| 私の読書ノート: 小林多喜二『蟹工船・党生活者』 |
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読書ノートから、お勧めの書籍(文学作品の朗読を含む)をご紹介します。
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2008年5月2日の読売新聞夕刊に、「蟹工船」悲しき再脚光というタイトルで、小林多喜二『蟹工船・党生活者』(新潮文庫)の紹介が掲載されていた。格差嘆き若者共感、異例の増刷で売上げ5位となっている。 小林多喜二はプロレタリア文学を代表する作家であるとされている。この作品は高校で使う国語便覧にも掲載されていたので、高校生の時に既に題名とだいたいの話は知っていたが、作品を手にとって見たのは最近である。今年の8月に読了した。 過酷な労働の現場(文字通り蟹工船−漁に出て蟹を取り、それを船の上で缶詰に加工するまでを行う)を描いた作品で、船の労働者と監督を対立させながら物語は進行する。この、監督というのが鬼そのもので、口先だけで船員たちを絞るだけ絞って自らは手を汚さない、というタイプで、読者の怒りを買うようになっている。労働者たちは、通りかかった駆逐艦に助けを求めるが、監督と海軍の連中はつるんでいるので、結局はやりこめられてしまい歯が立たない。読者がさらにムラムラと怒りを感じるように、プロットが作られている。結局、彼等は再度立ち上がるが、その詳細は省かれてしまっている。監督(いわゆる管理職の連中)が、ストライキを発生させた不始末の責任を取らされて首を切られてしまうくだりは、物語を鮮やかに終結させる一つの技法であると言える。 「蟹工船」の本文を読むと、蟹工船に乗り込んでいるのは、他では仕事が無く、餓え死にしてしまう人々であると記載されているので、上述した読売新聞の記事には、現代の「ワーキングプア」にも重なる過酷な労働環境というのは、質的に少し違うのではないかという気もする。ただし、現実があまりにも悲惨だと(本人がそう思っていることも含めて)、将来的な見通しが全く立たなくなってしまい、目先のことしか考えられなくなってしまうという点は、この時代も現代も全く同じように思う。「本当のことを云えば、そんな先の成算なんて、どうでもいいんだ。−死ぬか、生きるか、だからな。」(pp.137)とあるが、おそらく大きな共感を呼んだ部分というのはここだろう。先の見通しが立たない、俺たちと同じだ、と。 「蟹工船」では、労働者は搾取されまくり、管理側がそれを享受してますます肥えるという構図が暗黙のうちに背景として設定されており、この物語のプロットを支えている。最終的に解雇された監督たちは、本当の管理側ではなかったわけである。しかし、米国リーマンブラザースの倒産や、米国発の金融危機を見ていると、果たして安泰な管理側というのが本当にどれくらい存在するのかは甚だ怪しい。「蟹工船」では、”確固たる管理側”の存在を想定し、それに対する対立構図を作り出すことで物語が進行していくが、世界の現実はさらに混沌としていて、”確固たる管理側”の存在自体が怪しいように思うのである。(実際のところ、財産を株などの債券〜紙の財産〜で所有している場合、株価が落ちれば総資産は簡単に目減りする。一方、支出の方はすぐには小さくならない(株価が下がったからと言って、使用人の給料を簡単に半分にはできない!)ので、結局大きく資産が減る) 格差社会については、もう少し考察してみる必要があると感じている。アメリカの新富豪層「ニューリッチ」について取材した、『ザ・ニューリッチ』の読書感想文も御参考まで。 |
小林多喜二 / 『蟹工船・党生活者』 (S28) |
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| 読書ノート No.18 2008/11/9 | |