気持ちは存在しない。絶えず死を意識した、絶望の手前の人物に対して医師、それも在宅医療を行う医師という職業を配置し、作者は生と死のコントラストを強調したのかもしれない。そしてそれは元恋人・ヒデの不治の病と対比させることにつながり、この小説に描かれる恋愛の中心部分を構成する。

かつての恋人が再会し、そしてまた別れていく様相。しかしそこには7年前には存在した未来への広がりはなく、ヒデには死が、そして真紀には喪失感が残るだけである。ヒデとの再会で真紀にもたらされたものは、7年前の別れの痛みとの再会とヒデの人生の中に自分の居場所が相変わらず存在しないことを改めて知らされたことであった。聡明な真紀にはヒデと関わっても自分に幸福がもたされることはないし、それどころか負のエネルギーを与えられることは充分に理解していた。が、それでもヒデに惹かれてしまう、関わってしまうというのがこの物語の主要展開部分であり、惹かれるといったことは必ずしも幸福や充足といった前向きのベクトルにはならないと主張している。ヒデに対してどうしようもなく惹かれてしまう気持ちが、この物語全体のプロットを支えている。

ヒデは真紀と心の傷を共有していたわけではないし、ヒデが真紀のことをどのように考えていたのかすら、物語からは充分に読み取れない。しかし、真紀がヒデの言葉や挙動に大きな影響を受けている様子は痛いほど伝わってくる。恋愛感情の非対称性が非常に大きく描かれている作品で、この非対称性を成り立たせているのが悲劇とも言える、真紀の不幸な生い立ちである。

真紀には、長瀬という婚約者がいる。彼は真紀が勤めるクリニックの院長であるが、忙しさを理由に真紀のトラウマと真正面から向き合うことがない。物語における長瀬の位置づけはヒデとの対比であり、長瀬が真紀の抱えている心のクライシスの核心部分に触れることはない。真紀と長瀬の関係から見ると二人のプロットは交差することは無く、恋愛はおろか心の交流すら存在しない。長瀬の真紀に対する態度は冷酷とも言えるほどで、長瀬も打つ手はない。作者は長瀬をこのような立場に置くことで、ヒデ、長瀬、真紀の三角関係を回避したのかもしれない。

結局の所、この物語の見せ所は真紀がヒデと再会してから遭遇する、真紀の心の葛藤であると言える。相反する理性と感情、収束させようにもさせようがない、心の奥底から沸き上がるヒデへの気持ちが切なさと受け取られて、冒頭に述べたような「うずくまって泣く」といった感想を抱かせるのかもしれない。作品を構成している個々のアイテムはさして珍しいものではないが、真紀の葛藤を全面に押し出すことで(おそらく)読者の共感を呼んだものと考えられる。

AMAZONのカスタマーレビューを拝見すると、あまり評価が高くないように見受けられる。私もこの作品に対しては、正直深みは感じなかったのだが、作品構成や作者の意図を分析する上ではわかりやすい作品だとは言える。恋愛小説というジャンルが好きな方は、手に取ってみても悪くないかもしれない。

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安達千夏
『モルヒネ』(2006)


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読書ノート No.26 2009/2/14
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